研究調査報告書
平井 東幸
業界団体機関誌からみる戦後の関西セルロイド産業(その11)
セルロイド産業史25

1.昭和34年:岩戸景気と不況対策で業況回復
 これまで同様、『関西セルロイド情報』(関西セルロイド工業協同組合の月刊誌)を利用して昭和34(1959)年の業界の動きを概観しよう。
 この年は、前年の戦後初の世界同時不況から立ち直り、セル業界も年半ばから業況をやっと回復できた。欧州では、英国を旗手にEFTA(欧州自由貿易連合)が結成された。これは前年に発足した今のEUの前身であるEEC(欧州経済共同体)に対抗するためであった。国内では、皇太子明仁親王と正田美智子がご成婚、メートル法施行、最低賃金法公布、児島明子がアジア出身で初めてミスユニバースの選出されたのも、この年だった。流行歌では、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」が大ヒット、ファッションではシームレスストッキングが流行し男性諸兄の注目を浴びた。

2.セルロイド生地業界、不況カルテルで業況回復へ
 生地業界では33年4月からは通産省による勧告操短を開始したが、市況回復の効果はなく、昭和33年12月に不況カルテル結成が認可された。生産実績を半減する内容、しかし、市況の改善は見られなかったため、追加的に価格カルテルが実施された。カルテル「参加者の対象品目(輸出生地を除く)を販売する最低価格を次の通りとする」(表1)ものであった。こうしたカルテルの運営を行うためセルロイド硝化綿工業会内にカルテル業務委員会が設置され、各社からの出向社員がその業務を担当した。
 この結果、市場は、官民挙げての不況対策を好感して、輸出引合いも幸い回復、加えてカルテルのアウトサイダーが無いこと、また昭和34年10月には旭化成が、同年11月には中谷化学がそれぞれセルロイド生地の製造を中止したうえに、永峰化成が再製生地の生産から撤収したこともあって、漸く業況は回復し、このカルテルは1年限りで打ち切られた。

表1セルロイド新製生地の最低裸価格
品種 価格(円/`)
色板 450
透明 480
白板 480
こはく 450
柄板 600

(注)削増および艶付料を含まず。


3.生地生産と輸出動向
 33年の生地生産推移をみると(表2)、新製、再製とも大きく減少し、両方合わせて 5,714dと前年比32%もの減産であった。この数値はにわかには信じがたいものであった。33年は当初の自主操短、ついでの勧告操短が実施されただけに、メーカーの報告する数字の信憑性には、業種を問わず、疑問視されたのではないだろうか。
 昭和34年の生産動向を月別にみると、表2のように不況カルテルで認可された範囲(概ね月390dプラス・マイナス10%)に概ね止まっている。カルテルの対象ではない再製生地についても逐月大幅な減産になっているが、当時の著しい需給失調を反映しているようだ。同年の年間生産量は5,434dと前年比5%減であった。2年にわたる大幅な減産であった。

表2 セルロイド生地生産の推移(単位:トン)
年次 新製生地 再製生地 合計
昭和28 6,020 1,400 7,420
   29 6,716 1,638 8,354
   30 6,704 1,499 8,203
   31 6,277 1,503 7,780
   32 6,866 1,429 8,295
   33 4,684 1,030 5,714
   34  1月 356 69 425
      2月 382 75 457
      3月 392 76 468
      4月 358 84 422
      5月 376 61 437
      6月 392 67 459
      7月 386 61 447
      8月 388 58 446
      9月 405 48 453
      10月 411 50 461
      11月 433 53 486
      12月 384 56 440
年計 4,675 750 5,434

(出所)『セルロイド情報』1959年9,12月号ほか


 生地と製品の輸出をみると、33年は、世界的な不況の進展とプラスチックの一層の市場進出で目標の30億円を2割近くも下回る2T億円強に止まった。それにも拘わらず、通産省輸出会議では34年目標は製品の伸びを再び大きく期待して27億円とした。努力目標にしても大きな目標ではあった。セル製品輸出に大きく依存していた当時の業界を考えると輸出に引き続き大きく期待するのは当然であったかもしれない。

