研究調査報告書
平井 東幸
戦後の経済雑誌にみるセルロイド業界(その5)
セルロイド産業史11


 これまでは、敗戦直後からの激動のセルロイド生地業界を紹介してきたが、今回はセルロイド加工業界に焦点を当ててみたい。当時の状況を伝える資料としては、一つは、セルロイド生地倶楽部の矢野信雄氏が昭和29年に専売公社の『専売』に5回にわたって連載している「セルロイドの加工業」。さらには、東京商工会議所や日本化学工業協会の機関誌、そして重要なのは、言うまでもなく各団体史である。ここでは、矢野氏の連載と東商機関誌の記事を利用して紹介しよう。

関東と阪神で異なる業界構造
 まず、昭和25年当時の加工業界の概要を振り返ると、周知のように、東京と大阪の二大産地に大別できる。因みに、全国の生産工場はこの両産地でほぼ9割を占めていた(表)。

 もっとも、それ以外の17 道県にわたっていたことも見逃すことがきでないが、これは戦時中の工場の地方への疎開が主因であるという。

  表  地域別業種別の工場分布
   ―――――――――――――――――――――――――
   業種            東京       大阪       その他      合計
   ―――――――――――――――――――――――――
   玩具              180           3            7            190
       万年筆            23         10            3              36
    歯ブラシ            1          47            5              53
    文房具             31         13            4              48
       櫛                  13         41            2              56
    雑貨               111         58            37           206
       不明                  0           0           03               3
       合計               359        172           62            593
      ―――――――――――――――――――――――――
   (出所)通産省のセルロイド製品工場実態調査(昭和25年末)
       (注)「その他」は福井、愛知、埼玉、奈良、兵庫、岐阜、長野、愛媛、北海道、福島、茨城、神奈川、三重、富山、広島、香川、宮崎

 この表から明らかなことは、@東京と大阪が二大産地ではあるが、東京が全国工場数の6割を占めていたこと、A業種的には、東京は玩具が全体の5割、大阪は歯ブラシと櫛で半分と、それぞれかなり特化していることが特徴だ。
 
  従って、原料セルロイド生地も東は薄物で無地、西は厚物で柄物が主体であった。人形等の玩具類は成形後に彩色するが、櫛などでは生地をそのまま使うからである。

 『東商』(昭和26年8月号)の「東京のセルロイド工業」(川辺)によると、東西の違いを次のように指摘していて興味深い。

 「東京と大阪は加工方法を異にし東京が手工業的で良質のものを造るに対して大阪は機械工業的で大量生産を行い安価なものを生産する。従って東京製品は主として北南米、カナダ、欧州等へ輸出され、大阪製品は満州、支那、南方へ出ると言う状況である」と。

 これは満州、支那等の表現から戦前の状況とみられるが、加工方法の東西の違いは昭和20年代半ばでも変わらなかったのであろうか。特に戦後は外貨獲得産業の一つとしてその復興が大いに奨励されたのであった。


加工業界の立地条件

 セルロイド加工業が東京、大阪に立地した背景・要因はなんであろうか?一般的に産業集積は成立要因によって、@生産地立地、A消費地立地、B創業者立地に大別される。もちろん、その地域の気候風土が根本にあることは言うまでもないが。セルロイドの場合は、大阪は原料の生地工場に近いこと上げられる。すなわち、兵庫の網干には三菱が、大阪の堺には三井がそれぞれセルロイド工業を設置した。わが国主要財閥が競ってこの事業に進出したのである。東京は消費地立地的であり、わが国第一の市場があり、また、横浜というわが国屈指の輸出港があった。そして玩具問屋や貿易商社が存在していたことも大きい。

 また、東京の場合では言えば、永峰氏のような、大阪では浦山氏のようなパイオニアが存在したこともその後のわが国最大級のセルロイド加工産地を形成した要因であろうか。

 こうしてみると、工業立地のすべての要因がセルロイド加工業界には当てはまると言える。

 さらに、東京・大阪という大都市圏では、労働力調達が容易であったし、また、見逃してならないのが金型屋や原料屋の存在であった。小回りの利くこうした業者の存在は加工業種が多数集積していることで成立つのであった。現在とは異なり、交通も通信も未発達であった。宅配便もネットもなかったからである。輸送は、荷車、馬車、オート三輪、自転車、リヤカーが主体であった。

 
流通取引構造
 東京では、製造問屋が企画・販売を担当し、生産加工を外注した。原料や機械も提供するケースもあった。下請けはさらに家庭内職に孫受けさせる等の重層構造であった。他方、大阪については、関西セルロイド・プラスチック工業協同組合の小野理事長、そしてセルロイド産業文化研究会の大井理事事務局長によると、各種生活用品や装身具等の問屋が商売の要であったことは変わりない。ただ、概して大阪の方が事業の規模が小さかった。製品が櫛やアクセサリー等の服飾品から各種日用品・文房具等と多種多様であり、このためもあって下請け、孫請け、家庭内職と大阪の方が概して多段階であり、そして価格競争も厳しかったようである。


終わりに
 このように加工業界は、東西で、製品、加工方法、使用生地、販売先、輸出仕向地等がかなり相違していたことが特徴だった。そして、業界構造も東西では一部で異なっていたのであった。

 かくて、セルロイド加工業界は昭和30年ごろをピークに縮小し、企業の多くは石油化学系の合成樹脂等の加工に転進した。そして平成に入り「業界」としては消滅し、その産業としての使命は昭和でほぼ終えたといえる。現在は事業として経営できているところは全国でも10社に満たないとみられているが、それぞれがセルロイドの特性を生かしたモノづくりをして、事業を継承している。(2014年2月2日)


著者の平井東幸氏は、東京産業考古学会副会長で、元嘉悦大学教授、千葉県在住。


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