セルロイドサロン
第142回
松尾 和彦
小野由に集った人々

 
 職人の町として知られる東大阪市に本社を構える小野由は、明治時代からセルロイド製品を取り扱っていたことで知られています。

 この名門の三代目由松の結婚式に集った人々の名簿が遺されています。その人々を見ていくことといたしましょう。

○川口源之輔
 セルロイドは珊瑚、鼈甲などの模造品として使われたことが知られています。他にもヒスイなどの模造品ともなりました。
 では本物の取引は誰が行っていたのでしょうか。それは東の依田忠次郎、西の角谷栄太郎です。この両名を横綱とするのなら大関の地位にいたのが川口源之輔です。
 本物と模造品との違いはありますが小野由と珊瑚、鼈甲、ヒスイなどでつながっていたのです。

○大谷竹次郎
 先程オープンしました新歌舞伎座の持主は誰でしょう。映画や興業などで知られる松竹だということは意外と知られていません。
 大谷竹次郎が双子の兄白井松次郎とともに松竹を設立したのは1905年(明治三十八年)、場所は大阪市南区葦原町でした。その後、新富座を買収、歌舞伎座の経営に乗り出すなどして東京に進出して今のような会社に発展させていきました。
 歌舞伎や映画などでは簪、櫛、笄などの小道具を数多く使用します。そのためセルロイド製品を取り扱っていた小野由との接点が生まれました。

○乙宗源三郎
 乙宗商店と言えば櫛卸売業者として大阪だけでなく関西一円に名前が通っていました。櫛の材料として一番知られているのは何と言っても黄楊ですが、セルロイドもよく使われていました。小野由との取引があったのも自然なことです。

○奥音吉
 ぜひとも一つは欲しいセルロイド製品として一番に思いつくのが万年筆です。かつては合格祝いの定番でした。残念ながら今では職人さんが減ってしまったのですが、京都セルロイドの川上さん兄弟のように伝統を受け継いでいる人もいます。
 奥音吉はセルロイド万年筆の検査係長を務めるほどの人物でした。小野由から仕入れたものを加工していたのでしよう。

○鍵谷代助
 1918年(大正七年)六月、輸出検査を行い不良品駆逐を目的とし農商務省商工局の許可を得て開設されたのが、日本輸出セルロイド製品同業組合連合会です。
 この時に東京代表となったのが吹き込み成形によって玩具を製造したことで知られる永峰清次郎。そして大阪代表が鍵谷代助でした。
 その当時の大阪を代表する人物が集ったという事実が小野由の地位を証明しています。


 このように初代由兵衛以来、由蔵、由松、保之、喜啓と続いてきた名門企業は、これから先も発展を続けていくことでしょう。

著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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