表3 セルロイドの輸出実績と目標(単位:億円)
年度 生地 製品 合計
昭和31年(実績) 5.77 16.16 21.93
(目標) 6.45 18.20 24.65
昭和32年(目標) 7.72 22.00 29.72
(実績) 6.27 17.50 23.76
昭和33年(目標) 6.57 23.40 29.97
(実績) 4.58 16.80 21.38
昭和34年(目標) 5.83 21.20 27.03

(出所)同誌1959年4月号


4.昭和34年のトピックス
 業界をめぐるトピックを同誌からいくつか紹介してみよう

1) セルロイドから塩ビへの転換進む
 度々引用している『関西セルロイド・プラスチック工業協同組合創立75周年、設立40周年記念誌』(平成2年、同組合刊行)のこの年の概要として次のように記述している。
 「戦後合成樹脂材料の主流はセルロイドから塩ビ及び他の汎用プラスチックへの転換が追々具体化してきたが、特に昭和34年は此の現象が表面化してきている。
@ 6月1日付で筒中セルロイド鰍ェ筒中プラスチック工業鰍ヨ社名変更
A 8月8日付で滝川セルロイド鰍ゥらタキロン化学鰍ヨ社名変更、セルロイド部門を分離してタキセル商事鰍創立
B 10月1日付で中谷セルロイド鰍ゥら中谷化学鰍ヨ社名変更し、セルロイド生産を中止
C 10月旭化成工業鰍フセルロイド事業中止の発表
これら一連の材料メーカーの発表に伴い加工業者も社名変更、事業の転換がみられセルロイド業界の変貌が急速に具体化した1年であった。」と回顧している。
 因みに、旭化成工業は『月刊セルロイド情報』1959年12月号に社告を出して次のように述べている。「業界挙げて・・・生産制限および価格に関する協定を結成する等事態の解決の努力してまいりました。然しながら生産者全体の設備能力は依然として現在の有効需要を遙かに上回り・・・弊社としては・・・化成部門の総合的な体質改善にも資するため、本年10月を以って自発的にセルロイドの生産を中止することに致しました。・・・今後につきましては、従来の弊社代理店が大日本セルロイド株式会社殿の御好意により、引き続きセルロイドの販売業務を行いますので・・云々」
 このように昭和34年は、セルロイド業界はいよいよ大きな転換を余儀される局面に入った一年であった。

2) 組合機関誌の表紙にプラスチックの造花
『月刊セルロイド情報』の表紙は、昭和34年新年号から6月号までの半年間、ソフトビニルとポリエチレンの造花が掲載されることになった。昭和プラスチック鰍フ提供になるもの。組合機関誌の顔もプラスチックに転換して時代はセルロイドからプラスチックへの大きく舵を切った。

3)優良品推奨制度の導入等
 業界では塩ビ等の進出に対抗するため優良品運動を展開してきたが昭和34年には「製品に対する責任を明確にするため、登録工場制度をとり、優良品証紙には当該工場番号を印刷表示している」(同誌3月号)。実際の業務は、関西セル協組、関東セル協組連合会が行った。また、大阪輸出商品特別展示会や東京国際見本市(24か国が参加)に生地メーカー、製品メーカーが多数出展した。

5.おわりに
 この昭和34年は、年の後半から漸く業況が回復を見せることになった。不況カルテル結成と輸出引き合いの復活、一部企業の生地生産からの撤収等が功を奏したもの。しかし、セルロイド業界の業容は、これ以降は昭和32年のピークに戻ることはなかったのである。素材のセルからプラスチックへの転換が本格化したからである。

 この稿についても、セルロイド産業文化研究会の大井瑛大阪代表のご点検頂きました。
 ここに記して謝意を表します(2019年5月9日)


著者の平井東幸氏は、東京産業考古学会理事、葛飾区伝統工芸審査委員長で、元嘉悦大学教授、千葉県在住。

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