セルロイドサロン
第161回(2014年2月17日)
大石不二夫
「セルロイドノスタルジア」


 私は1940年1月5日、東京小石川の坂下町に生まれた。その年には「今年は紀元2600年!」という歌も作られ、私の誕生は国中で祝っていただいた。真珠湾攻撃のほぼ2年前であった。早いもので、本年は神武天皇が皇位につかれて2674年目の年である。
 幼い頃の記憶の中に、近所の護国寺の縁日の光景がある。大きなタライの中でスイスイ動くカラフルな子供の手のひらほどの舟…。舟には何もついていないのに動き回っているのだ。「どうしてお舟が動くの?」と、母に聞いても父に聞いても、勇気を出して売っているおじさんに聞いても答えがない。おもしろいけれど不思議であった。たぶんこれが筆者が科学の魅力に出会った最初だったかもしれない。タライを囲んで子供たちが大声ではしゃいでいたのも覚えている。年月が経ち、石神井東中学の理科の先生に実物で教わることができた。「これは樟脳船といってね…小舟の尾の部分に樟脳の小粒を置くと、樟脳が水面に広がって、その拡散する力で小舟が前に進むんだょ。とても軽いセルロイド製だから水に浮いて、動き回れるんだ」と。この樟脳船は、セルロイドハウス横濱館の野木村政三氏執筆の“セルロイドサロン”145号によると、徳川八代将軍吉宗の頃に「紙人形の水上廻り」として知られ、大正時代には外国へ輸出されていたそうだ。この舟の実物はセルロイドハウスに十数個展示されている。写真1にその一例を紹介する(岩井館長撮影)。この樟脳が小舟の材料であるセルロイドの副原料(主原料は綿の実)であるとは、都立化工高校で教わるまで知らなかった。

