研究調査報告書
平井 東幸
業界団体機関誌からみる戦後の関西セルロイド産業(その3)
セルロイド産業史16


1. 初めに
 今回も引き続いて、『関西セルロイド情報』(関西セルロイド工業協同組合機関誌)を利用して昭和27年の業界の動向をスケッチ風に概観したい。
2. 業況停滞の一年
 同誌(昭和25年8月創刊の月刊誌)の昭和27年1年分を読むと、セルロイド加工業界は停滞の一年であったことがわかる。
 この年は、講和条約等が発効して独立を回復した。連合軍に接収されていた帝国ホテル、旧両国国技館、羽田空港などが返還され、対外的には、国際通貨基金、世界銀行への加盟が承認された。これで戦後7年で国際社会に復帰できたのである。世相面では、NHKラジオで菊田一夫のドラマ「君の名は」が大ヒット、銭湯の女風呂が空になった?と言われた年であった。
 セルロイド生地業界の業況については、同月報12月号で、通産省有機化学課の斉藤事務官が「セルロイド生地工業の現状」と題して、一年を総括している。「最近輸出の不振と国内需要がその限度に達して・・・業界全体として行き詰まり状態になりつつある」としている。国内市場は、在庫投資を含めて戦前ピークの5,200dを2割上回る7,000dに達しているとして、戦前には「軍関係の需要が相当含まれており」、それだけに「国内需要は,あらゆる点からして最高限度とみるべきでこれ以上の国内需要は今後見込めないのみならず、新興プラスチック等により喰い込まれる可能性の方がむしろ大きい」とその後の展開を的確に指摘していることが注目されるではないだろうか。

        セルロイド生地の需給推移(単位:トン)
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 年  別    生産実績     輸出実績   国内消費
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 昭和12年     12,762      7,500       5,262
(戦前最高)
 昭和20年     1,641        ―       1,641
    21       2,186        ---       2,186
    22       2,242        139       2,108
    23       3,608       1,135       2,473
    24       5,359       1,956       3,398
    25       5,970       1,944       4,026
    26       7,046       1,618       5,428
    27(1-6)    3,950        444       3,516
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  (出所)『関西セルロイド情報』1952年12月号

 設備の稼働率は50〜60%と低く、そして対策としては、内需がこれ以上期待できないので、輸出振興が不可欠として、コスト高の解消(専売品のアルコール、樟脳等の輸出製品用の価格引き下げ)、対中貿易の緩和と促進、それに政府機関等の海外事務所による輸出市場開拓を指摘している。戦後急速に復興したセルロイド業界が早くも大きな曲がり角にあったことが分析されている。
3. 同誌から見る昭和27年の業界トピック
1) 新しい用途開途
 セルロイド生地倶楽部で編集等に長年携わった矢野信雄氏は、2月号のコラムで、「セルロイドの新用途――セル新たなり」で、新しい用途として、珍しい試みを紹介していて興味深い。昭和26年に業界を賑わせた話題として「パチンコの板がある。燎原の火の如く蔓延して、所謂三パ景気(パルプ、パチンコ、パンパン)の一つとしてセルの需要は続くであろう」と。このほかにも、新たな用途としては、地下鉄乗場の円柱に取りつけられている広告板、1枚百円のする最高級クリスマス・カード、カレンダーなどがあり、さらに買い物かご、箱根細工へのセルの利用が話題であった。こうした新市場開拓は、業界外の人のアイディアでもあるという。筆者の矢野氏は「セルロイドが国民生活に深く根を下ろして、一般に親しみを持たれているので、新しいものに利用しようと簡単に思いつくのではないか」と指摘している。セルロイドの前途がまだまだ洋々としていた時代であればこそであろうか。
2) セルロイド歯刷子は衛生的
 同情報には、毎号セルロイドにまつわる様々な情報が満載されている。1月号の「セルロイド製品の智識」では、歯ブラシを取り上げている。明治28年ごろ、大阪の片岡氏が作りはじめたのがわが国での嚆矢の由。当時生地は輸入品であったので高くついたが、明治45年ごろ以降は国産が出回り始めて大いに発展した。それまでの牛骨に比べて「カビがつかず頗る衛生的である」こともプラス要因。大正期には主要な輸出品になった。戦後も大阪市の東部と近郊の戦災にほとんど遭わなかった八尾市や布施市に産地があったと。
3) JETROの貿易状況
 JETROによるセルロイドの海外市場についての報告が4月号に掲載されている。JETROは、大阪で海外市場調査会として発足した。その後本部を東京に移転し、日本貿易振興会と改称、現在は日本貿易振興機構である。この記事では、造花、眼鏡枠、フレーム、ブローチ、腕輪、製品、ピンポン玉、自転車のチェーンケース、玩具、生地についての輸出の動向と、現地市場動向を取り上げている。そして「日本のセルロイド工業は漸くにして世界第一位の王座を回復したが、プラスチック製品の進出、各国加工業の勃興の為に海外輸出は戦前の最盛期には未だ及ばない。しかも内地市場はこの上の期待も出来ないのであるから、勢い海外輸出が唯一の振興策となる」と要約している。
4)松下幸之助の帰朝講演
 5月号には、「アメリカの繁栄と起ち上がるヨーロッパ」と題する松下氏(大阪府工業協会会長)の、セルロイド生地クラブでの欧米帰朝講演が2ページにわたって収録されている。後年、「経営の神様」と讃えられえた同氏は、当時は松下電器産業且ミ長であった。講演の結論として「資本経済によって生産蓄積をなし、一面社会政策的見地からこの富を再分配する。そしてこの両者がうまく調和した所に発展、繁栄の基本があるのです」と述べている。今年創業100年を迎えるパナソニックの創始者の指摘はまさに現在にも妥当する経営哲学である。そして戦後7年にして関西財界の大御所の松下幸之助を招いて講演会を開催するという当時のセルロイド業界の見識と意欲を大いに評価したいものである。 
 なお、この原稿については、セルロイド産業文化研究会の大井瑛理事事務局長にご点検を頂きました。ここに記して御礼と致します。
 次回はセルロイドの業界団体の動向を取り上げます。(2018年1月11日)

著者の平井東幸氏は、東京産業考古学会理事で、元嘉悦大学教授、千葉県在住。

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