セルロイドサロン
第20回
松尾 和彦
櫛、簪、笄とセルロイド
 国産み神話で有名なイザナギが黄泉の国に亡き妻イザナミを訪ねにいった帰り道に醜い邪神に追いかけられます。イザナギが逃げる途中に黒御かずら(髪飾り)を取って後方に投げるとブドウになりました。邪神が拾って食べている間にイザナギは逃げます。しかしなおも追いかけてきたので、今度は湯津津間櫛を取って投げ捨てると筍になりました。これを邪神が食べている間に逃げ切ることが出来ました。

 これは植物の蔓草を頭髪に巻きつけて飾り物にしていたことと、竹製の櫛が古来から使われていたことの証だと言われています。

 日本では古くから先の細い一本の棒に呪力が宿ると信じられていました。今でも伝わっている例が神に捧げる玉串、神を招く時に立てる斎串などです。髪の毛には霊力が宿ると考えられていましたので、一本の細い棒を刺して悪魔払いをしました。これが髪串ですが、何本も束ねたものが櫛に発展していったと考えられています。

 ヨーロッパでも新石器時代に植物のとげ、魚、動物の骨、鹿の角などで作られた櫛が使われていました。

 また簪は「かみざし」がなまった言い方で、こちらのほうは旧石器時代に貝の小玉をつけたヘアピンが使われていました。

 今回は櫛、簪、それに日本髪を止める時に使われていました笄の歴史を述べていく中でセルロイドが、どのようにして関わりあっていったかを述べていくことといたします。
 先ほどイザナギが投げた櫛が竹製であったと述べましたが、縄文時代には漆を塗り固めたものが使われていました。この頃の櫛は縦長で特に歯の部分が長いものが使われていました。これはヘアーピンと櫛との機能を両立させるためだったと考えられています。

 また簪は角や骨、木などで作られたものが多く見られて飾りや彩色が施されているものも現れました。これは装飾としての意味だけではなく、呪術的要素や身分、地位、年齢などを現す目的もあったと考えられています。それがよく現れているのが古墳から出土する埴輪で、様々な簪や櫛を挿しています。

 時代が少し進みますと花を髪に挿したり、飾り物を冠につけたりするようになります。歌舞伎や相撲などで使われています「花道」という言葉の語源が、この頃に既に見られていたわけです。

 奈良時代になりますと遣隋使、遣唐使などの影響で総てのものが唐風になりました。
髪型も例外ではありませんでした。そのために櫛も簪も新しい形式のものが必要になり輸入品が多く出回るようになりました。形もそれまでとはがらりと変わって横長の挽櫛で黄楊製で、今現在でも出回っているものと同じようになったわけです。

 これが平安時代になりますと遣唐使が廃止されたこともあって、総てのものが今度は和風になっていきます。髪型も平安美人というと思い出します垂し髪に変わります。長く垂れた髪が美しいとされ、櫛や簪は髪を飾るものではなく梳くための実用品となります。ただし宮廷婦人の礼装として、髪を頭上に束ねて髻を作り、その髪を装飾用の櫛、簪で飾りました。この風習は現在でも皇室の大礼の際に皇后、女官の頭に見られます。

 垂し髪は近世に入ると結髪に変わりました。この髪を止めるのに便利な笄が用いられているうちに簪が生まれました。「笄」という字は今では「こうがい」としか読みませんが、昔には「こうがい」「かんざし」両方の読み方をしていました。

 「ウニコールの一本笄」という言葉があります。ウニコール、すなわち北極海などに成育しています一角鯨の長く突き出した犬歯で作られた笄は最高級品とされ、高尾と呼ばれる太夫や、金持ちでないと手に入らないものでした。そのため男達は何とかして気を引いてもらおうと「ウニコールの一本笄」を贈りました。ただし実際は骨や角などで作られたものであったのは言うまでもありません。

 その櫛や簪、笄も江戸時代初期には黄楊の櫛に鯨の棒笄といったものでしたが、段々と贅沢になっていき金属、鼈甲、象牙、珊瑚、玉などが使われるようになり、形も天丸型、山高型、利休型、糸鬢型など多種多様になり、蒔絵や螺鈿、透かし彫りなどの技術が施されるようになりました。浮世絵でお馴染みの花魁の髪を飾るようになっていったわけです。

 明治になりますと文明開化の印として明治政府は「断髪令」を出して、それまでの丁髷から洋風の髪型に変えるように命じます。ところがそれは男性に対してだけで、女性に対しては何の通達もありませんでした。そのため女性の髪の洋風化は遅れてしまいましたが、それでも鹿鳴館などの影響で洋髪となっていきました。

