セルロイドサロン
第147回
松尾 和彦
眼鏡の歴史とセルロイド

 貴方は眼鏡をかけていますか。近眼、遠視、老眼、乱視などの方はもちろん、伊達眼鏡、サングラス、保護眼鏡などコンタクトレンズが普及した今でもかける機会は多いと思います。

 では眼鏡というものは何時頃からあるのでしょうか。時代劇で眼鏡をかけている老武士が現れるのは歴史的に正しいのでしょうか。見ていくことといたしましょう。


 眼鏡というとレンズとフレームですが、凸レンズもしくは凹レンズを用いると物が見えやすくなるということは意外なほど古くから知られていて、紀元前八世紀のエジプトに「単純なガラス製レンズ」の記述があります。また暴君として知られるローマ皇帝ネロはエメラルドを矯正レンズとして用いていたと言われています。しかしこの時代には透明度の高いガラスを製造する技術がありませんでした。

 それを克服したのが九世紀のアッバース・イブン・フィルナスです。そして1021年に「カメラ・オブスクラ」の発案で知られるイブン・アル・ハイサムがKitab al-Manazir(工学の書)を刊行しました。この本がラテン語に訳されたことから、十三世紀にイタリアで眼鏡が発明されることとなりました。発明された時期には諸説ありますが1280~1300年頃でしょう。

 この頃の眼鏡は主に老眼用で近眼用はありませんでした。というのも凸レンズを作る技術はありましたが凹レンズはなかったからです。

 凹レンズによって近眼が矯正できるということは十五世紀頃には分かっていましたが、はっきりと理論づけたのはヨハネス・ケプラーで1604年のことです。

 雷が電気であるということを証明したことで知られるフランクリンは近眼で老眼でした。そのため何時も眼鏡を交換するという煩わしさに悩まされていました。そのため多重焦点レンズを開発しました。これが1784年のことですから意外と古い話です。


 日本に眼鏡を伝えたのは有名なフランシスコ・ザビエルで大内義隆に献上しました。また足利義晴も所持していたと言われ、これは現存しています。また有名なものは徳川家康が愛用していたもので、こちらも久能山東照宮に伝わっています。上野には眼鏡組合が建立した碑がありますが、デザインは家康愛用の眼鏡となっています。

 江戸時代の中頃になりますと日本国内でも生産されるようになりました。時代劇で老武士などが眼鏡をかけているのは時代考証的に正しいのです。


 眼鏡はレンズとフレームですが、最初の頃は鼻眼鏡でした。これにフレームをつけるのですが最初は木製でした。鼈甲なども使われましたが高価であるという問題点がありました。

 そこに登場してきたのがセルロイドです。ご存知の通りセルロイドは象牙の模造品として開発されたものですから、珊瑚、鹿の角などに模造することが出来ました。鼈甲もその一つです。

 セルロイド眼鏡を爆発的に普及させたのがアメリカの喜劇俳優ハロルド・ロイドで、彼がかけていた丸眼鏡を誰も彼もが真似をしました。セルロイド全盛時代で日本での最高生産高12,762トンを記録した1937年(昭和十二年)には眼鏡枠用として468トンを使用しました。その後もセルロイドは眼鏡枠として使用され1961年(昭和三十六年)には用途の第一位で1,052トンとなりました。その年の生産量が6,399トンですから六分の一が使われたことになります。

 セルフレームは顔の印象を大きく変えるというファッション性の高さが魅力的だったために長く多く使われたのです。

 その後、セルロイドは掛け心地の調整の余地が少ないという欠点があったのと、次々に安価なプラスチック類が開発されたために使用されなくなりましたが、今でも愛用者は多く、眼鏡屋によっては特設コーナーを設けているところもありますので一つぐらい持たれてはいかがでしょうか。


著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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