1) はじめに
昭和15(1940)年、大阪市天王寺区小橋町に生まれた。高校はカトリックのミッションスクール明星学園高等部に進学、化学のクラブ活動で、顧問の先生の勧めでセルロイドの生産と樟脳の蒸留の実験を行い、化学に関心をもつきっかけになったことが今も懐かしく思い出される。立命館大学理工学部化学科で、合成化学を専攻。昭和37年卒業と同時に曾祖父が創業した小野由セルロイド(株)に入社した。翌38年にはダイセルの加工部門の子会社である大日本プラスチック(株)に入社し、本社営業部で3年半、塩ビの大型連続真空成型等の新製品企画営業を担当した。この経験は、実務のみならず会社組織の要諦理解や人的ネットワークの形成等を通じてその後の会社経営に大きなプラスとなった。
昭和41年に会社に戻り、取締役、42年には取締役副社長になって企業経営と、その後の業界団体の運営に邁進してきた。セルロイドから多様な合成樹脂に転換する時代において先頭を切って事業の多角化に着手、以来約半世紀になるが、セルロイドを出発点として各種プラスチックの製造販売、リサイクル事業への展開してきたことには、まことに感慨深いものがある。
2) セルロイドを原点とした事業の多角化
曾祖父の小野由松が明治18年に今の大阪市東区南久太郎町で珊瑚玉等の装飾品の商売を始めたのが出発点になっている。創業当初の漆塗りの看板は今も大切に保存展示している(写真)。セルロイド生地輸入販売を始め、また、関西で初の生地メーカー・浦山セルロイドの生地を販売するなど問屋としてパイオニア的存在であったといえる。これを祖父、父が引き継ぎ、その加工販売も手掛けて事業を拡張してきたが、私は4代目である。現在は息子が後継者として5代目である。
現在の業容は、資本金5000万円、年商35億円、プラスチック加工品と環境対応商品・リサイクル素材を2本の柱として、事業多角化を図っている中堅プラスチック加工メーカーである。
家業のセルロイドであるが、高校生時代に多少手伝った経験はあるものの、大学を卒業して会社に入社した頃はすでに石油化学系の高機能のプラスチックが続々と開発、上市されており、わが社でもダイセルさんとの長年のビジネス面でのお付き合いから、早い時期に新種の合成樹脂の加工に取り組んだ。とくに新製品の加工には新しい技術ノウハウを要したのである。
セルロイドについては、40年頃になると市場も合成樹脂にほぼ転換し、細工職人も数少なくなり、自社での製造は止めた。一方で、服飾デザイナーであった家内のさかがデザインしたアクセサリー類が大いに当たり、昭和60年代には、レディーズアパレル最大手・神戸のワールドからの生産受託もあって順調であった。その後も生地販売は現在まで継続している。
表1 私と会社の経歴
年次 記 事 |
昭和15(1940) 大阪市天王子区に生まれる
24(1949) 大日本セルロイド(株)のセルロイド生地販売代理店として小野由合名会社設立
33(1958) 明星学園高等部卒業
37(1962) 立命館大学理工学部卒業、小野由セルロイド(株)入社
、取締役就任
38(1963) 大日本プラスチック(株)入社
41(1966) 同社退社、小野由セルロイド(株)に復帰
42(1967) 同社代表取締役副社長に就任
51(1976) 小野由(合)と(株)小野由が合併して、(株)小野由設立、資本金600万円
53(1978) (株)小野由の代表取締役社長に就任
55(1980) 本社を大阪市天王寺区小橋町に移転
57(1982) 高井工場(東大阪市)を奈良県当麻町に移転
平成 5(1993) 新社屋を東大阪市川俣に新築移転
8(1996) 広瀬化学(株)を買収し系列化
吹田市に再生樹脂の着色ルーダー加工工場稼働開始
11(1999) 東京営業部開設、平成24年に東京支店に
12(2000) 関西セルロイド・プラスチック工業協同組合理事長に就任
14(2002) 再生ペットシートの販売開始
15(2003) 広瀬化学のルーダー加工設備を奈良工場に移設
再生ポリカーボネート加工、社内稼働開始
17(2005) 大阪セルロイド会館理事長に就任
19(2007) 日本プラスチック工業協同組合連合会会長に就任
23(2011) (株)小野由取締役会長に就任、
資本金5000万円、ISO14001取得 |
会社の沿革は表1に概要を掲載したが、セルロイドを原点として、素材の多様化、新規用途の開拓、新製品の開発等の事業展開であった。明治以来蓄積された、とくに祖父、父が培ってくれた技術、顧客、人的並びに企業間ネットワークが大いに役立った。
現在の事業分野は大別して次の4分野である。汎用品は中国などとの国際競争がまことに厳しいので特殊品、高機能品にシフトしてきている。
(1) 水溶性ならびに生分解性等の特殊プラスチック原料の販売、高印刷性能フィルム・UVカットプレートの販売
(2) プラスチック製品としては、リサイクル素材を利用してのクリアケースやブリスターなどの成形加工品は製造販売
(3) 各種プラスチックの着色加工及び着色原料の販売
(4) 環境対応型の商品としては、PET、PC、PPなどの再生プラスチック樹脂のコンパウンドをした樹脂原料の製品化、および樹脂原料としての販売
このうち、(4)の再生事業は、PET、PC、PP等であるが、現在売り上げの4割を占めるまでに成長している。「セルロイドは当初から発生した屑などを再製造するリサイクルビジネス」の面がありましたが、その事業DNAが今日も引き継いでいると感じる。