 では、日本が真似をした洋髪の本場のヨーロッパ、アメリカでは髪飾りはどのようになっていたのかを見ていくこととします。

 十八世紀の中頃から髪飾りが一般的なものとなっていきます。木、貝、骨、角、象牙、鼈甲などが材料として使われました。この産業のアメリカでの中心地となったのが、セルロイド産業ではお馴染みのマサチューセッツ州レオミンスターです。角や鼈甲を使って作っていましたが、角はすぐにボロボロになってしまう上に簡単に裂けてしまうので、使いにくい材料でした。鼈甲は熱と圧力を加えてやれば接着することが出来るので扱いやすいのですが、既に絶滅が心配されていました。

 このように新しい材料が必要だと人々が感じ始めていた時代に現れた新素材がセルロイドでした。この新素材は天然の材料のような面倒な準備が必要なく、何日もかかっていた作業が数時間で出来ましたので、一日で二百以上も生産することが出来ました。そして材料が不足することもないので、もってこいのものでした。さらに象牙の代用品として発明されたことが示していますように様々な天然素材の代用品となり、着色も容易であるという長所を持っていましたので、たちまちのうちに普及していきました。

 セルロイド櫛の製造工程を簡単に説明いたします。
裁断: セルロイドの平板を小さく切って櫛の形にします
先を細くする: 櫛の歯になる部分を先に行くにつれて細くなるように削ります
挽き: 櫛の歯を一本一本挽いていきます
端落し: 櫛の歯の先を細く丸くします
彫刻: 彫刻や透かし彫りを施します
パウンチング: 櫛を軽石の粉や灰の中につけて高速回転させて表面を滑らかにさせます
曲線付け: 曲げる必要があるものは蒸気に当てたり、熱湯に漬けたりして型に入れて曲線をつけます
ニス塗り: 櫛全体に光沢をつけます
磨き: 表面を粉などで磨きます
飾り: 金属、宝石などの飾りを付けたり、色付けを行います

このセルロイド櫛の中心地となったのがレオミンスターで「櫛の町」と呼ばれるようになりました。またフランスでは、これもセルロイド産業ではお馴染みのオヨナーがセルロイド製髪飾り製造の中心地となりました。

 第一次大戦は国際情勢を変化させただけでなく、ファッションも大きく変えました。それまでは古風な感じのする暗い色のものが中心だったのですが、明るいものになりました。また身体をきつく締めていて肌を隠していたのが、開放的で大きく露出するようになりました。これはその頃、電灯が世界的に普及するようになったために明るいものが好まれるようになったこととあいまって加速していきました。

 そのために琥珀、象牙、鼈甲といった古典的で深い色をしたものから、赤、青、黄、緑などの鮮やかな色をした模造宝石を嵌め込んだ薄い色のものに変わっていきました。日本では昭和の初め頃のモガと呼ばれた人達が好んで使ったものでした。

 セルロイドが、このような変化に耐えられたのは着色、加工などが容易であったことに加えて、宝石を取り付けるのも用意であったことが挙げられます。

 石を取り付けるための窪みを石よりも少し小さく作る
 熱して柔らかいうちに石を飾り付ける
 冷めるに従って石の周りのセルロイドが収縮していって固く締める

 たったこれだけの作業で取り付けることが出来るのです。これはそれまでの素材に見られない特徴でした。

 このように順調に進んでいったかに見えたセルロイド櫛製造業界に大打撃を与える事件が起きました。断髪が流行したのです。アイリーン・キャッスルがボブ・ヘアーにすると、次々に髪を切りました。レオミンスターでも数多くの櫛工場が閉鎖して、失業者が溢れることになりました。

 このような苦境を好機に変えたのがサミュエル・フォスターで「総て順調だ。我々は何か新しい他のものを作り出すことが出来る」と言って作り出したものは、ショートヘアーによく似合う小さな髪飾り、櫛でした。まさにコロンブスの卵のような発想でした。

 日本では国内向け、欧米向けなどの他にアジア向けという大きな市場がありました。
当時は、まだまだ不潔であった上に洗髪の回数も不足していたものですから、頭虱が多く発生していました。普通の方法では、なかなか取りにくいものですから、非常に細かく歯を切った梳き櫛で何度も髪を梳いて虱の成虫や卵を取ったのです。

 このように細かい櫛が出来たのもセルロイドの加工性によるところが多いと言えます。
またセルロイドの持つ適度な弾力性、静電気などが櫛に適していたわけです。

 プラスチック全盛時代となりました現在ではセルロイド櫛は、あまり見られなくなりました。それでも無くなったわけではなく今でも市販されています。今度、見かけられましたら是非購入されるようにしてください。また骨董市などでセルロイド製櫛、鼈甲、笄などがありましたら手にとって見てください。必ずや、その手触りの柔らかさに驚かれ、作りました職人さんの息吹が感じられるはずです。

著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。

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FAX  03(3588)1830



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