研究調査報告
平井 東幸
戦後の経済雑誌にみるセルロイド業界(その3)
セルロイド産業史9
    

不況カルテルの結成へ
 昭和33年(1958年)はわが国経済が戦後初の不況となった。いわゆる「なべ底不況」である。そのなかで、セルロイド業界も不況カルテルを結び、業界挙げて対策に取り組んだ。この年は、わが国のみならず第2次世界大戦後初の世界同時的な景気後退期となり、セルロイドに限らず、多くの業種で不振となっている。

 不況カルテルの結成へ昭和33年(1958年)はわが国経済が戦後初の不況となった。いわゆる「なべ底不況」である。そのなかで、セルロイド業界も不況カルテルを結び、業界挙げて対策に取り組んだ。この年は、わが国のみならず第2次世界大戦後初の世界同時的な景気後退期となり、セルロイドに限らず、多くの業種で不振となっている。この不況カルテルについて、公正取引委員会調査課の大西勝氏が「『公正取引』(昭和34年5月号 公正取引協会)で、「セルロイド不況カルテルの背景」という解説を載せている。以下、それも参考にしながら当時の経緯を紹介しよう。そしてこの年がセルロイド工業の大きな転換点になったと思われる。


不況の状況とその要因
 まず、業界の現状についてみると、生産は表1の示すように昭和32年までは新製生地で、6700〜6800トンと高水準を続けていた。しかし、32年半ばにはメーカーと販売店在庫は924トンであったものが、同年末には1300トンと急増、とくに販売不振を反映してメーカー在庫が著増し生産量の3倍にも達していた。市況も崩落、加工業界を含めて苦境に陥っていた。
 その要因や背景については、
 1. 設備過剰を背景とする生産の高水準持続による需給失調
 2.世界的な景気後退による内外の需要減退
 3.塩ビやポリスチロール等との競合激化(価格はセルの2分の1ないし3分の1)
 4.セルロイドのコスト高(原料の樟脳やアルコールの割高、因みに米国に比べて1.5〜2倍)因みに専売品の価格硬直性,したがって企業努力では如何ともしがたい。
 が指摘された。

 表1  セルロイドの生産(単位:トン)
昭和(年)  新製生地      再製生地      生産合計
 29           6,716                  1,638                  8,354
 30           6,704                  1,499                  8,204
 31           6,277                  1,503                  7,780
 32           6,866                  1,429                  8,295
 33           4,684                  1,030                  5,714
 34           4,675                     749                  5,434
 (資料) セルロイド硝化綿工業会  
 (注)通産省統計があるが、ここではカバー率が高く、より詳細な工業会統計を採用した。


不況カルテルの結成へ
 そこで、新製セル業界ではこの不況打開のため、通産省と協議して生産制限協定の締結を公正取引委員会に申請した。当時の業界の苦境の程が偲ばれる。

 冒頭で紹介した公取調査課の「セルロイド不況カルテルの背景」によると、その間の事情を次のように述べている。
「価格制限の協定も実は当時同時に申請される予定であった。しかし、法律の規定から見て価格カルテルを行うためには、前段階として生産調整によって事態克服を図ってみることが要件となっているので、先ず生産制限協定のみが申請された」としている。また、その前には共販会社の設立の打診もあった由である。しかし、大日本セルロイドと淀川化学を除いた6社の価格協定構想では実効はあがらないとして不成立に終わっている。
 
 かくして、生産制限協定は昭和33年11月末に認可された。その背景・理由として次の点が挙げられる。
 
 1. 増設と需要減退による設備過剰、因みに各社の操業率は平均で約40%(表2)
 
 2.販売価格はコスト割れであること(表3)、製造原価を下回る物も少なくない。しかもそれが下請け・孫請け等の家内工業に波及している。

 3. しかも、これら中小零細の加工業界では原料転換や設備転換が容易ではない。

 すなわち、セルロイド生地製造業ではダイセルを断然トップとするガリバー型の特異な業界構造にあるが、他方でセルロイド再製業界と川下の加工業界は、ほとんど全てが中小零細企業であり、この状況を放置すると、これらの経営が立ち行かなくなるという深刻な状況にあった。一方で、セルロイドの需要は「斜陽的」との指摘もあるもの、その性能等から国民経済上もなお重要な業種であり、その混乱は何としても回避しなければならない。

 因みに、「セルロイド業者の倒産等があった場合混乱が生じ易いおそれが多く、その場合小規模企業であるためその影響する所が一般にはなはだ大きいことが予測される」と、この解説は指摘している。

表2  各社別操業率
社名          操業率(%)
大日本セルロイド     38.9
旭化成            52.0
滝川セルロイド            32.7
筒中セルロイド       70.0
大成化工                   42.9
太平化学製品       40.5
中谷セルロイド             30.0
(出所)『公正取引』(昭和34年5月号 公正取引協会)

表3  セルロイド生地の工場渡しコスト構成(キロ当り円)
原価内訳       総合   色板
原料            297          277
労務費                   114          104
経費                       57            47
  製造原価          470          429
販売費                     21            21
一般管理費              24            24
金利他                     31            31
  総原価               546          505

(出所) 同上、公取調査課調べ
  (注)1.34年1月実績を基準とした標準的なもの  
     2.円未満は四捨五入した。


その効果は一時的
 昭和33年12月から実施された生産制限協定により、新製生地の生産は32年の6,866トンから34年には4,675トンと32%の大幅減産となった。加えて、原料の硝化綿の不況カルテルが結成されたこととも相まって、その後の業況はというと、こうした業界の努力が奏功して、「34年末以来一般の所謂「岩戸景気」を反映して、市況も著しく回復するに及び、不況カルテルも解いて、各メーカーは一勢に増産体制に移ったが、・・・・現在の生産量と、ストックの食いつぶしでは供給が追いつかず、全般的に品不足の声が強く聞かれるに至っている」(『経済人』昭和35年4月号)までに一時的には回復した。
 
 しかしながら、この不況カルテルを結成した昭和33年頃を境にセルロイド業界はピークアウトしたのである。この頃からセルロイドは「斜陽産業」的と言われ始めており、今から思えば、以後、平成7年のダイセルの国内生産中止に至るまでの40年弱の衰退収束期の始まりだったといえるのではないだろうか。(2013年9月8日)

<平井東幸略歴> 昭和33年早稲田大学第一商学部卒業、日本化学繊維協会調査部長、(株)繊維総合研究所取締役調査情報部長、岩手県立宮古短期大学教授、岐阜経済大学教授を経て、嘉悦大学教授、平成18年同退職。現在、セルロイド産業文化研究会評議員、東京産業考古学会副会長

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