前にサロン200で「百年前の世界」について述べましたところ、もう百年前はどのような時代だったのかとのご質問をいただきましたので、今回は「二百年前の世界」について書くことといたしました。
先ずはいろいろな意味で話題となっていますトランプ大統領が誕生したアメリカからです。同国ではこの年の三月四日にモンロー主義で知られるジェームズ・モンローが第五代大統領として就任しています。アメリカ大統領の就任式というと一月二十日と思ってしまいますが、実はその日になったのはフランクリン・ルーズベルト大統領が就任した1937年からのことで、それ以前はジョージ・ワシントン大統領からハーバード・フーヴァー大統領に至るまで三月四日に就任式を行っています。
この頃アメリカは国土を大きく広げ倍以上となっています。その理由はヨーロッパの動乱です。
当時ヨーロッパでは少し前までナポレオン戦争と呼ばれる戦乱が続いていました。この戦争による影響はアメリカにも及び、イギリスとの戦争に発展します。米英戦争によってホワイトハウスは焼き討ちされ、先住民達は米英両国軍による大虐殺によって激減し中には絶滅に追い込まれた種族もいます。
ヨーロッパの影響は鎖国をしていた日本にまで及び出島が孤立状態となります。何しろオランダ本国がフランスに併合され、ジャワのバタヴィアがイギリスに占領されたのですから出島だけがオランダと言える状態でした。この1817年にオランダ商館長として赴任したヤン・コック・ブロンホフは妻子、乳母、召使を同伴していました。出島にやってきた初めての女性は話題となり川原慶賀が描いた絵が遺されています。また現在でも古賀人形「紅毛婦人」としてお土産となっています。
この商館長の在任中に編纂された辞書が有名なドゥーフ・ハルマです。前任者のヘンドリック・ドゥーフは、十七年もの間出島に住み前述のような状態になっても世界で唯一オランダ国旗を掲げ続け本国が再独立を遂げると最高勲章を授けられました。当時の江戸幕府もドゥーフに対しては好意的で長崎市内への出歩きを許可し、所蔵している本を相場よりもはるかに高く購入して生活物資を得る術としました。
この頃に日本にやってくるはずがないオランダ船が次々にやってきました。その数は十三回だったといいます。それは実はオランダ国旗を掲げたアメリカ船だったのです。日本にやってきたのはペリーが最初ではなかったのです。
ではその頃の日本はどのような状態だったのでしょうか。寛政の改革で知られる松平定信は僅か六年程で失脚しましたが、松平信明ら寛政の遺老と呼ばれる老中達によって定信の路線が維持されていました。定信の政策は緊縮に次ぐ緊縮であったために経済はすっかり疲弊していました。さらに徹底した思想統制により文化も低迷してしまいました。緊縮財政、思想統制が三十年も続いた上に賄賂が横行し、不正腐敗が大手を振るという状態でした。失われた二十年ならぬ、失われた三十年プラス汚職政治家の横行という時代でした。
1817年に中心人物の松平信明が亡くなり他の老中達も職を退いたので一時的に回復したのですが、寛政の改革による痛手はあまりにも大きく江戸幕府は五十年後に崩壊することとなります。
こうしてみると国が消滅するほどの大戦争ほどないものの今とあまり違わないようなこともやっていますね。人間は進歩するようで進歩しないということを分からせてくれる二百年です。
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