セルロイドサロン
第11回
松尾 和彦
身だしなみにはセルロイド
 身だしなみに使う品物といっても範囲が広い。髪の毛を梳くブラシから化粧用品、服のカラーからボタン、その服をはらうブラシにしても身だしなみに使う品物である。そして自分の身だしなみが整っているかどうかを確かめるために姿を映し出す鏡も含まれる。これら総てにセルロイドが使われていた歴史がある。

 ヘアーブラシとセルロイドとのかかわりは古くて長い。何しろ今でも現役なのだから。人間の髪の毛は体毛と違って伸ばせば無限に伸びてしまう。脂ぎったり、ふけが溜まったり、時には風が発生したりする。この不潔になりやすい場所を整えるために人間はブラシを使うようになった。髪を何回も梳くことによって汚れを落とすとともに、整った形にするために必要な材料として、軽くて成型がしやすいセルロイドは最適な材料の一つだった。そのため静電気が発生して髪の毛がくっついてしまうという欠点があるにもかかわらず、現在に至るも使われ続けている。
 髪にヘアーピンや櫛をつけるのはお酒落の一つで、簪や笄などを日本髪に刺していると小粋な感じがする。その材料としてかつては象牙、鼈甲、珊瑚、瑪瑙などが使われていたが何れも価格が高いものなので庶民には手の届かないものだった。しかし色付け加工が容易に出来るセルロイドの登場により、本物と見聞違えるような模造品が作られるようになった。こうして婦人の髪は百花繚乱の時代を迎えるようになったのだが、今ではお正月のような特別の時を除いては見られなくなったのが寂しい限りである。

化粧用品を英語でVanityItemsという。このVanityという言葉には「無駄な努力」「不必要な見栄」などという意味がある。いくら化粧をしてもそれは「不必要な見栄」のための「無駄な努力」だと言ったら、怒られてしまうだろう。
 かつて日本では化粧用の紅などは貝殻に入れて売られていた。直ぐに手に入って紅が染み込んだりすることが無く、どことなく豪華な感じがする貝殻は最適な容器だったのである。
 この直ぐに手に入る、中にあるものに影響されない逆に与えない、どことなく豪華な感じがするという要素は化粧用品の容器としては大事な条件である。
 大量生産が要求される容器は安価でないといけないし、どこにでもあり直ぐに手に入らないとたちまち出荷がストップしてしまう。製品は出来ているのに容器がないために売れないのでは商売人としては落第である。
 中に入れた化粧品と化学反応を起こしてどちらかあるいは両方ともが変質してしまっては商品にならない。
 化粧品は今でもどことなく豪華な感じがする容器に入れて売られている。もし中身は同じで簡素な容器と豪華な容器とに分けて入れて売ったら、間違いなく豪華なほうが売れて簡素なものは見向きもされない。面白いことに価格を十倍にすればその傾向がもっと顕著になり、豪華なものはあっという間に売り切れて、簡素のほうはいつまでも売れ残る。
 セルロイドはこれらの要素を総て満たしていたので化粧用品の容器としてたちまちのうちに普及していった。価格は安いし軽いし大量生産は出来る。パウダーのような化粧用品とは化学反応を起こさない。液体のものを入れるには不向きだが、ガラス容器を中に入れる外容器として使うことによって解決できた。パール生地のものを使ったり絵を描いたりして豪華さを出した化粧容器に入れられた化粧用品が人々を美しくしていった。

 かつて欧米ではウェストが細いことが美人の条件であった。特に第一次大戦までのアメリカで著しく砂時計のような極端なまでにくびれた体形にしようと涙ぐましい努力を重ねていた。その一つがコルセットで風呂に入っている時以外は寝る暗までつけていた。このコルセットには鉄芯が入った丈夫な布製のものが使われていたのだが、重いし汗で錆びて洗濯が大変だったりしたのだが、セルロイドの登場により重さと洗濯から解放された。そして第一次大戦のときに鉄芯を供出したり、セルロイド工場が爆薬工場に変わったりしたのでコルセットそのものから解放されることになった。

 女性が化粧用品、コルセットなら男性はカラー、カフスである。今ではカラーは学生服ぐらいしか見られなくなった。と言うよりも学生服そのものを見かけなくなった。しかしかつてはシャツにカラー、カフスは必需品で様々な形があり流行もあった。麻布などを硬く固めたものを使っていたが、首筋袖口という汚れやすい場所だったので洗濯が大変だった。しかしセルロイドの登場により軽く拭いただけで汚れが取れるようになった。また医学的根拠は全くないのだが、セルロイド製のカラー、カフスをつけていると含まれている樟脳が呼吸器に働きかけて健康になるという話が広まった。カラー、カフスの材料として最高のものだと言われたのは、薄く長い形に加工しやすいという特徴だけでなく他にもこんなおかしな理由があったのだが、今ではカラー、カフスそのものがなくなっている。

 久しぶりに取り出した服にブラシをかけて埃を落とす。かつては当たり前のように見られた光景だ。化学繊維の普及により服に埃がつきにくくなった今でも人事な商談に出かける前などにはブラシをかける。このブラシの柄にかつてはセルロイドが使われていたが、今では各種プラスチックや最も古くからの材料である木が使われている。

  こうして身だしなみが整ったら鏡に映してみないといけなくなる。自分では上手く出来たつもりでいても、鏡に映してみるとその場から逃げ出したくなるような格好であったという経験をすることは珍しくない。この鏡の柄や枠としてセルロイドがよく使われていた。ただし全身が映るような鏡ではなく手鏡なのだが(もし全身鏡の枠にセルロイドが使われている例をご存知でしたら教えてください)、だからこそ外出先などにも持ち歩くことが出来て普及していった。また化粧用品のセットには必ず手鏡が添えられていて出来映えをチェックするようになっていた。

 このように身だしなみにはセルロイドが広く使用されていて一部は今でも現役であるという事実には、改めて実力のほどを思い知らされる感じにさせられる。



著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。

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