研究調査報告書
佐藤 功
セルロイド標本調査(第2報)

1. 概要
 前報(1)で報告した「セルロイド製造順序標本」の詳細を知るため、メーカーである島津製作所の「創業記念資料館」を訪問したので報告する。

2.標本の製作時期
 資料館所蔵の標本目録「初等教育博物学標本目録」を閲覧した。セルロイド標本は表1の3冊に記載があった。セルロイド標本にはカード式と箱入りとがある。本標本は箱入りで、前報でも述べたように1933年(昭和8年5月)発行に写真付きで記載されている。このため昭和8年以降のものである。今回の調査で昭和10年の目録では異なった標本が記載されていることが判明した。このため、本標本は昭和8年にはすでに発売されていたものと推定される。

表1 セルロイド標本の目録記載状況
目録発行年 カード式 箱入
記載 写真 記載 写真
大正3
昭和8 〇※ 〇※
昭和10

注1
※昭和8年の記載(リストおよび写真)が本標本と合致
注2
・目録発行頻度は不明
・島津製作所 創業記念資料館はT3,S8,S10を所蔵
・S8:国会図書館URLにて全文閲覧可
・S10:下記大学図書館にも収蔵されている(名大理,茨城大、兵庫教育大)

3.セルロイド標本の変遷
 大正3年の箱入り標本の写真はないが標本種類の詳細な記載がある。これを昭和8年標本と比較すると表2の様になる。両標本とも製造工程にそって原料、中間品、それに製品を集めている点は同じだが、細かい点では違いが見られる。異なる部分に注目し、項目ごとに考察する。
1)セルローズ原料
 両標本ともセルローズ原料はリンターやパルプに言及せず、「綿」として扱っている。小学レベルなので、あえて身近な「木綿」を想起させる言葉を使ったのかもしれない。昭和標本は「白木綿」としており、精錬されたものであることが連想される。大正標本は綿、苛性カリ、脱脂綿、水洗綿、乾燥綿の標本があり『アルカリ蒸煮→水洗→乾燥』の精錬工程まで踏み込んでいる。なお、アルカリ蒸煮は苛性ソーダ(場合によっては石灰)が使われていたはずだが、なぜ高価格の「苛性カリ」なのかは調査を続けたい。

表2 昭和8年標本と大正3年標本の比較      
工程 昭和 大正 工程 昭和 大正
繊維素 白木綿 綿 樟脳 樟脳 樟脳
苛性カリ 樟脳混練 セルロイド液
脱脂綿 硝樟板 セルロイド
水洗綿 着色混練 染料
薄紙 乾燥綿 顔料
硝酸 硝石 着色塊
硫酸 圧延塊
強硝酸 硝酸 中間製品 セルロイド板
脱水剤 強硫酸 強硫酸 セルロイド管
混酸 硝化液 セルロイド棒
硝化綿 粗硝化綿 成品(板)
水洗硝化綿 製品 製品7種 製品(2種)
硝化紙 硝化綿  
溶剤 酒精 アルコール
エーテル
コロジオン

2)硝酸
 大正標本では硝酸のみ採られているが、昭和標本では硝石と硫酸があり、硝酸を硝石から合成することが示されている。本論末尾の付記のように、アンモニア酸化法による硝酸がS4年からセルロイド生産に使用されており、古い方法をあえて取り上げたことになる。このような時期に旧来の硝石法をあえて採ったのはなぜだろう。例えば最大のセルロイドメーカーであった大日本セルロイドでは切り替え反対論もあったことが知られており(2)このことと関連があるかもしれない。
3)硝化綿
 昭和標本は「硝化紙」としている。これは精製セルローズが薄紙(ティッシュ)となっていることに対応している。硝化工程にティッシュ法が採用されているためだ。一方、大正標本は硝化工程を詳しく記載しており「酸混合→硝化液→粗硝化綿→水洗→乾燥」と中間物標本によってたどれるようになっている。
4)樟脳混和
 昭和標本は硝化綿と樟脳から硝樟板を得ている。これは捏化機混練を想像させる。一方大正標本は(エーテル、アルコール)に硝化綿を溶解させコロジオン液をまず作る。これに樟脳を溶かし込みセルロイド液を作り、脱溶媒してセルロイドを得ることになっている。つまり、混和を液状(それもかなり希薄な)で行っていることが推察できる。脱溶媒がどのような方法だったか興味がある。このプロセスはあまり知られていないので、大正期に実在したのかどうかも含め調査を続けたい。
5)着色
 昭和標本では顔料と染料を採用して、生地製作工程に着色を位置付けているのに対し、大正標本では全く触れていない。
6)製品、中間製品
 昭和標本が板、柄板を含め豊かな構成になっているのに対し、大正標本は2種類の製品(写真がないので具体的には分からない)が採られているのみである。昭和期にはいり用途が拡大し、身近な材料になったことを反映しているものと考えられる。
7)変遷まとめ
 大正標本は洗浄、乾燥のような基本操作を詳細に説明している。これに対し、昭和標本は実際の工場生産、具体的な用途を反映させたものになっている。セルロイドがより深く認知され、身近な材料になったことが背景にあると推察される。

4.目録について
1)島津製作所標本部について
 目録まえがきによると同社は研究機関の要請に応じて実験器具を作ってきた。その中で標本や教材模型の製作も引き受けるようになった。この分野を分離させたのが標本部だ。本標本は初等教育用にも作られたものだ。製作にあたっては教育内容とよく合致するものが選ばれたと記されている。
2)目録の構成とセルロイドの位置づけ
 目録は「初等教育博物学標本目録」と称し、目次は表3のような構成になっており、まえがきには「理科ニ含メル博物ヲ教授スルニ必要ナル標本模型(中略)等を蒐集セリ」と記されている。

