研究調査報告書
セルロイドハウス評議員、神奈川大学名誉教授
工学博士 大石不二夫
合成樟脳に関する文献調査

第1報 内外の文献

 セルロイドの製造において、主原料のニトロセルロースや酢酸セルロース(不燃セルロイド)に次いで第2の原料である樟脳として、クスノキより得られる「天然樟脳」に対して、人工化学物質を出発原料として化学反応により合成される「合成樟脳」がある。
ここでは「合成樟脳」を採りあげ、内外の文献を調査した結果を紹介する。

T 単行本
 合成樟脳に関してまとめられた成書は小野嘉七著「合成樟脳」以外見いだせなかった。この書の第1編第2章樟脳の合成から引用して、樟脳の合成法を紹介する。

樟脳の各種合成法
1.p−サイメンより
 Oppennheimがp-サイメンをクロム酸で酸化して樟脳を得た。その後、F.Kochらが酸化亜鉛を用いた。
2. リナロールより
 J.W.Winogradownがリナロールに粉末アルミニウム、リナローレン、ボルネロールなどを加えて樟脳を得た。
3.ホモ樟脳酸より
 A.Hallerがホモ樟脳酸の鉛塩を熱して樟脳を得た。また、G.Komppaはカルシウム塩の乾留で樟脳を得た。さらに、Blancは ホモ樟脳酸を酢酸で環化して樟脳を得た。
4.α―カンフォレン酸より
 Chandrasenaらがα―カンフォレン酸に酸化銀を加えて樟脳を得た。
5.カンフォール酸より
 H.Rupeらがカンフォール酸からベンジリデン・カンフォール酸をへて樟脳を得た。
6.樟脳酸より
 G.Kompeが樟脳酸より樟脳を完全合成した。
7.カンフェニロンより
 Bouveaultがグリ二ヤール試薬を用いてメチルカンフェニロールとしこれを脱水してカンフェンを経て樟脳を得た。
8.樟脳キノンより
 朝比奈泰彦らはd−キノンを1−樟脳とした。
9.ノビノンより
 O.Wallachがノビノンをβ―ピネンとした。
10.カンファン−2−カルボン酸より
 塩化ボルニルをへて樟脳を合成した。
11.イソボルネオ−ル・エーテルより
 F.W.Semmlerがカンフェンを濃硫酸の存在下で無水アルコールと熱してイソボルネオ−ル・エチルエーテルを得た。これを硝酸で酸化して樟脳を得た。
12.亜硫酸廃液より
 B.Holmbergらが亜硫酸廃液ボルネオ−ルを酸化して樟脳を得た。
13.天然ボルネオ−ルより
 シベリア産の針葉油やトド松、エゾ松からの針葉油から樟脳を得る方法の特許がある(本邦特許76666)。
14.ピネンより
 本書執筆当時の合成樟脳の工業原料は主としてピネンである。その工業化されている合成法については、別にまとめる予定である。

U SciFinderによる世界の研究論文
 2014年3月神奈川大学理学部西本右子教授のご協力により、世界の文献検索を行った結果のアウトラインを以下に示す。
その1.Key words:camphor/chemical synthesis
総文献数として134件が検索され、それらの概況は以下。
1) かなり有効なもの:9件。その内、総論的なもの:5件。
2) 関係があるもの:8件。その内、総論的なもの:1件。
3) 関係が少ないもの:39件。その内、CNT:7件、グラフェン:5件、アモルファスカーボン:1件、ポリアニリン:1件と新素材が多い。
4) 関係がほとんど無いもの:78件。

その2  Key words:camphor/chemical/synthesis method
 総文献数として24件が検索され、それらの概況は以下。
1) 関係があるもの:3件。いずれも樟脳の誘導体の合成法。
2) 関係がほとんど無いもの:21件。
 次にその中から、主なものを以下に示す。

(1) 英語文献
調査結果の検索No.1-12から、
1.Camphor-a fumigant during the Black Death and a coveted fragrant wood in ancient Egypt and Babylon a review.
 古代エジプト、バビロンにおける黒死病(ペスト)用くん蒸剤として樟脳が用いられた。
検索No.1-78から、
2. Chen Weiyang et al; Molecures(2013),18,5434-5454. Nano-diamond films produced from CVD of camphor.
 樟脳を原料にCVD法から造られるナノダイヤモンドフィルム。
3.Chakrabati,K et al;Diamond and Related Materials(1998),7(6),845-852.
 ダイヤモンドとその関連材料の文献であり、この中に樟脳も含まれている。
 
