浅見 潤 プロフィール

1955年12月30日、雪がしんしんと降る午前2時、北海道の長万部(オシャマンベ)町という、ひなびた温泉町で生まれる。母の実家であり、浄土宗の寺であった。

(父は鎌倉の人で、家は建長寺ゆかりの旧家。生来、地のつながりや因習を嫌い、伝説の「鎌倉アカデミア」を経て二松学舎大学卒業後、高校教師として単身北海道へ渡る。浄土宗の寺に下宿、そこの長女だった母と結ばれた・・・)

小学校の6年間を札幌市で過ごし、卒業と同時に父が転勤となり函館市へ移り住む。函館ラ・サール高校卒業後、上京し、かの有名な(?)代々木ゼミナール(1年間浪人)を経て、上智大学に入学。ここまではほぼ順風満帆であったが、高校時代に芽生えた文学への熱き思い冷めやらず、大学生活で酒と麻雀に溺れたこともあって3年で中退。足立区の舎人町(とねりちょう:かつては旧日光街道沿いの宿場町で、新興住宅地として急激に発展)で下宿生活を送り、昼間は家庭教師とボイラー掃除のアルバイトで生活費を捻出し、夜になると近くの赤提灯で痛飲、夜更けから朝方にかけて原稿を書きなぐるという無頼の生活を始める。

やがて、舎人から三鷹市へ転出、紆余曲折を経て三鷹市教育委員会にもぐり込み、遺跡の発掘調査に手を染める。当初は生活の為と割り切って始めた発掘人生であったが、思いのほか居心地がよかったせいもあってこの世界にどっぷりとつかり、主任調査員に任命され、市内の遺跡のほか、八丈島や栃木県の遺跡などを手がける。

小説家への未練を残しつつ、このまま発掘人生を続けるものと思いきや、平成8年、中学に入学したばかりの次女を、交通事故で喪(うしな)う。
それがきっかけとなり、やがて職を辞し、全てを清算して、一家そろって奈良県明日香村へ移住することに。新天地で職探しに駆け回る一方、妻と二人でよき寺、よき住職を捜し求めて寺院めぐりをする。それが嵩じて、ついに1冊の本(『夫婦で歩く 大和の隠れ寺』(朱鷺書房)を上梓するなど、結構気ままな1年間を過ごす。

やがて、縁あって三光丸クスリ資料館に館長として招かれ、現在に至る。趣味は将棋(二段)、囲碁(四段)、麻雀(プロ級)、カラオケ(ほとんど神サマの領域)、四国八十八箇所のお遍路(妻に引っ張られて・・・)など多彩。現在、奈良県は明日香村で妻と長女との3人暮らし。日本考古学協会会員。



copyright 2006, Celluloid Library Memoir House