研究調査報告書
平井 東幸
昭和26年の業界動向・・組合機関誌からみた関西セルロイド業界(その2)
セルロイド産業史15


1. 初めに
 前回(L)に引き続いて、昭和25年に創刊された関西セルロイド工業協同組合の機関誌『関西セルロイド月報』を利用して昭和26年の業界の動きを概観することにしたい。

2. 団体機関誌の創刊1周年
 前回述べたように、『関西セル月報』は昭和25(1950)年8月に創刊されたが、敗戦翌年の昭和21年には早くも関東セルロイド工業協同組合連合会から『東京セルロイド月報』が発行され、23年からは『生地倶楽部会報』(月2回発行)の刊行がセルロイド生地倶楽部(東京)から開始された。その前後には『セルロイド貿易情報』がセルロイド貿易会から発行されていた。セルの加工業界、生地業界、セル輸出業界それぞれの団体機関誌が出そろったことになる。
 26年8月号では、小山大阪通産局長心得と城戸関西セルロイド工業協同組合理事長が、機関誌創刊1周年を祝して寄稿している。前者は「創刊後日なお浅いにもかかわらず、その豊富にして洗練された内容は、業界の触角として各企業の合理化促進の道標ともなり、必ずや将来の斯界の発展に貢献される」と讃えている。後者は「業界の結束を固くすることが要請されたので機関誌刊行を思い立ったこと…読まれなければ価値はない、利用されることが第一条件である・・・誰にも好ましい内容であることが必要である。これらの点において相当の効果を上げ、当初の目的を達し得たと信じている」と述べている。

3. 同誌から見る昭和26年の業界トピック
1) 大阪府では地元の重要産業であるセルロイド業界に戦前から力を入れてきている。
府のセルロイド専門委員会では昭和26年夏に答申を出したが、その概要は次の通り:
第一に、低廉で優れた生地の生産と供給の確保であり、そのために@生地の品質向上のための研究、改善が必要A価格の低廉・・・そのためには原料の低廉入手が不可欠B輸入リンターの有料低廉な輸入の確保、以上を実現するため関係先の協力の促進が必要。
第2に、輸出用の生地備蓄の確保・・・生地不足で輸出受注お応じきれない現状
第3に、金融対策の円滑化、簡易指導相談所の設置、金型製作の研究、工場設備の近代化等を上げている。産官挙げての業界支援対策であった。

2)7月号では、燃えやすいセルロイドの対策について8項目を挙げている。@危険物の貯蔵の位置、数量は適性化A温湿度計は正確かB通風は充分かC露天に放置していないかD配電は大丈夫かE消火栓、消化器は完全かF従業員の防火思想は徹底しているかG火災保険加入額は適性か、と。関西でも東京でも「又セルロイド工場の火事」と新聞に報道されていた時代であった。

3)6月号では連載の「セルロイドの智識」が、造花を取り上げている。大正末期から昭和初期にかけて盛況だった。素材も紙から強度のあるセルロイドに転換が、特に昭和4〜5年には本格化した。昭和26年現在では、薄地を使用して関西地域が生産で首位。その後は、徐々にプラスチックや布地に転換したことは周知のところ。

4)閑話休題
 お堅い感じの団体誌であるが、砕けた記事も随所に見られる。9月号から4回連載の
「セルロイド新名所図会」が興味深い。大阪セルロイド業界に関連した名所、すなわち、「長榮寺雙龍庵」「末吉橋」「鶴の橋と亀の橋」「七道の浜と千日井戸」といった市内の加工業者の集積した地域、あるいは当時の大セル本社への往復の道沿いの名所が紹介されている。敗戦後わずか6年目でゆかりの文化財の案内をするとは業界も余裕が出てきたことを証している。 
11月号には生地倶楽部の矢野信雄氏が面白い話題を提供している。題して「仮名手本セル漫語」。当時業界では、セルロイドの略語としてはセルないしはロイドが、大日本セルロイド鰍ヘ大セルまたは日セルと広く略されていたと前置きして、最近新聞記事等で「5セル」「6セル」という表現がある由。「5セルとは、接待法で、呑まセル、食わセル、威張らセル、握らセル、抱かセルをいい、6セルとは、これにも一つ土産を持たセルが追加されるのである」と。戦後のなお混乱期での営業活動・・・接待攻勢の激しさがうかがわれる。

5)「府外の工場を訪ねて」では、奈良県や福井県、北海道が取り上げられている。このうち、奈良県では昭和23年には14工場(すべて個人経営)あり、櫛、文具、卓球、眼鏡枠、薬容器、漁具等を製造して華やかであったが、26年現在では稼働は7工場、製品は眼鏡枠、櫛、定期入れ、文具、靴当、漁具等であり、統制排除、金詰り、徴税強化等で沈滞していると。
 昭和26年の業界は朝鮮動乱の影響が・・・
 最後に、『関西セルロイド・プラスチック工業協同組合 創立75周年記念誌』を引用して昭和26(1951)年の業況をみると、この年は朝鮮半島で国連軍が北進、年央には休戦へ、また対日講和条約が締結され、事業環境は激動したが、業界は、「国内では、物資需給調整法が改正され、セルロイド原料であるリンター、硝酸、アルコールその他の入手難からセルロイドの減量が予想され、戦後の復興に影響が出始めてきた。10月に至り、これらの需給の統制は民間自主規制に一任されたが、当時は輸出向け及び米軍特需が最優先的に取り扱われた」としている。したがって内需向けは原料高の製品安に陥り、業界は混乱が継続したようである。
 なお、参考までに、26年末のセルロイド製品の用途別・輸出内需向け内訳は次の通り。化粧用品や身辺雑貨は輸出比率が高い。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――
 用途別            輸出(%)     内需(%)
 ―――――――――――――――――――――――――――――――
 文具               22           78
 卓球               30           70
 玩具               33           67
 歯ブラシ              6           94
 運動用品            14           86
 衛生厚生用品         42           58
 化粧用品            78           22
 身辺雑貨            71           29
――――――――――――――――――――――――――――――― 
 (出所)『関西セルロイド・プラスチック工業協同組合 創立75周年記念誌』
     (平成2年)
 次回は昭和27年の業界動向を取り上げます。(2017年9月26日)

著者の平井東幸氏は、東京産業考古学会理事で、元嘉悦大学教授、千葉県在住。

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