この間に、企業の買収により事業所を奈良、吹田市に設置、製造部門を拡充強化している。資本金は昭和51年当時の600万円から平成23年には5000万円に増資した。平成5年には新社屋を東大阪市川俣に新築移転し、同じく11年には東京に営業拠点を開設。事業の拡大に伴い23年にはISO14001を取得するなど、時代の急激な展開に合わせて経営組織と前向きな取組を強化してきた。
3)業界団体での活動
私が携わってきた業界活動としては、大きく分けて三つある。先ず、(一財)大阪セルロイド会館であるが、これは歴史が古く、輸出検査を目的とする大阪セルロイド櫛工業組合の所有運営する大阪櫛会館として昭和6年に建設されたもので、その発起人には祖父の小野由蔵が参画していた。三国セルロイドや大日本セルロイドからも出資してもらった経緯がある。この建物は、昭和初期のモダン様式を今も伝えていることが評価されて、平成13年に国の有形登録文化財に指定された。
戦後も祖父の由蔵、それに父の保之がセルロイド会館の理事長を務めていたが、私も平成8年には副理事長に就任、10年後の17年には理事長になって現在に至っている。この間に携わった主要な事業としては、セルロイド会館の文化財登録、一般財団法人化を実現したこと等がある。セルロイドを会館の名称に今もなお冠しているのは、竣工後80年を超えても、セルロイドが今日の大阪プラスチック加工業の原点にあるためであり、業界の往時の栄華の歴史を忘れず、後世に伝えたいという諸先輩の意向を大事にしたいからである。
二つ目に、関西セルロイド・プラスチック工業協同組合である。この組合についても上の大阪セルロイド会館とともに、父の保之が理事長を務めていた経緯がある。私も昭和61年から副理事長になり、平成12年には理事長に昇任、現在に至っている、この間組合の75年史の編纂刊行をしている。平成14年現在で組合員は66名、賛助会員が18社であり、関西のプラスチック加工業界共通の利益を図るため各種事業を実施している。現在、関西でセルロイドの問屋と加工業者は4社から5社であろう。今も組合の名称にセルロイドを冠しているのは、上記の会館と同じ理由による。わが国でセルロイドの組合は唯一となった。先人の努力に敬意を払うこと、歴史を大事にすることは、極めて変化の激しいグローバルな時代にあっても、大事なことであると信じている。
三つ目には、プラスチック工業協同組合の全国組織である日本プラスチック工業協同組合連合会の会長に推されたのが2007年で、以来現在まで会長の職務を継続している。
この連盟は全国的な組織であり、業界の振興と官公庁や他団体との連絡調整等を主要な業務としている。
なお、当時のセルロイドの業界構造についてだが、関西と関東とでは若干異なっていた。関西はセルロイド生地へのアクセスが良かった。製品の種類は関東が玩具主体であったのに対して、大阪は、櫛やアクセサリー等の服飾品・日用品が主体であり、種類も多種多様で、しかも、下請け、孫請けと多段階であり価格競争も激しかった。
4) 岩井薫生氏との出会い
DJKの岩井社長との出会いは、同氏が平成12年に第1回セルロイドカンファレンスを計画されているころにセルロイド業界の関係者としてお会いしたのが始まりで、それ以降会合にはすべて参加してきた。平成17年のセルロイド横浜館の開館に際してセルロイドに関する文物一切を収集展示しようとの取り組みに賛同し、当社で社内に保存していた各種の機械器具、製品等を同館に寄託した。プレス機等の加工機器、金型、セルロイド製品(アクセサリー、日用品類各種)、文献などである。その後平成19年に大阪セルロイド会館内にセルロイドハウス大阪館設立準備室を設置し、その一部を展示することになった。横浜館は、セルロイド専門の資料館として世界的にも大変珍しく、その収蔵規模は世界屈指と言われている。セルロイドの歴史を、内外の製品はもとより設備、企業等とあらゆる面から展示し、後世に伝えていくことは非常に大事である。
なお、岩井氏が主宰されているセルロイド産業文化研究会では、セミナー、交流会や研究助成事業等を通じてセルロイドの産業・文化に与えた影響を調査、研究する事を目的に活動をされているが、この会の理事、評議員を平成17年から仰せつかっている。セルロイド業界の繁栄の時代を知っている者の一人としてセルロイド横浜館の運営とともに、講演やセルロイド関係者とのネットワークも活用して今後ともご協力をしていきたい。
表2 主な著作/講演一覧
名 称 年 月 備 考 |
「セルロイドの想いで」 平成22年8月 『中央電気娯楽部月報』Vol.698
「セルロイド生地の販売の流通」 平成24年11月 「セルロイドさわやか交流会」での講演
「セルロイド生地の販売戦略」
平成25年10月 「セルロイドさわやか交流会」での講演
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5)おわりに
振り返ると、曾祖父が130年前に始めたセルロイドの商売を出発点として、半世紀この事業に携わってきた。この間、科学技術の進歩はまことに目覚ましく、セルロイドは一部の用途を除き人造素材としてその役割をほぼ終えたが、新素材への転換、それにリサイクル事業への参入等と時代に先駆けてビジネスを展開してきた。大学で合成化学を専攻、ダイセルを初め多くの企業や経営者とネットワークを組んで仕事を進めてこられたことに感謝している。会社経営は息子・智の5代目に譲っており、今後は広くプラスチック業界の振興とセルロイドの継承に努めてゆきたい。
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