研究調査報告書
平井 東幸
業界団体機関誌からみる戦後の関西セルロイド産業(その12)
セルロイド産業史26
1.昭和35年:高度成長の開始
 今回も『関西セルロイド情報』(関西セルロイド工業協同組合の月刊誌)を利用して昭和35(1960)年の業界の動きを概観しよう。
 敗戦後15年のこの年には、5月には新安保条約が強行採決され、年末には国民所得倍増計画が発表されてその後の高度成長期を迎えることになった。
 海外では、アラブ産油国によってOPEC(石油輸出機構)が結成された。国内では、都内の電話局番が3ケタとなり、テレビ受像機が500万台を超えた。本格的なカラーテレビ放送が開始されたのも、この年だった。流行歌では、松尾和子とマヒナスターズの「誰よりも君を愛す」がヒット、Gパンが流行し、プレハブ住宅が登場した。因みに、当時の所得レベルを国際比較すると、わが国の一人当たり国民所得は294ドル(89,640円)で、米国の12%、欧州諸国の3分の1、世界で27番目という低水準であった。まさに今昔の感がある。

2.セルロイド業界、業況回復へ
 セル業界も業況は大幅に回復した。玉不足現象も現れて、その回復ぶりは大方の予想に反したほどであった。
 その理由は、@不況カルテル実施(生産制限と最低価格の設定)の効果、A世界的な景気回復のなかでの輸出引き合い増加、Bメーカー3社の撤退(昭和34年には旭化成、中谷化学、永峰化成が生地生産から撤収)C業況回復で仮需の発生、であった。
 35年の生地生産推移をみると(表1)、新製、再製ともほぼ横ばいで、合計で5,457dと3年連続の6千d割れであった。35年も生産が回復しなかったのは、上記3社の撤退が主因であろう。

表1セルロイド生地生産の推移(単位:トン)
昭和 新製生地 再製生地 合計
30 6,704 1,499 8,203
31 6,277 1,503 7,780
32 6,866 1,429 8,295
33 4,684 1,030 5,714
34 4,675 750 5,434
35 4,698 759 5,457
(出所)『セルロイド情報』1960年12月号ほか 

 製品の輸出をみると、34年は、市況回復で、目標値を達成し22億円弱であった。
 これにはプラスチック製も含んでいる。昭和35年の予想は39億円と意欲的であるが、これは製品の値上がりに加えて、ソフトビニール製玩具の目覚ましい躍進、空気入りビニール玩具の好調が指摘されている(同誌4月号)。つまり、セルロイド製品が増えるのではなく、塩ビ製品が大きく増加すると見込んでいるもの。なお、これに生地輸出900d、164万ドルが加わり、強気の輸出予想であった(従来は表現が輸出目標であったが、35年から輸出予想となった)。なお、昭和35年の実績をみると、製品は44.8億円と大きく伸長したが、そのうちセルロイドは14.7億円と近年の趨勢として横ばいであった。

表2 セルロイドの輸出実績と目標(単位:億円)
年度 生地 製品 合計
昭和33年(目標) 6.57 23.40 29.97
(実績) 4.58 16.99
(14.11)
21.57
昭和34年(目標) 5.83 21.20 27.03
(実績) 4.99 16.19
(14.99)
21.18
昭和35年(予想) ・・ 39.40 ・・
 (出所) 同誌1960年4月号ほか
 (注) 括弧内はセルロイド製品