 今回の調査結果から、ナノダイヤモンドやカーボンナノチューブなどの先進材料の製造原料に、樟脳からの誘導体が活用されている。樟脳に関する最近の文献は、ほとんどこれらの分野であった。
 このように「樟脳は古くて新しき材料である」と筆者は考えている。

(2) ドイツ語・フランス語等の文献
 検索No.12・77・103・106・108・115・116


第2報「井本稔先生の〜合成樟脳の製造に就いて〜の要約」 

 合成樟脳に関する内外の文献調査を進めている。その過程で見出した井本稔先生の〜合成樟脳の製造に就いて〜は、昭和16年に合成化学の権威であった同氏の講演内容を、大阪化学会誌第1号に掲載されたものである。この原稿は名著であるが、専門的かつ文語的で難解であるため、簡明に要約して以下に紹介する。

1.プロローグ
 天然樟脳はわが国(当時は台湾を含む)にのみ産出する。一方、ドイツにて確立された合成樟脳は、米国・フランス・スイス・イタリヤ・ソ連にて製造され、年間の世界の樟脳需要量約1万トンを両者で折半している。
 天然粗樟脳のわが国の産出量は、図1に示すように、昭和10年度の約0.6万トンを頂点として下降しているが、使用量は昭和8年度の約0.38万トン、昭和12年度の0.46万トンの間ほぼ直線的に増加してきている。樟脳の用途はセルロイド用をはじめ精製樟脳・フィルム用・ボルネオ−ル原料などである。
 この需要の増大と戦乱などによる産出の減少との間隙を埋めるには、わが国における合成樟脳工業の確立が求められる。そこで、われわれは樟脳の合成による製造法を試みた。

2.樟脳の合成による製造法
 合成樟脳の製法は次の2つの方法が代表的である。その1は「塩酸法」で、その2は「有機酸法」であり、前者はドイツ・米国で採用され、後者はフランス・ロシアにて発達した。以下にその概要を述べる。
 「塩酸法」:α-ピネンを出発原料として、これに塩酸を加えて塩化ボルニルとし、脱塩酸してカンフェンを得る。これに酢酸を加えて酢酸イソボルネオ-ルとし、鹸化してイソボルネオ-ルとし、さらに酸化して樟脳を得る。反応工程がやや長いが反応の収率が高い。米国ではカンフェンを出発原料としているともいわれる。
 本邦では「塩酸法」は充分研究、試験され工場建設しうる段階に達している。
 「有機酸法」:α-ピネンを出発原料として、これに酢酸などの有機酸を加えて有機酸ボルネオ-ルエステルとし、これを鹸化してボルネオ-ルとし、これを酸化して樟脳を得る。反応工程が一見簡単だが、樟脳の収率が低く、副産物が多量に生ずる。
 テルペン類などの副産物の活用が問題となる。なお、ボルネオ-ルを酸化して樟脳を製造する反面、本邦では多量のボルネオールが天然樟脳を還元して製造されている。有機酸には二十数種があるが、工業的には酢酸と蓚酸が用いられる。また、α-ピネン原料としては世界年産八万トンのテレピン油(ほぼ純ピネン)が用いられる。
 以下に有機酸法に関して研究した成果を述べる。

1.ピネンより酢酸法にて合成ボルネオールの製造
 1886年Bouchardatはα-ピネンに酢酸を加えて酢酸ボルネオ-ルエステルを得た。その後、Schmidt がホウ素系触媒を導入し、フランスやソ連において工業化が実現した。この製造法に関して、われわれは以下の4法について研究を行った。
T ホウ酸の存在下、無水酢酸の作用
U 酸化ホウ素の存在下、酢酸の作用
V ホウ素酢酸無水物の存在下、酢酸の作用
W 無水酢酸および酸化ホウ素の存在下、酢酸の作用
 これまで上記の各項目についての実験結果は工業化学雑誌へ報告したが、ここでは各々を比較考察したい。

