セルロイドの主要原料の一つである樟脳は樟から生産されることは良く知られています。また様々な分野に古くから利用されてきたことも知られていることは過去にも書きました。今回はその樟に所縁の地を紹介することといたしましょう。
○蒲生の大樟
鹿児島県にあります蒲生神社は1123年(保安四年)に豪族蒲生舜清が宇佐八幡宮より歓請して建立されました。主に健康長寿、学問成就などに御利益のある神社ですが、ここを有名にさせているのは日本一の巨樹として知られている大樟です。
1988(昭和六十三)年度に環境庁によって日本一の巨樹に認定されたこの樟は、推定樹齢1600年、樹高30m、根回り33.57m、目通り回り24.22mという巨大さで、内部にある空洞だけで八畳ほどの広さがあります。
○出水の大樟
この大樟は蒲生の大樟と相思の関係だと言われています。昔、出水の辺りにいた井手の翁丸には幸媛という美しく優しい娘がいました。幸媛は他所の国から来た鴨雅彦という青年と恋仲になりましたが、それをねたんだ役人によって雅彦は追放となります。別れの時に幸媛が雅彦に握らせた樟が発芽したものが蒲生の大樟となり、幸媛が蒔いたものが出水の大樟になったと言われています。
こちらのものも推定樹齢1300年、樹高12m、根回り17m、目通り回り12.15mという巨大さです。
○善通寺
四国八十八ヶ所巡り七十五番札所として知られる善通寺は、四十五万平方メートルという四国で最も広い名刹として知られています。
唐から帰国した空海は父佐伯善通より寄進された邸宅地の一部に寺を建立したと言われています。その時には今の倍の広さがありました。六年の年月をかけて七堂伽藍を完成させた名刹は何時訪れても数多くの人々がお参りしています。
この境内にある樟は非常に古く空海が生まれた時には既に大木であったと伝えられています。
○大阪舎密局跡地
舎密(せいみ)という耳慣れない言葉は江戸時代後期の蘭学者宇田川榕庵がオランダ語で「化学」を意味するChemieを音写して作った言葉です。一方、川本幸民は中国で使われていた化学を使用しました。
その後、舎密は応用化学の分野で使われていたのですが次第に使われなくなってしまい今では言葉の意味を知っている人もまばらです。
1869年6月10日(明治二年五月一日)、大阪城西京橋口御定番屋敷跡にオランダ人科学者ハラタマを教頭とする大阪舎密局が開校しました。
ここは後の第三高等学校すなわち京都大学の源流となりましたが、僅かの期間で廃止されましたので今では碑の他に跡地を示すものは何もありません。この地に樟が一本植えられているのは化学に貢献したことを示すためとも言われていますが確証はありません。
○大汝牟遅神社
この難しい名前は「おおなむちじんじゃ」と読みます。鹿児島県日置市吹上町にある神社で1186年(文治二年)に島津家が勧請したと伝えられています。大汝牟遅とは大国主のことですが他にも祀っている神様があって全部で七柱です。
ここの参道は別名を千本樟と呼ばれて樟の巨木が群生しています。
○樟脳発祥の地
合併によって吹上町と同じく日置市となった旧東市来町美山には「樟脳発祥の地」の碑があり、名前通りに樟が植えられています。
○内野樟脳
福岡県みやま市にあります内野樟脳は、日本に残る最古の樟脳工場で土佐式製脳法改良した製造法で今でも樟脳を作り続けています。五代目の内野和代さんが作る樟脳は樟6トンから25キロ。この貴重品は博多大丸、プレインピープル青山などで手に入りますので、一度求められてはいかがでしょうか。(4g
x 12入:1,890円)
このように樟に所縁のある地は主に九州を中心として各地にあります。他にご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。