セルロイドサロン
第199回
松尾 和彦
1916年という年は

 皆さんは今から百年前がどのような時代だったかを考えたことがありますか。人生百年と言われる現代において百年前は、それほど昔のことではありません。今から百年前の世界に行ってみましょう。

 百年前の1916年はヨーロッパでまさに大戦争の最中です。5月31日に現在に至るまで最大の艦隊同士の砲撃戦となったユトランド沖海戦が起きています。イギリス艦隊151隻、ドイツ艦隊99隻の砲撃戦により、イギリス14隻ドイツ11隻が沈没しています。双方ともに勝利を宣言しましたが、双方ともに敗北したというのが本当のところでしょう。

 この大合戦から五日後にキッチナー大将の乗艦が被雷して沈没しています。と言ってもキッチナーは陸軍大将で陸軍大臣です。ロシアへの移動のために装甲巡洋艦ハンプシャーに乗っていたのですが、その船が沈められたのです。キッチナーの戦死がどれほどの衝撃であったかというと、日露戦争中に東郷平八郎と乃木希典が第二次大戦中にアイゼンハワーとマッカーサーが同時に戦死したよりも大きい、と言えばどれほどのものであったかがご理解いただけると思います。

 海だけではありません。陸でも猛烈な砲撃戦が繰り広げられていました。特にフランスでの戦闘が激しく、フランスでは今でも戦争と言えば第二次ではなく第一次を指すほどです。何しろいまだに当時の不発弾が一日に一トンと言われるほど処理されているのですから。

 これほど激しい戦闘が行われていると砲弾も火薬も不足してしまいます。それでどこに発注するかというと遠く離れていて被害のない国、つまり日本です。そのため火薬工場はフル回転することになります。そして作っただけではだめでヨーロッパまで運ばないといけません。そのため海運業者もフル回転です。船賃は高騰したものですから船成金が次々に生まれました。中でも有名なのが内田汽船の内田信也です。株主に六十割という配当を行ったり須磨に五千坪の大豪邸を構えたりしたのもこの年です。また山本唯三郎が同志社に新島襄の銅像を寄贈するとともに八万円を寄付して図書館を建設したのもこの年です。
 
 この好景気の年の国家予算は5億9079万5353円でした。約6億円という国家予算の規模は約十年に渡って続いたものでしたが、翌年から急増します。翌年に約7億3500万円になったかと思うと、次の年には10億を超え、わずか五年にして15億近くになります。
 これほど予算規模が拡大した理由はサロン167に書きました物価高騰です。消費者物価が二倍になったものですから予算規模も二倍半になったのです。もし今の時代に国家予算が約90兆円から225兆円になったら、どのようなことになると思いますか。そして物価は二倍です。間違いなく大混乱になります。米騒動が起きたり河上肇の「貧乏物語」がベストセラーになったのもうなずけます。

 この年、アメリカで自動車生産が百万台を突破します。理由はもちろんヘンリー・フォードです。オートメーションシステムを取り入れた結果、それまで一台を作るのに12時間以上かかっていたのが、2時間少しで出来るようになったのです。1908年に生産を開始した有名なT型フォードは20年間もモデルチェンジをしませんでした。その間の生産台数は1500万台を超えています。まさにアメリカで自動車が身近な存在となった年でした。
 一方、日本では豊田佐吉が自動織機を完成させています。豊田佐吉とくると、佐吉を支え続けた七代目石川藤八の話を欠かすわけにはいきません。トヨタグループの原点となったのは1897年に設立された乙川綿布合資会社ですが、その資金8400円を提供したのが藤八です。そしてもう一人興和紡績の創業者である服部兼三郎は「少し大きい25万円ほどほしい」と佐吉が言ったところ、ぽんとその大金を提供したということです。昔の人はスケールが大きいですね。

 この年に亡くなった人を見てみると音速を表す言葉となったエルンスト・マッハ(2月18日)、染色体説を提唱したウォルターS・サットン(4月5日)、ノーベル生理学・医学賞のイリヤ・メチニコフ(7月16日)、ノーベル化学賞のウィリアム・ラムゼー(7月25日)、ブラックホール説のカール・シュヴァツバルト(10月9日)、夏目漱石(12月9日)などが没しています。面白いのが10月11日にバイエルン国王オットー一世が亡くなると11月21日にはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世も没します。

 では生まれた人はというとイギリス首相ハロルド・ウィルソン(3月11日)、世界で最初の女性大統領として知られているシリマヴォ・バンダラナイケ(4月17日)、DNAで有名なフランシス・クリック(6月8日)、東京ローズことアイバ・戸栗・ダギノ(7月4日)、フランス大統領フランソワ・ミッテラン(10月26日)などが生まれています。

 ではセルロイド産業はどのような時代だったでしょうか。これは御存じの通り超好景気でした。生地製造会社も加工工場もフル回転に次ぐフル回転。製品だけでなく加工くずまでもが高値で取引される。大卒の初任給が月に五十円であった時に一日に四十円を稼ぐ、加工くずによる収入も同じくらいあるとあっては金銭感覚が完全に狂ってしまったということはこれまでにも何回か述べています。そして戦後の反動不況も述べています。

 このように百年前はそれほど古い話ではないといえます。そしてもう一つ、人間は百年ぐらいではそれほど変わらないということも言えるようです。


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