セルロイドサロン
第10回
松尾 和彦
お口の中にもセルロイド
 「とうれんのにゃいろん」と聞くと一体何のことかと思うが、今東光によるとこれが「東レのナイロン」なのだそうだ。今が住職をしていた八尾市一体は家内工業が盛んで、歯ブラシ製造もその一つであった。今が言うところの「とうれんのにゃいろん」で柄を作り、豚の毛を植え付けて歯ブラシにしていた。
 この歯ブラシの歴史は古く人間がまだ穴居生活をしていた頃から葉を磨くという習慣があったと言われている。お釈迦様は歯木と言われる木などを何回も噛んで、ささら状になったもので歯の表面を磨いていたのである。また古代エジプトではチェースティックと呼ばれる棒状のもので磨いたりしていた。他に植物の繊維で歯の表面をこすったり、指に塩をつけて磨いたりしていた。
 日本に歯を磨く習慣と言うよりも歯木を噛む習慣は五三八年の仏教伝来と同時に伝わったと言われている。その後、房楊枝とよばれる楊枝で歯の表面をこすったりする習慣が生まれたことが、遺されている絵などで確認できる。
 歯ブラシらしいものが現れたのは中国の王の墓から象牙に二列に植え付けたものが発見されているので、これが原型かと思われる。ヨーロッパでは意外に遅く十八世紀になってからと言われている。また日本で初めて「歯ブラシ」が作られたのは一八七二年(明治五年)のことで、言葉が使われたのは一八八○年(明治二十三年)に行われた内国勧業博覧会であった。
 最初の頃は動物の骨や木などが柄に使われていたがセルロイドを使うようになると、日本が一気に世界最大の歯ブラシ王国となる。特に今がいた大阪は今でも歯ブラシ生産日本一を誇っている。
 このセルロイドのブラシは戦後、特に一九五五年(昭和三十年)頃からは、各種の合成繊維に変わって現在に至っている。

 歯磨きを幾ら一生懸命にやっていても歯が抜けてしまうことがある。野生動物では歯が無くなるのは死を意味するが、幸いにも人間には入れ歯という便利なものがある。
 この入れ歯は世界最古の人工臓器と言われ古代エジプトやギリシャの遺跡から部分入れ歯が発見されている。また日本では柘植の木を台にして蝋石で歯を作った入れ歯が江戸時代に作られている。この総入れ歯を作る時に蜜蝋を使って型を取るという技術は日本が世界に先駆けたもので誇れる歴史である。
 しかしこれらは食べ物を噛むというよりも歯が抜けて見栄えが悪くなったのを矯正するという意味合いのほうが強いものだった。ただし日本の総入れ歯には金釘が打ってあり噛み合わせということも考えてはいる。
 アメリカのハイアットがセルロイドを発明したきっかけが、ビリヤードのボールに使うためであったということは有名だが、彼の兄弟が設置した会社はビリヤードボールではなく入れ歯の台を作るのを主な仕事としていた。
 それまではゴムを台にしていたために装着感が悪かったり、異物がたまって不潔になったりしていたのだが、セルロイドは軽く、装着感がよく、清潔で、丈夫であったためにたちまちにして入れ歯の台の主流となった。
 その後、入れ歯の材料としてポーセレン、レジンなどが使われるようになって現在に至っている。
 このようにセルロイドには、口の中まで使われたという歴史がある。

著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。

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