@ 反応に関して
 表1に示すように、上記のTからWの反応について実験結果が得られた。結論として、Wの方法が最も優れていた。いずれも反応後、過剰の酢酸は蒸留して回収できる。
(1) 反応の結果
 反応後は蒸留して酢酸を回収、残渣を水洗して分留する。この際高沸点留分は損失となる。酢酸法は概して残渣が少ないが、V法は10%近い。
 反応で得られたエステル分の鹸化によるボルネオ-ルの生成の収率等を表2に示す。V法の収率は高くないが、他の3法は90%と高い。副生物のアルコールのうち液状のものには目的物のボルネオ-ルが溶解しており、その損失はW法が最も少ない。このアルコール(フェンキルアルコール)は用途がほとんど無く、フランスの合成樟脳工場の中で、このアルコールの利用ができずに閉鎖に至った例がある。
(2) 反応機構
 α-ピネンから生成するボルネオ-ル以外の生成物などに関する反応機構を考察しているが、ここでは省略する。

Aピネンより蓚酸法にて合成ボルネオ-ルの製造
 1853年Berthelotがα-ピネンに蓚酸を加えてボルネオ-ル蓚酸エステルを得た。その後研究が盛んとなり、秋吉三郎が酸化ホウ素を触媒に用いて、小野嘉七氏らと工業化を実現させた。α-ピネンに酸化ホウ素触媒と蓚酸を加えると、40℃にて60%の収率でボルネオ-ルが得られる。しかし、反応が激しく爆発し易く危険である。しかも重合生成物が多く損失となる。触媒としてホウ素蓚酸無水物を試みたが、反応がさらに激しく、収率も低下した。
 蓚酸法は酢酸法と比べて、イソボルネオ-ルの生成が多く、収率が下がる。また、未反応分の回収がより困難である。さらに使用する蓚酸の脱水乾燥が必須であり、そのための工程が必要となる。酢酸法は安全であり、反応の操作と後処理も容易であり、液状ボルネオ-ルの収率が蓚酸法10~20%に対して、酢酸法では80%にも及ぶことがあり利点である。その代り重合物が多く損失となる。以上の結果から、酢酸法が蓚酸法より低コストで安全にボルネオ-ルを供給できるといえる。

Bカンフェンより酢酸法にて合成ボルネオ-ルの製造
 硫酸、リン酸を触媒としてカンフェンに酢酸を加えて酢酸ボルネオ-ルを得ることは、「Bertram-Walbaumの加水分解」として著名である。しかし、ピネンとカンフェンの混合物原料の場合には適用できない。そこでわれわれは初めてホウ酸系触媒を6法試みた。その結果、無水酢酸とB2O3とを共存させてカンフェンに酢酸を加える方法が最適であった。次にピネンとカンフェンの混合物へ硫酸追加法の適用を試みた。純カンフェンと純ピネンを1:1に混合し、無水酢酸とB2O3との存在下で酢酸を作用させた。その結果ボルネオ-ルの収率が72%得られた。なお、反応系から回収する酢酸は分留により回収して再利用する。その過程でテルペン類が生成するが、それらが悪影響を与えないことを繰り返し実験して確かめた。次いで、試料として樟脳白油ピネン留分(カンフェン20%)・針葉油留分(カンフェン47%)・針葉油の3種を用いた結果、酢酸法とそれに硫酸追加法を加えると、生成するエステル含量が7〜10%増加する。また、粗ボルネオ-ルに対するアルコールの生成比が3〜19%と激減し好ましい。一方の蓚酸法はアルコールの生成比が20%以下であることが唯一の長所であるが、酢酸法にてもそれを実現できた。以上の実験から、表1に示す結果が得られた。すなわち針葉樹ピネン留分から粗ボルネオ-ルが50%以上の収率で得られ、液状アルコール、テルペン分を加えた製品合計が原料と同量得られた。蓚酸法では製品合計は原料の62%に留まりしかも反応に危険性を伴うのに対して、酢酸法の優位性が確認された。

C結 言
 合成ボルネオ-ルの製造に関する基礎的研究が終了し、引き続き中間工業的規模の実験でも同様の結果であり、酢酸法にて工業化が可能と認めた。






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