研究調査報告9 | |||||||||
戦後の経済雑誌にみるセルロイド業界(その2) セルロイド産業史8 |
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戦時中は、セルロイド工業は輸出市場を大きく失い、国内では民需抑制と硝化綿の火薬への転換等により生産は大幅に減じ、昭和20年はわずか1,641トンであった。敗戦後は工場の被災や、セルロイド生地設備の賠償指定はあったものの(17工場のうち主要な5工場が指定を受けた。この5工場で全国生産能力の86%を占めた。)、やがて解除。しかし、業況の「低調な状態は23年民間貿易再開迄続いたが、再開後はセルロイドの為替レートが1ドル600円の円安であった為輸出意欲を増進し、玩具、眼鏡枠、造花等を中心に」(『住友銀行経済月報』昭和31年4月号)輸出が増加した。内需はすべてが物資不足状態であり、何であれ作れば売れた時代であった。 生産は昭和26年には米国を再び抜いて世界一(世界シェアはおよそ4割)の座に返り咲いた。この年、米国は約3500トンであったのに対して日本は5,527トンであった。もっとも米国ではすでに合成樹脂が相次いで開発され、市場を席巻し始めており、既存のセルロイドや木材、金属等の伝統的な素材は駆逐され始めていたのである。確かに、当時日本ではセルロイドのコスト安、加工業の労働力の安さ、高めに設定された為替レート等が追い風になっていたのである。しかし、今から思えば日本は米国の1周あるいは2周遅れで走っていたのであった。
(資料) セルロイド硝化綿工業会 (注)
生産の( )内は再製生地
(注)A;セルの固有分野としてほぼ確乎とした地盤が築かれつつあるもの B;セルおよび他のプラスチック製品と競合があり、まだ明確にはセルの固有分野として確立されているとはいえない分野 C;特に競合激しく、他のプラスチックス製品に著しく浸食されている分野 すなわち、Aの分野は、眼鏡枠、櫛・頭飾品、湯桶・石鹸箱、ピンポン玉であり、昭和30年代初期までは需要は着実に伸びている。Bは、文房具、玩具、各種容器、歯ブラシ柄、身辺細雑貨品であり、昭和20年代末をピークに需要は減退傾向に転じている。これは当時市場に登場した塩化ビニル等との競合激化によるものであろう。Cは、水道管(ただし、商業化されずに終わっている)、パチンコ玉であり、需要絶対量がもともと少なく、セルロイドの需要に及ぼす影響は極めて小さい分野だ。 総じて需要全体が昭和20年代末にピークアウトしている状況が浮き彫りである。その理由は、多言を要しないが、塩化ビニル等との競合激化、つまりセルロイドはコスト的にも性能的にもこの新しい石炭石油化学製品に市場を奪われ始めている状況が、この表3からも窺われる。そして、これに対応するための方策について『住友銀行経済月報』(昭和31年4月号)では、「その発色性が良いこと、柄物生産ができること、価格が比較的安定していること等塩化ビニールに優る点を強調すべきであり、下級品或いは単色物等で塩化ビニールと競合するのは努めて避けるべきである」と提言している。 次回は、世界経済が戦後初の景気後退に見舞われるなかで、セルロイドも大幅な受給失調に直面して、不況カルテル結成に入る業界を取り上げたい。(2013年9月2日) |
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