3.昭和35年のトピックス
 業界をめぐるトピックを同誌からいくつか紹介してみよう。

1)  生地の品不足
 意外なことではあるが、34年秋ごろから生地の不足が表面化した。同誌3月号によると、「生地の品不足は春の需要期に入って、いよいよ深刻になってきた・・・今や需要が賄いきれない始末である・・この対策をどうするか、新年早々の業界の課題となってきた」と。そもそも33年末以降、需要量以下に生産を制限して、メーカーも問屋も加工業者でもストックの減少を図ってきたのだから当然だろう。加えてメーカーの生産中止もあったころに、消費景気で需要が増加したと。仮需の増加もあって1年前には予想もできない程の需給逼迫が現出したのであった。このため、関西と関東のセル・プラ製品工業協同組合では、相次いでセルロイド硝化綿工業会に対して生地の入手に困難を生じないよう生産計画を立てることと、併せて需要振興を趣旨とする要望書「セルロイド生地の需給並びにセルロイド需要振興策についてのお願い」を3月に提出した。因みに、6月の生地生産はようやく新製生地撤退メーカー分を補てんするまでに回復した(同9月号)。

2)セルロイド分野への塩ビの進出状況
 こうした状況のなかで、セルロイド分野への塩ビの進出は大きく進展した。表3はセルの品目別素材別生産状況である。

表3 生産年額(セルロイド・プラスチック別)(単位:100万円)
品  目 セルロイド プラスチック 合  計
眼鏡 360 91 451
377 20 397
容器・文具 267 109 376
定規 37 72 109
刷子 267 626 893
万年筆 121 42 163
腕輪 73 73
造花 395 395
雑貨 91 109 200
部品 394 394
91 59 150
卓球 55 55
自転車部品 85 11 96
洋傘柄 70 13 83
靴ベら 8 8
玩具 14 11 25
オーナメント 2 18 20
ブローチ 2 0 2
カラー 29 29
合  計 1,943 1,971 3,914
 (出所)同誌1960年5月号
 (注)年次の記載がないが、昭和34年かと思われる。

 セルロイドの強い分野とプラスチックが進出している用途が示されている。
 前者には、眼鏡フレーム、櫛、腕輪、卓球、カラー(学生服の)などがあり、セルの優れた機能が発揮される分野である。他方、造花、刷子、定規、部品などではプラスチックが性能と価格で代替が進展している。当時のセルとプラとの競合関係が伺われて真に興味深い。

3) 関西のセルロイド工場の構造
 同誌の5月号には、関西地区工場実態調査(昭和35年3月)が掲載されている(表4)。

表4 関西地区工場実態
摘  要 東成 生野 布施 その他 合計
法人 14 16 23 35 88
個人 10 27 20 18 75
24 43 43 53 163
再製、その他 2 34 17 -- 53
合計 26 77 60 52 216

 調査対象企業は216社、その内訳は、法人88社、個人75社、再製・その他(下請け関係)が53社である。 法人88社の資本金規模別にみると、100万円未満が32社、100万以上300万円未満が39社と小規模企業が多いが、他方で1000万以上が4社ある。
 従業員数規模別にみると、法人と個人合わせた163社のうち、10人未満が63社、10人から20人が36社と小規模が主体であるが、他方で100人以上の企業が2社ある。年齢別には、全体が3,352人であるが、20歳以下が743人、21歳から30歳が1,273人と若い層が主体であった。このように昭和35年現在でもセルロイド工場は中小が殆どであり、家庭内職を含めた下請け体制が、セル製品製造の構造であったが分かる。

4.おわりに
 この昭和35年は、年初から業況が本格的に回復を見せ、生地については品不足が問題になるほどであり、業況は前年に比べて様変わりとなった。不況カルテルの効果、輸出引き合いの復活、3社の生地生産からの撤収等が功を奏したもの。しかし、そのなかで、素材のセルロイドからプラスチックへの転換は着実に進展し、セルロイド業界は不況からは脱出したものの、昭和30年代初期をピークに縮小均衡に向かっていたのである。
 この稿についても、セルロイド産業文化研究会の大井瑛大阪代表のご点検と追加情報の提供等を頂きました。ここに記して謝意を表します(2019年5月23日)。

著者の平井東幸氏は、東京産業考古学会理事、葛飾区伝統工芸審査委員長で、元嘉悦大学教授、千葉県在住。

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