大正四年(1915年)は前年の夏に勃発したヨーロッパの戦争が激しさを増した頃です。ドイツはUボートにより無制限潜水艦作戦を発動し、数多くの艦船、商船を撃沈します。その中にはゴライアス、マジェスティック、トライアンフといったイギリスの大型戦艦、ルシタニアのような豪華客船もありました。地上戦ではイーペルの戦いでドイツ軍が使用した毒ガスにより5,000人ものフランス兵が死亡しました。この時に使用されたガスは後に場所の名前を取って「イペリットガス」と呼ばれるようになりました。
この戦争によって日本が空前の好景気を迎えたことは、これまでも述べてきたとおりです。建て直った会社も数多くありましたが、その一つが日本セルロイド人造絹糸です。その当時に施行されていました保安規定細則、業務執行規則を入手しましたので中身を見ていくことといたしましょう。
先ずは保安規定細則からです。中身を見てみますと硝酸室、硝化室、綿乾燥秤量室、煮洗室、洗断室、水切槽及駆水機室、硝化綿配合室、圧搾室、捏和室、再練浸漬室、圧延室、予乾室、各溜置室及湿薬室、裁断室、選別室、乾燥室、混同室及混同収函室、火薬庫について述べられています。
その内容は整理整頓を心掛ける、清潔にする、基本動作を忠実に行う、もちろん火気は厳禁とするといったもので特に目新しいものではありませんが、重要なものばかりです。
この細則が面白いのはルビの振り方で例えば「防止の良法」には「やめるがよい」、「異臭」には「へんなにおい」といったぐあいです。なるほどこれなら誰にでも分かりやすくて教えやすいですね。
次に業務執行規則ですが、こちらも各職場はどのような作業を担当するとか、職員として支配人、技師長、係長、技師などを置くとか、出張旅費として重役はこれだけ、一般社員ならこれだけを支給するといった類で、こちらも現在のものとそれほどの差違はありません。そしてこちらにはルビが全くありません。
内容を見ていきますと、月給が二百円以上の人がいる一方で三十円以下の人がいるということが出張旅費や社宅規定で分かります。この当時、米10Kgが一円程度でしたので三十円でも300Kgの米が買えるということです。300Kgの米とは三人の一年分の消費量です。もっとも当時は、もっと米の消費量が多くて一世帯当たりの人数も多かったので、単純比較は出来ません。そして二年後には三円を超えて米騒動が起きるという事態になっています。
その社宅規定について面白いものがあります。それは電気、水道、掃除、草取り等の費用は会社負担とする一方で糞尿料は会社の収入とするというものです。糞尿は現在では殆どの家庭で水洗式になっていますが、かつては汲み取り式で一杯になったら取りに来ていました。江戸時代頃には汲み取りに来る農家のほうが金を支払い暮れになると野菜を配りに来ていました。この風習が大正時代でも続いていたということが分かる資料となっています。
この保安規定細則、業務執行規則につきまして興味を持たれましたら横浜にお越しの際に申し出てください。今と同じだなと思われたり、こんなことまで決めていたのかと感じられたりするでしょう。
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