1. 初めに
今回も引き続いて、『関西セルロイド情報』(関西セルロイド工業協同組合の月刊誌)を利用して昭和28年の業界の動向を概観したい。この年は、NHKがテレビ本放送を開始、ソニーが国産トランジスター第1号を生産。トヨタは自社技術でトヨペット・スーパーRHを発表した。流行語では、伊東絹子がミスユニバース第3位となって「八頭身」が、ファッションでは「真知子捲き」(ラジオドラマの「君の名は」のヒロインが捲いていた)が、話題になり、政治では、板門店で朝鮮休戦協定に調印等と、めまぐるしい一年であった。
セルロイド加工業界はというと、引き続き低迷の年であった。関西セルロイド・プラスチック工業協同組合の『創立75周年、設立40周年記念誌』(平成2年)は、この年の業況を次のように総括している。
「終戦後8年目を迎えて厳しい物資不足時代は過ぎ、食料品他生活物資も豊富に出回り始め、セルロイド製品も激しい競合時代を迎えるに至った。かかる市況を反映して各部会(引用注:刷子、櫛、定規、容器の各部会」では、夫々対策を検討している」と。この年は、内需がプラスチックの登場もあり、頭打ちのなかで輸出促進が最大の課題であった。因みに、同誌では、この年に造花、眼鏡枠、輸出の特集を組んでいる。
2. 関西のセルロイド加工業界の構造
同誌11〜12月号では、矢野信雄氏(同氏は、後のセルロイド・硝化綿工業会の事務局長)による「製品工業の実態調査」を掲載していて興味深い。それによると、この年には、東西の協同組合と検査協会が合同で市場構造の調査を行った。その結果、昭和28年11月現在で非組合員を含めた加工業者の地理的分布は表1の通りで、関西地域の合計で495社、うち400は大阪府内である。しかも大阪市と布施市に集中している。なお、福井県が多いのは眼鏡フレームの産地であるからだ。
表1 関西のセルロイド加工業者の地域的分布
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大阪府
大阪市 203 布施市 135 八尾市 27 貝塚市 7 堺市 6
中河内郡 18 南河内郡 3 泉南郡 1
兵庫県 5 奈良県 6 愛知県 7 岐阜県 3 福井県 71
岡山県、香川県、和歌山県が各1
合計 495
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次に、業種別の内訳を、通産省が昭和25年に実施した「輸出雑貨産業実態調査」によってみると、同年末で表2の通りである。
表2 東西の業種別事業者数
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業種名 東京 大阪 その他
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玩具 180 3 7
万年筆 23 10 3
歯ブラシ 1 47 5
文房具 31 13 4
櫛 13 41 2
雑貨 111 58 38
合計 359 172 62
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(出所)『輸出雑貨産業実態調査』(昭和25年末、通産省)
(注)その他の合計には、業種区分不明を3社含む。
公知のように、東京は玩具と雑貨が主体なのに対して、大阪は、雑貨、歯ブラシ、櫛等と業態が分かれていた。江戸時代以降の東西の産業の違いを反映しているのであろう。このほかの東西の差異としては、東京は従業員9人以下の零細な工場が圧倒的なのに対して大阪では10〜29人が多く、中堅工場が多い。東京では、大規模工場もあり、大工場と零細工場に二極分化していた。
3.同誌から見る昭和28年業界トピック
1) 眼鏡枠はセルロイドが一番
同情報の10月号では、眼鏡フレームを取り上げている。フレームの素材は、金属、
セルロイド、鼈甲、プラスチック(スチロールやアクリル樹脂など)だが、セルロイドが「軽量で丈夫、色合い柄も自由に美しいものが出来て、しかも値段が安い」ということで、セルロイド製が万人向きであると。同組合の情報調査部の調べによると、セルロイドは上記の特長に加えて肌触りがよいこともあって、大部分がセル製だという。需要は年々内需輸出とも伸長著しく、とくに関西では造花とともに輸出の双璧だとしている。現在はセルロイドの眼鏡フレームは一部の高級品・趣向品として残っているだけに今昔の感がある。
2) 安全保安会の活動
セルロイドの最大の弱点は着火しやすい点だが、因みに、戦後の昭和20年代の全国紙でセルロイドで記事を検索すると、火災が一番多い。関西では、セルロイド工場のある所轄消防署毎に「安全保安会」を結成して巡回視察を含めた業界としての対策を紹介している。「盗人は、取り残すことがあるが、火災はすっかり焼いてしまってこぼれがない。特に梅雨時が一番危ないから各位は一層注意を厳重に」とは、東成消防署長の言である。
ところで、昭和27年度の火災状況は、全国で2万2千件余り、原因は煙突の過熱、飛び火、電気、たばこ、油引火,弄火の順であった。うち、セルロイドは57件。安全保安会としての対策は、上記の巡視のほかに、資材配布であった。具体的には、注意札やバケツの配布。こうした対策もあって大阪でのセル工場の火災は少ないのであろう。
3) 造花は玩具に次ぐ輸出の花形
当時、セルロイドの業況を左右するのは輸出であり、セルロイド製品輸出の花形は玩具で、戦後も輸出額の4から5割を占めてきている。ところが、生地・製品を含めた総輸出額は昭和24年の20億円に対して26年には13億円へと3割減少している。輸出減の理由としては、昭和24年に為替レートが360円に一本化されたことだ。因みに、それまでのセルロイドの円ドル為替レートは600円であった。
しかし、この間に造花は1億円から1.1億円と健闘している。 造花の生産は昭和4,5年に本格化したと言われており、セルの造花の特長は「麗しく、色あせにくく、又枯れたり、しぼんだりしない」ことだと、同誌3月号の造花特集で矢野信雄は「セルの花が咲くよ」で述べている。輸出堅調の背景にはチェコの共産圏入りによる輸出減があったとの分析もある。当時、造花は玩具に次ぐ輸出重要商品であった。
4) このほかに、同誌の1月号、2月号、5月号には、関戸力松氏(関戸科学研究所)の「セルロイド業界 発展の側面史」が連載されている。内容の紹介は他日に期したいが、明治のあけぼの時代以降の動向を産業史、工業史,商業史的な観点から論述していて興味深い。
この稿についても、セルロイド産業文化研究会の大井瑛大阪代表のご点検とアドバイスを頂きました。ここに記して御礼と致します。
次回はセルロイドの業界団体の動向を取り上げます。(2018年2月10日)
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