セルロイドサロン
第101回
松尾 和彦
薩摩藩と樟脳



 鹿児島へ旅行に行くと「南に来たな」という感じがします。空はどこまでも青く、街路樹はソテツ、シュロ、ワシントンヤシ、フェニックスなど日本のものではない樹木が青々とした姿を誇っています。錦江湾を渡ってくる風は冬でも暖かく、この地は住みやすくて豊かな場所だろうなと思わせます。



 鹿児島は薩摩藩と呼ばれていた時代から裕福であっただろうと思いがちですが、実際には指折りの貧乏藩だったのです。薩摩藩の石高は七十七万石と伝えられていますが、それは表高で実際には半分にも満たない三十五万石がやっとでした。

原因は観光名所となっています桜島です。桜島は見た目には力強く雄大なのですが、吐き出される大量の火山灰によるシラス台地は痩せていて米作に適していません。また雨が降るとすぐに崩れて大被害を生じます。鹿児島県すなわち薩摩藩は桜島の他にも霧島山、開聞岳などからの降灰によるシラス台地が半分以上を占めています。

この厄介な土地は中世頃までほとんど開発がなされませんでしたが、江戸時代の中期に至ってサツマイモ、大豆、アブラナが栽培されるようになってから開発が進展しました。



 この元々貧乏になる要素を持った薩摩藩は、数多くの郷士を抱えていたために士分の者が全人口の四十パーセントを占めるという頭でっかちで、いびつな人口構成でした。当時の日本の人口で士分の者は一パーセントにも満たなかったのですから、薩摩藩の異常さが際立っていたことが分かります。

 さらに薩摩藩は常に幕府から睨まれ有名な宝暦治水を始めとする数々のお手伝い普請に駆り出されて、多額の金子を費やされることとなりました。



 これらが重なって天保年間(1830〜49)頃には五百万両もの借財を抱え年間利息だけで八十万両に達していました。当時の薩摩藩の年収が十二〜十四万両ですから如何に多額であったかが分かります。

 この両という円に換える薩摩藩の置かれていた状況が理解できます。年収が百二十万〜百四十万円の人が五千万円の借金を抱えていて、利息だけで毎年八百万円を支払うのですから、何時まで経っても払いきることは出来ません。むしろ増える一方です。

 この絶望的状況にあって家老の調所広郷が取った策は分割払いでした。その期間は何と二百五十年に渡っての分割払い、しかも無利子です。二千八十五年までの契約ですから、まだ続いているはずですが明治五年(1872年)に明治政府つまり薩摩藩によって債務の無効が宣言されてしまいました。為政者というものは何時も身勝手なものです。



 この薩摩藩の特産品の一つが樟脳でした。鹿児島は日本一の大樟として知られている大木を始めとして数多くの樟が自生しています。元々亜熱帯性の植物なので鹿児島つまり薩摩の気候風土が適していたのです。

 江戸時代は鎖国政策を行っていましたが出島を通して行われていたオランダ貿易において輸出品の第一位は金銀、それに続く第二位が樟脳でした。元禄十四年(1701年)には八千斤余り、宝暦元年(1751年)には三万七千斤余りを輸出しています。一斤は六百グラムですから二十二トン以上もの樟脳を輸出していたことになります。

 当時ヨーロッパで流通していた樟脳は、ほぼ全量が日本からの輸入品で日本での生産は、ほぼ全量が薩摩産でしたからヨーロッパでの樟脳は薩摩産だったことになります。

 これは中国向けでも同じで明和二年(1765年)には十六万五百斤、ペリーが浦賀にやってくるよりも三年前の嘉永三年(1850年)には四万六千斤を薩摩から中国へ輸出していました。

 このような状況は明治初期まで続き明治五年(1872年)には中国に四万斤、オランダへ八万斤の樟脳を長崎から輸出しています。



 このように樟脳は世界的貿易商品で薩摩藩の財政を支える重要産品でしたので専売制を採っていました。樟脳が明治三十六年(1903年)から昭和三十二年(1962年)まで専売制品であったのは薩摩藩の政策に習ったものです。

 樟脳は薩摩藩の経済再生に大きく寄与して雄藩へと育つ手助けをすることとなりました。薩摩が長州とともに徳川幕府を倒して明治政府を作ったのですから、樟脳が日本の歴史を変えたと言ってもいいでしょう。



 このようにセルロイドの主要原料である樟脳は薩摩、日本、ヨーロッパ、中国などに大きく関わっていたのですが、今では台湾が主要産地となっています。



著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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