写真1

 
 セルロイドとの最初の出会いは、赤ん坊の時、布団から見上げた目の前のメロディを奏でながら回る“メリー”と、振ると「ボロローン」と鳴る“ガラガラ”であったはずだが、当時の記憶は母の背中におぶわれて見た窓ガラスの山の形の汚れ模様しか残っていない。だがセルロイドハウスに展示してある“メリー”と“ガラガラ”を眺めその音を聞くと、今でも無性に懐かしさがこみ上げてくる。大戦後2年が過ぎ、疎開地の群馬県富岡から東京へ戻り、西荻窪の高井戸第四小学校に入学した。と言いたいところだが、校舎が戦災で焼け落ちて何もない。その入学記念写真には、校舎を建てるため校庭にただ積まれただけの丸太の上に、先生を真ん中に新入生が不安げに並んで写っている。その翌日から隣の小学校へ麦畑を歩いて一年間、間借り授業に通っていたが、子供ながらに肩身が狭かったものである。小学4年から練馬区の石神井東小学校へ転校し、高学年となる頃には、セルロイド製の下敷き、筆箱、学生服の襟カラー、洗面器、石鹸箱、おもちゃなどに囲まれていた。とくに思い出深いのは「セルロイドロケット」である。セルロイド製下敷きの周囲を“肥後守”(折りたたみナイフ)で細かく削り、鉛筆のアルミサックに詰めて入り口を歯で噛んでふさぐ。これを休み時間、教室の達磨ストーブの上に置く。やがてストーブの熱でサックの中のセルロイドが発火し、燃焼しながら空中を飛び回る。これこそ手製の「固体燃料式ミニロケット」だ。これが冬の教室内の遊びであり、男児のクラスメイトの下敷きは次第に縮小し、ついには消滅していった。そんなある日、先生が鼻歌とともに引き戸を開けて教室に入った瞬間、ミニロケットが先生の鼻先をかすめ飛んだ。その時の先生の驚きあわてた情景が60年余年たった今でも忘れられない。やんちゃ坊主達もさすがにあわてたものである。先生には悪かったと思うが、今でも同窓会での話題として大いにうけている。このセルロイドロケットがヒントになったとは思えないが、後年、東大生研の糸川教授が固体燃料を用いた「ペンシル型小形ロケット」を打ち上げ、戦後の国際宇宙競争に一矢報いたのはご存じの通りである。子供の頃、最も愛着があったセルロイド製品は、石鹸箱など風呂道具を入れる楕円形の小桶である。橙色のウロコ模様で温かな感触だった。物心がついた頃には父や母と銭湯に通う時に、自分の子分のように持ち歩いていた。それから久しく両親は使っていたが、いつしか私は使わなくなり小桶の存在さえ忘れていた。大学1年の冬に父が亡くなり、その数年後に武蔵五日市の借地に新築した家のベランダの隅に、あの小桶が用済みとなって放置されているのが目に入った。老いた母が思い出の品として捨てられずに置きっぱなしにしていたのだろう。たまに目にすると、子供の頃の懐かしさがこみ上げてきたものだ。小桶は少なくとも30年以上持ちこたえたのに、母が亡くなるといつしか見当らなくなった。このセルロイド小桶は長寿命材料の貴重な試料であり、私が専門分野として「有機材料の耐久性」を選ぶキッカケともなった。セルロイドの長期使用例の展示品としても惜しまれてならないが、母があの世で愛用していると思いたい。
 さて、鉄道技研と(財)鉄道総研にて26年間過ごした後、20年間勤めた神奈川大学にて名誉教授を拝命した4年前から、御縁をいただき横浜市綱島にある「セルロイドハウス横濱館」のメンバーとして勤めている。ここは“キューピー”でお馴染みのセルロイド専門の博物館であり、国内唯一で世界的にも評価が高い。毎週土曜の開館日にはセルロイドの原料である「綿実」や「樟脳」から「成形用金型」「成形機械」そして世界中から集められた「実用品から美術品」が無料で鑑賞できる。例えば欧米から収集された「グリーティングカード(Greeting Cards)」は、セルロイド地にペンで描かれた美しいカードで、貴族たちが取り交わしたものであろう?筆紙に尽くしがたい美しさが訪問者の心をとらえている。これらは1892年から年代順に分類され、時代考証の基準(Standard)にもなっている貴重な歴史遺産であるが、写真では伝わらないこの素晴らしさをセルロイドハウス横濱館で鑑賞してほしい。また初期のカメラフィルムはセルロイドの仲間であるコロジオン膜であり、往年の映画フィルムはセルロイドであったが後に不燃セルロイドに替わり、いずれも館内に展示されている。またウォルト・ディズニー(Walt Disney)が制作した初期の漫画映画フィルムは貴重なもので、これが何本も展示されている。そのフィルムを当時の映写機の展示品を使って上映できたら素晴らしいと思う。もともとセルロイドはプラスチックの元祖であり、第二次世界大戦中から開発され、戦後普及した合成のプラスチックに代替されてきたが、「ピンポン玉」の材料は現在でもセルロイドであり、ほかにもゴルフクラブのネックなどにも使われている。セルロイド独特の色合いや模様、手になじむ質感などがマニアに好まれ、手作りの「セルロイド人形」「メガネのフレーム」「万年筆」などを愛用する人も少なくない。最近は石油由来ではない植物由来の感性材料として見直されている。
 ♪♪さあ皆様!土曜日のひととき、「セルロイドハウス横濱館」へ是非おいでください!象牙・べっ甲・瑪瑙(めのう)・貝殻に代わる新素材として誕生したセルロイドの誕生期から、世界一の生産量を誇った黄金期を含めて、国内はもとより世界中から収集された豊富なコレクションをご覧になりませんか?あなたの感性に響くセルロイドを体感して、大いに癒されましょう!!


 <著者略歴>1940年東京小石川生まれ。1963年東京都立大学工業化学科卒業。国鉄本社入社。鉄道技研へ配属。主任研究員、有機化学ユニットリーダー。工学博士。国鉄改革で(財)鉄道総研へ主幹研究員(理事長直属)。平成2年より神奈川大学理学部、大学院教授。現在、名誉教授・総合理学研究所特別所員。帝京大学短期大学教授。「専門」高分子材料科学。環境庁環境賞・高分子学会賞など受賞。プラスチック成形加工学会の元副会長、マテリアルライフ学会元会長。著書「プラスチックの耐久性」(工業調査会)「プラスチックが一番わかる」(技術評論社)「わたしの藤澤周平(文春文庫)他。趣味〜源流を探ること〜。セルロイドハウス横濱館評議員。


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