研究調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平井 東幸 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭和36年の業界動向・・組合機関誌からみた関西セルロイド業界(その13) セルロイド産業史27 |
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1.昭和36年:高度成長と消費ブームへ 今回も『関西セルロイド情報』(関西セルロイド・プラスチック工業協同組合の月刊誌)をベースに昭和36(1961)年の業界動向を概観しよう。 この年には、経済成長率が14.5%と高度成長期の最高を記録した。レジャーブームとなり、登山客224万人、スキー客も100万人を突破した。日紡貝塚の女子バレーボールが欧州遠征して無敗で帰国、「東洋の魔女」と称賛された。流行語では、「巨人・大鵬・卵焼き」が、ファッションではシームレス・ストッキングが流行り紳士諸君の目を引くことになった。産業界では、通産省が水島・徳山の石化センターを認可した。 海外では、年初にケネディ大統領が就任、ソ連の宇宙船が地球1周飛行に成功、東ドイツがベルリンの壁を構築と東西の対立が一層激化した一年であった。 2.セルロイド業界、生地玉不足へ セル業界も消費ブームも追い風となり、生地の玉不足が深刻化する程であった。昭和36年の生地生産推移をみると(表1)、再製は横ばいながら新製は前年12%のアップで3年ぶりに5千d台を回復した。 表1セルロイド生地生産の推移(単位:トン)
輸出をみると、35年は市況回復で、強気の目標すら若干上回る好調で、製品は40億円を達成した。生地はやや減少したが、これは国内需要の旺盛で輸出が抑制されたのかもしれない。なお、これにはプラスチック製も含むこと、昭和35年から輸出目標が輸出予想に変更されたことにも留意したい。貿易自由化が進む中で目標値の設定は避けられたのであろう。 表2 セルロイドの輸出実績と目標(単位:億円)
3.昭和36年のトピックス 業界をめぐるトピックを同誌からいくつか紹介してみよう。 1) 生地、製品の値上げ相次ぐ 供給力不足と、他方の仮需を含む需要の増大の中で、値上げが実施されたのもこの年の大きな特徴であった。生地は7月位から10%(キロ当たり30〜70円アップ)、製品も容器関係は8月から25%、櫛は年初の1月に1割方値上げしたが、さらに9月から同じく25%と大幅な値上げ発表であった。ピンポンボールも9月から価格改定した。理由は、「原料や副資材の値上がり・・・運賃その他の諸経費の上昇であった」(同誌1961年11月号12ページ)。このように生地の需給が逼迫するなかで、加工賃も上昇し、原料から製品まで広く価格が上昇した。生地の値上げは実に10年ぶりであった由、市況は昭和26年に設定された標準価格も以来つねに下回っていたという。 2) 地域別の生地の生産と消費の推移 セル生地地域別生産シェアをみると(表3)、ダイセル網干工場のある兵庫県が最大でそのシェアは増加して昭和35年には6割弱となっている。九州は34年で生産は終息したが、関東はシェアを徐々に増やし35年には3割になっている。大阪は10数%で横ばいから低下傾向にある。同年現在で関西7割に対して関東3割となっている。以上は、新製と再製との合計である。 因みに、近年の事業撤収をみると、昭和34年8月、東京長峰化成が再製生地製造を廃業、同年10月大阪中谷化学が新製セル生地の製造を廃業、前者同様硬質ビニール板に転換した。さらに、昭和35年2月旭化成工業が新製生地製造を停止。同年3月東京大成化工は、新製セル生地製造を廃止、再製セル生地製造に専念した。 表3 地域別の生産シェア(単位;%)
次に、消費についてみると、「大別関東が40〜45%、関西が60〜55%となっているが、最近の平均は関西58%、関東42%。すなわち、関西310d、関東平均190dとなっている。この中は、ほとんど関西が占める輸出生地60dを外すと、関西は250dとなり、両者比は関西57%、関東43%となる訳。輸出には前期生地輸出を含めて全量の32%、内地が68%となっている」(5月号8ページ)。つまり当時のセルロイドの輸出比率は32%であり、依然として輸出のウエイトは高かった。 3)生地の用途別投入量の推移 昭和33年から35年度の用途別の生地投入量は、490d、470d、480dと推移した。その内訳は表4の通りで、増勢にあるのは、腕輪、櫛類、眼鏡フレームなどの柄物である。その他の用途は概ね横ばいないし減退気味である。投入量の多い品目としては、眼鏡フレーム、櫛類、化粧容器、玩具・置物で、全体の過半を占めている。 表4 生地の用途別投入量(単位:トン)
4.おわりに この昭和36年は業況が大きく回復した。生地については「一昨年来の業界再編成後の生産体制が整わないうちに、消費ブームで需要が活発化し、このため供給が間に合わない事態となって」、品不足が深刻化し、値上げが相次いだほどであった。そのなかでも素材のセルロイドからプラスチックへの転換はさらに進展した。性能、価格面のプラの優位性は争えないものになっていたからであろう。 なお、この年の初めに大日本セルロイド鰍ヘ、それまでのセルロイド部とプラスチック部を統合して、セルロイド・プラスチック部としたし、同じく5月には、関西セルロイド工業協同組合はその名称を関西セルロイド・プラスチック工業協同組合に変更した。これは「業界の大勢がセルロイドより汎用樹脂への材料転換が昭和30年前後より急速に進行し、一般プラスチックが成長産業として驚異的な伸びを示した時代の大勢を反映したもの」(同組合75周年記念誌)。セルロイド業界は最大の曲がり角を迎えていたのであった。 この稿についても、セルロイド産業文化研究会の大井瑛大阪代表のご点検と追加情報のご提供を頂きました。ここに記して謝意を表します(2019年8月22日)。 |
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著者の平井東幸氏は、東京産業考古学会理事、葛飾区伝統工芸審査委員長で、元嘉悦大学教授、千葉県在住。 |
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