セルロイドサロン
第2回
松尾 和彦
樟脳





防虫剤としておなじみの樟脳の歴史は意外なほど古く、六世紀頃には既にアラビア人が薬用に使っていたという記録が有る。また一二七一年にマルコ・ポーロが東方旅行をこころみたときには、スマトラ島で樟脳が薬用や防腐用に用いられていたと書いてある。

モノテルペンケトンの一種で医薬関係ではカンフルともよんでいる。

クスノキ科、シソ科の木材中に含まれており、これらの木片を水蒸気蒸留して得られる。無色透明のやわらかい固体で板状に結晶する。爽快味の有る特有の臭気が有り比較的昇華しやすい。融点178・7〜178・8℃、沸点204℃。水1リットル中に約2g溶解する。モル凝固点降下は40度と非常に大きいので、凝固点降下法(ラスト法)による分子量測定用の溶剤として用いられている。
樟脳を少量人体に吸収させると生体内で酸化中問体としてπーケトショウノウを生じ、強心作用などの薬理作用を呈するので、強心剤として注射薬に用いられている。しかし心臓に対しての麻酔作用が有るので大量に使用するとてんかん様発作、心臓や呼吸の麻痒をひきおこす。常用量は一回0.05g、一日0.3gである。

セルロイド生地を生産するためには生地1トンにつき250kgもの樟脳を必要とする。しかし樟樹は極東方面、特に中国大陸南部から台湾、日本では九州、四国、本州の南部にしか分布していない。台湾の樟樹林に目をつけたイギリス商人は、1855年頃からヨーロッパに輸出して、セルロイド産業が盛んになった頃からは、日本本土産も多く輸出されるようになった。

日清戦争の結果台湾を領土とした政府は樟脳製造取締規則を公布して、旧清国政府の許可証を持つもの以外の製造を禁止し、1899年には樟脳専売規則を公布した。この規則は台湾を失った戦後も引き継がれ、資源保護と生産業者育成の立場から買い上げ価格を上げ需要家に負担させる政策を取っていたが、1962年に廃止された。この法令によりアメリカでは1ポンドあたりの価格が1899年8月 43.5セント、1899年12月 51セント、1903年1月 55〜60セントと上昇していった。このため1908年にフロリダに12,000エーカーの土地を確保して、そのうち5,000エーカーに樟樹を植えたが、葉が茂った頃にthrip insect (甲虫の一種)に食い荒らされてしまい、1913年に事業は放棄された。

樟脳を生産するための樟(楠と書くのは間違い)はクスノキ科の常緑樹で、日本最大の樹木として知られている鹿児島県蒲生町の蒲生神社の大クスノキ(幹回り240.2m、根回り33m、高さ30m)をはじめ、日本の巨大樹十本のうち八本までが樟である。また長寿であり、香川県の善通寺にある樟は弘法大師空海が生まれた774年には既に生えていたと伝えられる。この他にも各地に樹齢千年以上と推定される樟がある。
著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。

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