セルロイドサロン
第204回
松尾 和彦
トーマス・レインショックとは

 1954年(昭和29年)12月27日付の各紙に伊勢丹百貨店が「セルロイド玩具は全部不燃性のものと取り換えました。安心してお求めください」との広告を掲載したことはよく知られています。
 これがアメリカ民主党のトーマス・レイン下院議員による「可燃性物資法」を受けたものであることもよく知られています。その結果、セルロイド玩具業界はパニックになった、と思われていますが実際のところはどのようなものだったのでしょうか。今回はトーマス・レインショックについて述べてみることといたしましょう。

 同議員が可燃性を問題にして日本製セルロイド玩具の輸入禁止を述べたのは同年の11月24日でした。この時は業界としては特に騒ぎ立てたりはしませんでした。というのはそれまでもクリスマス、イースター、ハロウィンなど日本製セルロイド玩具が売れる時期になると、米国の業者が嫌がらせをしていたからです。対米輸出が好調だと難癖をつけてくるというのは今と同じですね。
 また何時もと同じ空騒ぎだろうと思っていたのですが、この時は違っていました。12月17日に米国大使館員が「悪質な材料を用いた玩具」の生産高並びに輸出状況について調べるためセルロイドの検査協会や協同組合にやってきたのです。今回は「本物だな」と思ったところにニューヨークの消防長官が「日本からクリスマス用として輸入されたセルロイド製の玩具は極めて燃えやすく危険だから買わないように警告する」と発表したとの外電が入ってきたのです。
 当時のセルロイド玩具がどのような国に輸出されていたかの表を示すといたしましょう。

 セルロイド玩具の輸出額(単位:千円)
輸出先   昭和九年度  昭和十二年度 昭和二十四年度  昭和二十九年度 
 アメリカ  474(12.8%)  1,886(31.7%)  356,454(48.1%)  194,880(33.4%)
 イギリス  669  648  3,229  
 インド  395  677  8,066  
 オランダ  120  93  3,881  
 中米    21  2,344  
 南米    155  19,216  
 中国    534  62,896  
 合計  3,708  5,953  741,025  583,560


 このように対米向け輸出が大きなウエートを占めていたことが分かります。その市場が無くなるのですから業界としては大ショックを受けたという説明は受け入れられるものです。
 ところが実際には、それほど大きな衝撃とはなりませんでした。というのも「可燃性物資法」は一度も審議されることなく廃案となりました。またセルロイドに換わる硬質塩化ビニールの生産数量が1953年(昭和28年)200トン、1954年(昭和29年)727トンでした。同じ時期のセルロイドが7,470トン、8,440トンですから10%にも達しません。アセチロイドはというと加工が容易ではありません。価格も六寸の起き上がりでセルロイド製420円、アセチロイド460円、塩化ビニール500円と価格差がありました。そのため伊勢丹他の百貨店からは姿を消したものの一般小売店では健在でした。輸出についても対米向け以外は順調でした。それどころか対米向けでさえバイヤーが平気で買い付けてきて続いていました。その結果、セルロイド玩具の輸出は報道のあった1954年(昭和29年)に前表の通り5億8千万円、翌年はさすがに4億4千万円に落ち込みましたが、次の年には4億9千万円に回復しています。

 このようにトーマス・レインショックは直ぐに表れたものではありませんでした。しかし流れは作りました。硬質塩化ビニールではなく軟質塩化ビニール化が進みました。空気の入った人形は今までになかった手触りであったために好評をはくし、百貨店の玩具売り上げで50〜70%を占めるほどで問屋筋では毎日加工場に集荷に行かなければ手に入りませんでした。この頃の加工場の多くはセルロイドと軟質塩化ビニールとを手掛けている工場で、どうしても売れるほうを生産しますから軟質塩化ビニールばかりになって、セルロイドに手が回りません。こうしてセルロイド玩具は次第に姿を消していきました。
 可燃性物資法の影響は玩具だけではなく他のものにも及びました。万年筆、下敷き、パス入れ、歯ブラシなどもプラスチック化していきました。
 セルロイドを取り巻く状況は、このように変化しつつありました。ところが折からの「神武景気」により表面化してこず、セルロイド生地の生産は1957年(昭和32年)に戦後二位の8,279トンを記録します。(最高記録は8,354トン)
 需要が減っているのに供給が増えているのではバランスが崩れてしまいます。しかも金融引き締めを行ったために「なべ底不況」となります。業界はカルテルを結びセルロイド生地の生産量も5,867トンに落ち込みました。さらにセルロイド生地の生産を打ち切るメーカーも相次ぐこととなりました。

 このようにトーマス・レインショックは、その時に直ぐに表れはしませんでしたが徐々にセルロイド業界に衝撃を与えたのです。しかし業界はこのショックを乗り越えて今では形を変えて生き残っています。禍を転じて福と為すという言葉の好例と言えましょう。


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