研究調査報告
平井 東幸

国際連盟のセルロイド安全性に関する調査
セルロイド産業史A



 著名な経済史家であるハーバード大学名誉教授のデビッド・ランデス(1924年生まれ)は、産業革命以降の西欧の技術変化と産業発展に関する著書『The Unbound Prometheus(解き放たれたプロメテウス)』(2003年)のなかで、セルロイドについて言及し、「その可燃性にもかかわらず、卓球ボールなどの製造に依然として有用である」と述べている。

 セルロイドは、周知のようにその機能性や加工のし易さを武器として、既存の天然材料の鼈甲、木材、金属等を代替するだけでなく、新素材として生活全般にきわめて広く使用され、20世紀前半には大きく躍進したが、欠点はその可燃性であった。爆発性はないものの、発火すると瞬時に燃え広がり、しかも有毒ガスが発生することが最大の短所であった。

 このセルロイドの問題点については、早くも1925年(昭和元年)に国際連盟(今の国連の前身)の国際労働局(ILO)でも提起されており、1933年(昭和8年)には調査報告書が、産業安全調査レポート・シリーズの1冊として出版されている。それだけに当時から国際的な大きな課題であった訳である。

 この報告書が出たのは今から77年も前のことではあるが、セルロイド関係者あるいはセルロイドに関心をもつ者にとっては貴重な史料と思われるので、その要点をご紹介しよう。


 タイトルは「Safety in the Manufacture and Use of Celluloid( セルロイドの製造と使用における安全性)」であり、1933年にスイス・ジュネーブのILOから英文で出版された(印刷はロンドン)。B5版で163ページ。

 序文によると,調査の経緯は、ILOの事故防止連絡委員会が1925年にこの問題を取り上げることにして、1931年に調査報告が採択されたもの。執筆は、主としてドイツ連邦労働省のシュティラー氏が当っている。

 報告書の構成をみると、大きく2部に分かれている。第1部では、まず、セルロイドの定義、製造方法、性能、用途について概説している。次いで、セルロイドの危険性について説明、その安全対策を詳述している。

 第2部では先進各国のセルロイドの安全対策に関係する法令を載せている。当時の先進諸国の産業安全の法令面での対応が紹介されており参考になる。

 調査報告書の詳細をここでご説明する余裕はないが、第1部では、安全性対策として、工場労働者、零細な家内事業者、セルロイド製品を取り扱う商業者についてそれぞれ、工場・倉庫・商店に分けて技術的な対策を詳細に解説している。さらに、工場や倉庫の近隣の住民や事業所についての配慮も含めているのも興味深い。それだけ、当時は火災の件数が多く、しかも被害範囲が廣かったことの例証かもしれない。

 その一部を紹介すると、危険物である原料の硝酸や硫酸、樟脳等と生地の保管・運搬・製造・包装について建物の基準や作業基準に分けて説明は詳細にわたっている。また、セルロイドの加工品製造段階については、家内工業における生地と製品の取扱いの注意事項を詳しく解説している。例えば、セルロイドの破片や屑が発火や引火する危険があるため、火を近づけないこと、掃除を徹底して行うこと、保管方法では生地を重ねて置かないこと、換気を良くすること、日光を遮断すること。また、建物は1階建てが望ましいこと、防火壁の必要性、劇物である硝・硫酸は地下での保管が望ましいことなど、当然といえば当然のことながら、実に細々と説明している。執筆者が律儀なドイツ人なので、なおさら詳しいのかもしれない。もっとも、このあたりのことは、本セルロイドハウスのホームページにも「セルロイド注意事項」として掲載されている。トップページの「セルロイド トピックス&ニューズ」から入っていただくと、わかります。

 ともあれ、それだけ危険であったということであるが、他方で、80年近く前の職場環境のレベルが現在とは大きく異なって低かったこと、中小零細企業を含めた経営者、労働者、それに取り扱う商店の従業員の安全性に対する意識がまだまだ不十分であったことも伺わせる内容になっている。

 第2部では、オーストリア、デンマーク、フランス、ドイツ、英国、イタリア、日本、スウェーデン、スイス等の関係法令が採り上げられている。因みに、日本は工場法(1911年2月)に基づく「安全健康規則」(内務省令第24号 昭和4年6月20日)の関係条文が掲載されている。セルロイドの祖国・米国が載っていないのは、議会の批准が得られず国際連盟には加盟していないためだろう。ただし、第1部では、セルロイドの写真用フィルムを世界に先駆けて開発した米国のイーストマン・コダック社によるコメントが随所に採用されている。


 以上、この調査報告書から分かることは、
@セルロイドの製造、運搬、包装、保管とその加工と使用には、周到な対策と細心の注意が不可欠であったこと
A80年以上も前に既にセルロイドの安全性が国際的に大きな問題になっており、ILOによってその対策が調査されたこと
B当時すでにわが国は世界の五大国の一つであったが、セルロイド生産でも米独に次いで世界第3位であり、欧州諸国に伍して国際的に活躍しており、その安全性が大きな課題になっていたこと、などである。

 セルロイド産業の歴史、とくにその安全性を振り返る際には、欠かすことのできない国際機関の資料の一つであり、また、セルロイドのみならず広く産業安全の歴史を考える際にも貴重な史料ではないだろうか。


著者の平井東幸氏は、東京産業考古学会副会長で、元嘉悦大学教授、千葉県在住。


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