表3目録(昭和8年版)の概要
分類 概要
動物 それぞれが4,5,6年、高等に分かれている
植物
鉱物
生理 4,5,6年、高等に分かれている
一般工業 高等1年 ガラス、陶器、セメント
高等2年 炭水化物、アルコール、脂肪、肥料

このうち材料関係を抜き出してみると、
  ・石油、石炭:鉱物5年
  ・カイコ、製糸、絹:動物5年
  ・羊毛:動物高等、
  ・ゴム:硫黄に関連づけ、鉱物5年
  ・人造繊維、セルロイド:一般工業高等2年の炭水化物  でそれぞれ扱われている。
 より一般的な木材、パルプ、紙、木綿はほとんど扱われておらず、わずかに木材、竹の標本が5年植物で採られている程度だ。それも植物生理の一環として扱われており材料としての視点は感じられない。おそらく、材料としての木材、木綿はあまりにも身近で標本としての価値が小さかったのであろう。
 一般工業標本はガラス、陶器、ガラスの無機材料が高等1年にあてられている。2年は、炭水化物、アルコール、脂肪、肥料であり、肥料が有機無機双方にまたがっている以外は有機物で、学年ごとに有機無機が振り分けられているのは偶然かもしれないが興味深い。
 具体的な項目を見ると、整然と分類されているわけではない。セルロイドは炭水化物の流れの中で登場する。最初に登場する炭水化物は糖、でんぷん、セルローズを集めた標本だ。そのあとに人造絹糸(レーヨン)が登場する。人造絹糸はビスコース法のみでなく銅アンモニア法(ベンベルグ)や酢酸セルローズ繊維(アセテート)硝酸セルローズ繊維(シャルドンネ人絹)が登場する。アセテートやシャルドンネ人絹は当時日本では企業化検討段階にあった(シャルドンネ人絹は企業化されず、アセテートの企業化は戦後)。採用理由、入手法などに興味がある。この標本は島津資料館に展示されている。特にシャルドンネ人絹はほとんど残っていないと思われるので(私も実物を見たのは初めて)世界的に見ても貴重な資料だ。
 人絹の後にセルロイドが位置付けられており、アルコールに続く。アルコールは発酵と関連させ、酒の他、味噌・醤油も扱っており、むしろ発酵食品と見るべきだ。その後に続く脂肪では石鹸が扱われている。アルコール、脂肪とも炭水化物だが、目次では独立した項目を設けている。
 最後に登場する肥料の詳細は不明だが、動物、植物、鉱物、無機肥料が採用されている。

5.本標本の位置づけ
 目録を見ると、当時の理科教育の豊富さに驚かされる。正確に調べたわけではないが、現在の教育、特に義務教育では金属は比較的詳しく教えられるが、生活に密着している、プラスチック、繊維、紙などの有機材料、ガラス、陶磁器などの非金属無機材料はほとんど扱われていない。
 理科教育の目的が「自然現象を理解する」ことにあるから、自然現象の理解に資するものはより詳しく取り上げられることは当然であろう。初等理科教育で金属がより詳しく取り上げられ、プラスチックにはあまり触れられないのはこの文脈から一応理解できる。このような発想からすると、戦前にセルロイドが初等教育段階で取り上げられていることは驚異的だ。別の発想があったのではないだろうか。
 それは高等科の性格に起因するのではなかろうか。高等科は上級学校への進学を前提としていないので、卒業後は実社会で生活することになる。このため、実用知識、実務知識が重視されたのではなだろうか。例えば陶器の項目を見ると、有田、瀬戸など産地別の標本が準備されている。限られた教育機会の中で陶器の産地を区分することは理科教育の枠組みの中に組み込むことは考えにくい。この点は教育学史的な面から考える必要がある。

6.結言
 セルロイドの教育用の標本を目録記載と対比することで本標本が製作、活用された時期をより明確に絞り込むことが出来た。また、歴史の流れの中でセルロイドの位置づけが少しずつ変わっていったことも感じられた。ただし、関連する教育史、産業史全体の流れの中で把握することが出来ておらず、位置づけが明確に出来たわけではない。この点を補いつつ本標本の特徴をさらに追求していきたい。

7.謝辞
 本報は標本をご提供いただいた、お茶の水女子大学附属中学校教諭前川哲也先生、目録閲覧の便宜を図っていただき、様々なご教授を戴いた島津製作所創業記念館高橋綾子様の午後支援によって作成することが出来た。ありがとうございました。

8.参照文献
(1)セルロイドサロンNo.228、(http://www.celluloidhouse.com/salon228.pdf)
(2)森田茂雄編 非庵森田茂吉 S39,8 P8


(付記)

硝酸製法の変遷

 日本でセルロイドが製造されるようになったころ、硝酸はチリ硝石と硫酸を反応させて作っていた。ところが空中窒素からアンモニアが合成されるようになると、これを酸化して硝酸を生産するようになった。この製法は経済的に極めて有利だったため、急速に転換した。特に濃縮技術が完成し、使いやすくなるとセルロイド用もアンモニア酸化法に切り替わった。

付表1硝酸製法切り替え関連事項年表
日本窒素肥料(1) 大日本セルロイド(2) 本標本
1923(T12) 空中窒素固定アンモニア生産開始    
1827(S2) アンモニア酸化法硝酸製造開始    
1929(S4) 濃硝酸製造開始 硝石法硝酸製造停止  
1933(S8)     目録掲載
注 (1)旭化成八十年史P72 2002,12 旭化成
  (2)ダイセル化学工業60年史P347 S56,9 ダイセル化学

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