セルロイド産業、中でも玩具関係は葛飾、足立方面の地場産業だと思われている方が多いと思います。確かにその方面が中心であったのは事実です。しかしセルロイド玩具は他の場所でも盛んに製造されていました。中でも盛んだったのが尾久、亀戸、寺島町方面でした。
今回はその辺りがどのような場所であったかを紹介することといたしましょう。
・尾久
荒川区尾久(おぐ)一帯は町工場、商店、住宅街が混在する下町情緒溢れる一帯として知られています。
元々はゴボウの産地として知られた農業地帯でしたが大正時代にラジウム鉱泉が発見されたことにより一変します。たちまち保養の地、花街となり料亭、置屋、待合が営業する三業地帯となります。有名な阿部定事件が起きたのも、ここの待合でした。
そしてもう一つセルロイド玩具工場が多くみられたのは永峰セルロイドの生地工場が作られたからでした。1933年(昭和八年)には22業者だったのが、1939年(昭和十四年)には83業者と急増しています。その頃の名残で今でも町工場が見られるというわけです。
セルロイド業者は金使いが派手なことで知られていましたので、よく働きよく遊んでいたことでしょう。この地で操業していて「尾久の大臣」と呼ばれた石崎又四郎は大卒の初任給が50〜80円、米10Kgが3円50銭、蕎麦一杯が16銭だったころに20万円の売り上げを記録しています。まさに大臣だったわけです。
尾久一帯を歓楽地とした温泉は高度経済成長時代に地下水のくみ上げによって枯渇してしまいました。また三業地も1980年(昭和五十五年)頃に消えてしまい、今ではその当時を思い起こさせるものは殆ど遺っていません。
・亀戸
江東区亀戸(かめいど)は古くから開けた街で亀戸天神はあまりにも有名ですが、他にも数多くの神社仏閣が点在しています。その中で面白いのが貧乏神神社です。祀られているサンストリート亀戸は本年の三月末をもって閉鎖が決まっています。まさか貧乏神が原因ではないでしょう。跡地には商業棟と六十階建てのマンションが建設されるということですから、今後も祀られることでしょう。
この地もセルロイド玩具業者の集積地で1933年(昭和八年)には36業者、1939年(昭和十四年)に34業者が製造していました。
この辺りは空襲の被害が大きかった地区の一つで昔を偲ばせるものはあまり遺っていません。亀戸中央公園をはじめとする公園が多いのは家屋密集地帯であったために被害が拡大したのを教訓としているからでしょう。
・寺島町
寺島町(てらじままち)という町名はどこを探しても見つかりません。それもそのはずで現在では廃止された町名だからです。範囲としては東向島、堤通、京島、八広などが相当します。ただし学校や図書館などに名前が遺っています。
廃止された名前なのに聞き覚えがある方もいると思います。それは滝田ゆうの自伝的漫画である「寺島町奇譚」によるものが大きいのです。
私娼街として知られていた玉ノ井は公娼街より安く遊べて独特の雰囲気があったことから、軍需産業の工員や兵隊で賑わいました。客の中にはセルロイド玩具業者も多かったようです。この辺りも1933年(昭和八年)に22業者、1939年(昭和十四年)に19業者が操業していました。
空襲の被害ということではこの辺りは甚大なものがありました。ところが少ししか離れていない橘通り一帯は殆ど被害がありませんでした。さらに関東大震災の被害も少なかったことから昔ながらの長屋も遺されているという、これぞ下町という名前に相応しい街となっています。
では尾久、亀戸、寺島町で作られたセルロイド玩具はどこへ運ばれて市場へ出ていったのでしょうか。それは厩橋、すなわち蔵前です。かつて国技館があった場所として知られている蔵前は玩具問屋が並んでいることで知られています。またバンダイやエポックなどの本社もあります。戦前からの伝統が今でも遺っている好例と言えるでしょう。
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