セルロイドサロン
第109回
松尾 和彦
樟(楠)にまつわる人名あれこれ



 前回は樟(楠)にまつわる地名について書きましたので今回は人名といたします。



 樟磐手

 樟の字がつく人名が最初に現れる例と言ってもいいのが、六七二年の壬申の乱で大友皇子側について吉備国に使わされて当地の国守当摩広島を殺害した樟磐手(くすのいわて)でしょう。

 大海人皇子が挙兵したのを聞いた近江朝廷軍(大友皇子)は各地の軍を挙兵させるために使者を遣わせました。その時に吉備に遣わされたのが樟磐手で、当摩広島は元はと言えば大海人皇子の配下にあったために大友皇子は疑っていました。そのために「もし従わないようだったら殺せ」と命じていました。そのため磐手は符を渡す日に殺してしまいます。

 樟氏については出自など詳しい話は全く不明です。また樟磐手に関する記述は、これだけです。敗北者の側についたのですから殺害されたか追放されたかでしょう。



 楠木一族

 樟(楠)がつく人名として一番有名なのは何といっても正成をはじめとする楠木一族でしょう。

 楠木一族は河内の豪族だと言われていますが河内には、まつわる地名がありません。楠木氏は橘氏の系統で駿河国入江荘楠木村を出自とすると言われています。当時幕府の有力御家人であった長崎氏が河内に領土を持っていたために、楠木氏は河内に移っていったと言われています。現在でも静岡市清水区に「楠」「長崎」の地名が残っていることからすると、この説は有力です。

 で、この楠木一族で一番有名な正成ですが前半生の殆どが謎に包まれていて、はっきり分かるのは挙兵から自刃までの六年ほどです。

 後醍醐天皇の南朝方としてゲリラ戦を得意とし大軍を翻弄した戦いは、後世の人々に語り継がれていきました。

江戸時代に水戸黄門こと徳川光圀が墓を建立した話は有名ですが、かかった時間が半年、費用は何と今の金に直して十億円。光圀は大日本史のために毎年十六、七万石を費やしたと言います。さらにこのような臨時出費がしばしばあったために、水戸藩は江戸時代を通じて財政窮乏に悩まされ続け一揆が頻発しました。このような状況に頭を悩ませたのが「助さん」こと佐々宗淳で、強引に推し進めたのが「格さん」こと安積澹泊です。現実の「助さん」と「格さん」は、あまり仲が良くなかったのです。



横井小楠

 幕末の思想家として知られる横井平四郎は号として使っていた「小楠」として知られています。

小楠は元はと言えば熊本藩士ですが塾を開いて様々な人々に影響をもたらしました。その中には坂本竜馬もいて有名な船中八策の原案は小楠の国是七条でした。他にも明治政府の基本方針の多くが小楠の教えによるものです。

 これほどの人物であったがゆえに守旧派から「日本をキリスト教化しようとしている」「天皇制を廃止しようとしている」といった事実無根の疑いをかけられて暗殺されてしまいました。



 楠本イネ

 シーボルトの娘として知られている楠本イネは元は父の名をもじって失本イネ(しいもといね)と名乗っていましたが、擁護者である伊予宇和島藩主伊達宗城により楠本と名を改めます。

 イネの母親の名前はお瀧ですが、シーボルトは日本を追放されるときに名前を忘れないようにするためにオウムに「おたきさん」と覚えさせます。今でもオウムや九官鳥に「おたきさん(おたけさん)」と呼びかけますが、それはシーボルトが始めたものです。

 イネは父の門下生であった二宮啓作から医学の基礎を石井宗軒からは産科、大村益次郎にはオランダ語、ポンぺから産科、病理を学び、日本女性として初めて西洋式医術を身に付けた産科医となります。

 このように産科医として活躍したイネですが、七十七歳の時に鰻とスイカの食べ合わせによる食中毒という医者らしくないことが元でこの世を去りました。



 大塚楠緒子

 明治時代の歌人、小説家、翻訳家として知られる大塚楠緒子の本名は何と久寿雄。しばしば男に間違えられたために楠緒子と名乗るようになりました。夫の保治は夏目漱石の友人で「吾輩は猫である」に登場する迷亭は保治がモデルであると言われています。

 楠緒子は文学だけでなくピアノや絵画などにも才能を発揮しましたが、インフルエンザがもとで肋膜炎となり三十五歳という若さで没しました。その時に漱石は「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」という歌を作って、あまりにも早く失われた才能を惜しんでいます。



 南方熊楠

 博物学者、植物学者として知られる南方熊楠は七十種もの粘菌類を発見しています。この熊楠という名前は、出身地和歌山の熊野本宮大社とその御神木である楠から取ったと言われています。

 小学校の頃から和漢三才図会の筆写を行ったり、自作の教科書を作ったりと才能を発揮しています。その後、大学予備門(現東京大学)へと進みますが、勉強そっちのけで遺跡発掘や標本採集に奔走したものですから中間試験に落ちてしまいます。これがきっかけでアメリカの大学に入学しますが、ここも校則違反の飲酒により自主退学。

 その後もサーカス団員となったり大英博物館で暴力事件を起こしたりの奇行で知られていますが、その才能は人並み外れていて十九もの言語を操っていました。また戦艦長門の中で昭和天皇に講義を行ったことでも知られています。



 このように樟(楠)の字が名前に含まれる人には個性的な人が多く、それぞれの分野で才能を発揮しています。





著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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