セルロイドサロン
第102回
松尾 和彦
インドと樟脳



 人口十二億を有するインドは、このところ経済産業において著しい発展を遂げています。特にITや宇宙関連などのハイテク産業に関しては世界的な地位を築いています。

 インドのこのような発展はゼロを発明したことや、九九においても二十×二十まで教えるなど元々数学に強いという民族性もありますが、インドの特徴の一つであるカースト制度があります。カーストは大きく分けると四つ、細かく分けると数え切れないほどあります。さらにカーストに区分されず最下層扱いされる人も約一億人と言われています。カースト間の結婚は不可能で就ける職業も定められていて、下級カーストの人は人々が忌み嫌う汚れ仕事にしか就けず、どんなに頑張っても上のカーストに進むことは出来ません。

 ところがこの制度が出来ていなかった職業の人はカーストに縛られることがありません。ハイテク産業は、もちろん存在していなかったものなので下層カーストの人々が抜け出す手段としているのです。ですから最近の経済産業の発展は下層カーストの人々によるものです。インドの社会を複雑にして発展を遅らせてきたカースト制度が一方では発展に寄与しているという皮肉な現象となっています。



 インドのこのような状況は約八割の国民が信仰しているヒンドゥー教によるものです。バラモン教から発展したヒンドゥー教は聖典だけでなくカースト制度も引き継ぎました。バラモン教は紀元前二千年頃に発生していますから既に四千年もの間カースト制度に縛られているわけです。もちろん公式には1950年に廃止されているのですが、そんなに長い間続いてきたものですのでなかなか振り払うことが出来ません。そのため仏教、イスラム教、キリスト教などに改宗したり、ハイテク産業に従事したりするようになるわけです。



 インドのヒンドゥー教に特徴的な現象として焼香に樟脳を使用することがあります。焼香といいますと葬儀の際に行うものと考えてしまいますが、実際には日々の線香を上げるのも焼香です。このやり方は宗派によって下記のように異なっています。

真言宗: 線香は三本立てる。焼香は三回押し頂いて行う。
曹洞宗: 線香は一本立てる。焼香は二回。一回目は頂くが二回目は頂かない。
真宗大谷派: 線香は折って寝かせる。焼香は二回で頂かない。
浄土真宗本願寺派: 線香は折って寝かせる。焼香は一回で頂かない。
浄土宗: 特にこだわらない。
日蓮宗:
線香は一本立てる。焼香は三回。


 ヒンドゥー教における焼香は寺院内の集会において行うものですが、異教徒はもちろんのこと外国人が内部に入ることを禁止しているために詳しいことは分からないのですが、小型精製樟脳を使用しています。その回数も量も多いために寺院内部は黒く煤けています。

 昭和の初め頃の話ですが、煙にしてしまうものに純度の高い樟脳を使う必要はないのではないかと考えて改乙樟脳を輸出したことがあります。ところが純度が低く透明度が悪いものを神前で燃やすのは冒涜の恐れがあるとインド側から苦情が出て取りやめになりました。信仰上の用途は簡単に考えてはいけないと思い知られる話です。

 ヒンドゥー教は別にインドだけではなくネパールでは国民の大半、バングラデシュ14%、スリランカ15%など他の国々でも信仰されていますが、樟脳を焼香に使う習慣はありません。また仏教寺院などでも行われていません。さらに防虫剤として樟脳を使うこともほとんどありません。インドでの樟脳の利用目的は、ほぼ焼香に限られています。



 インドでもう一つ特徴的なこととして腕輪の使用があります。その腕輪のほとんどが日本で作られたセルロイド製だった時代がありますが、1930年にガンディーが独立を要望する手段として腕輪の使用を禁止しました。するとたちまち日本の業者が次々に倒産して千四百名以上に上る失業者を出しました。インドの国内事情が日本に思わぬ形で影響をもたらした例です。



 インドは神秘の国と呼ばれることもありますが、このように他の国では行われていない習慣が存在することも理由の一つとなっているのでしょう。




著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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