セルロイドサロン
第167回
松尾 和彦
大正景気は本物か?


 1914年(大正三年)6月28日、セルビアの首都サラエボでオーストリア皇太子夫妻が暗殺されるという大事件が起きます。そしてちょうど一月後に始まった戦争は、たちまちのうちに全ヨーロッパを戦場とする歴史上最大の大戦争となりました。
 この時に注文が殺到したのは戦場から遠く離れた日本です。その結果、これまた歴史上最高とも言える好景気となり数多くの戦争成金が生まれることとなります。
 二万円の資本金で船舶会社を興した内田信也は七千万円の大会社の経営者となり、須磨に五千坪の豪邸を建て、株主に対して六十割という驚異的な配当を行いました。
 久原房之助の日立鉱山は日産自動車、日本鉱業、日本興亜損害保険、日立製作所などの会社を産み出し財閥へと発展しました。
 資本家ばかりではなく一般労働者も二十ヶ月分ものボーナスを受け取ったりしたために「成金職工」と呼ばれ、丁稚や女中のなり手がいなくなるほどでした。
 京浜、中京、阪神、北九州の四大工業地帯が形成されたのもこの頃です。
 貿易収支も9697万円の赤字から5億6720万円の黒字に転じました。
 民間がこれほどの活況を呈しているのですから国の財政も好転し11億円の債務国から27.7億円の債権国へと転じました。

 セルロイド業界も凄まじいものがあり、玩具業者はプレス機一台につき一日百円を稼ぐといわれました。それだけではありません。プレス機一台につき一日二貫生じる屑が一貫十八円で売れるのです。大卒の月給が四十〜五十円の頃の話ですから、如何に凄かったかが判ります。
 
 この1914年(大正三年)という年は日本経済が完全に破綻するはずの年でした。原因は日清、日露の両戦争で膨れ上がった予算です。詳しいことはサロン120「鈴木商店は何故倒れた」に書いてありますのでそちらをご覧になってください。

 ではこれほどの好景気(以下大正景気とします)は本物だったのでしょうか。実はこの時の経済成長率は年5%程でした。第二次大戦後の高度成長期が10%程ですから半分です。さらに物価上昇は凄まじく、毛織物は三割、包丁五割、鍋・釜一・五倍、バケツ二倍、チリ紙四倍など軒並み上昇して消費者物価は二倍以上になりました。
 物価が上がったのなら給金も上がったかと思えば、好景気であったはずの造船労働者でさえ47%も下落しました。給金が決まっていた公務員は大変で教員は多くが結核に倒れました。大阪では警察官が生活苦を訴え嘆願書を提出しました。都市部でスラム街が形成され、欠食児童が多くみられました。川上肇の「貧乏物語」がベストセラーとなったのもこの頃です。
 このような状況に拍車をかける事態が起きます。言うまでもなく戦争の終結です。戦後もヨーロッパの復興には時間がかかると思われたために大量生産を続けたのですが、意外に早く市場復帰したために輸出が大打撃を受けました。株価は半分から三分の一となり倒産が相次ぎました。
 内田信也を上回るほどの船成金で同志社大学に新島襄の像を寄贈した山本唯三郎は、あっという間に全財産を使い果たし五十四歳で急死します。三井物産を上回るほどだった高田商会も破綻。その高田商会を遥か下に見ていた鈴木商店は系列のほとんどが目の敵にしていた三井財閥に吸収されました。
 そして堅実な経営を行っていた三井、三菱などの財閥が生き残り地位を確かなものとしました。
 一般労働者はさらに大変で給与は激減しました。それでいて物価は高止まりのままですから生活は苦しくなる一方でした。
 その頃、東大の安田講堂や日比谷公会堂を寄贈したことで知られる安田善次郎が暗殺されます。犯人の動機は「自分は株取引で損をしたのに安田は大儲けをしたのが気に入らない」という自分勝手なものでした。ところがマスコミは義憤にかられての快挙のように書き立てたのです。そのため僅か三十七日後には原敬首相暗殺というさらに大きな事件が起きます。その後も井上準之助、団琢磨、浜口雄幸、犬養毅、斎藤実、高橋是清、渡辺錠太郎らが凶悪なテロの犠牲となります。そして日本は戦争へと突き進み完全に焦土と化すこととなりました。

 ところでこの大正景気の話は何かに似ていると思われないでしょうか。そうです。昭和から平成にかけてのバブル景気です。株価は38,957円(現在は15,000円程度)をつけ、地価は暴騰、フェラーリを相場をはるかに上回る二億五千万円で購入するものが現れたり、ゴッホの「ひまわり」を五十八億円で購入したのもこの頃です。就職も好調で一度に二千人を入社させたり、ディスコで入社式を行ったりしました。

 このバブル景気がはじけて「失われた十年」「失われた二十年」と言われる時代を迎えたのはご存じのとおりです。何しろバブル景気なるものは、プラザ合意によって生じた円高ドル安の事態を、円が強くなったかのように錯覚したために投機に走るという誤った判断から始まって暴走していったものですから、実態を伴っていなかったのです。これも大正景気に似ています。
 バブル景気は当時の総理大臣中曽根康弘、大蔵大臣竹下登、日銀総裁澄田智らの判断の誤りと、それを指摘しなかったマスコミ、踊りまくった一般民衆らが起こしたものでした。
 
 大正景気にとどめを刺したのが関東大震災です。このあたりもバブル景気後の阪神淡路大震災に似ています。
 何よりも似ているのはバブル景気時代に羽振りの良かった人々が凋落して、バブルとは無縁だった人々が生き残っているということです。
 ただしありがたいことに凶悪なテロ事件が続発するという事態には陥っていません。また戦争への道を突き進むということも起きていません。 

 やはり大正景気はバブル景気と同じく本物ではなかったのです。ただ大正景気は終身雇用制、年功序列制、労働組合など現在まで続いている日本型雇用形態を遺してくれました。この辺りがバブル景気と異なる点です。
 人は地道に生きるのが一番だということを、この二つの中身を伴っていなかった景気が教えてくれています。

                                                                                                         2014年4月6日記す


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