セルロイドサロン
第235回
松尾 和彦
第一次世界大戦時の玩具生産について

 1914年7月28日に勃発したヨーロッパ諸国の戦争は早期に終結するという大方の予想と違って長期化し世界大戦となり、参戦国ではあるが戦場とはならなかった日本に空前の好景気をもたらしたということは、これまでにも取り上げてきたとおりです。
 玩具類、中でもセルロイド玩具の輸出が好調であったことについても何回か述べてきました。では実際はどのようなものだったのでしょうか。
 この問題に取り掛かる前に第一次世界大戦に至るまでの玩具輸出の推移を見ることといたしましょう。

金額(千円)

1897年を100とした指数

対前年比%

1897(明治三十)

  246

       100

     

1898(〃三十一)

   243

        98.8

      98.8

1899(〃三十二)

   280

       113.8

     115.2

1900(〃三十三)

   346

       140.7

   123.6  

1901(〃三十四)

   347

       141.1

     100.3

1902(〃三十五)

   386

       156.9

     111.2

1903(〃三十六)

   517

       210.2

     133.9

1904(〃三十七)

   595

       241.9

     109.3

1905(〃三十八)

   600

       243.9

     100.8

1906(〃三十九)

1,036

     421.1

   172.7

1907(〃四十)

   953

       387.4

      92.0

1908(〃四十一)

   790

       321.1

      82.9

1909(〃四十二)

   976

       396.7

     123.5

1910(〃四十三)

 1,498

       608.9

     153.4

1911(〃四十四)

 1,889

       767.9

     126.1

1912(〃四十五)

 1,898

       771.5

     100.5

1913(〃二)

 2,490

      1012.2

     131.2

1914(〃三)

 2,592

      1053.7

     104.1

1915(〃四)

 4,533

      1842.7

     174.9

1916(〃五)

 7,640

      3105.7

     168.5

1917(〃六)

 8,410

      3418.7

     110.1

1918(〃七)

10,190

      4142.3

     121.2

1919(〃八)

13,001

      5285.0

     127.6

1920(〃九)

21,189

      8613.4

     163.0

1921(〃十)

 7,004

      2847.2

      33.1

1922(〃十一)

 7,414

      3013.8

     105.9


 これで分かる通り第一次世界大戦が勃発したことによって跳ね上がり、終結とともに急降下しています。
 この好不況の波をもっとも表しているのが、これまで何度も言いましたセルロイド玩具業者が1日で大卒初任給の1ヶ月分を上回る収入があったが、戦争終結とともに倒産夜逃げが相次いだという、これまでにも何度か取り上げた話です。

 ところが第一次世界大戦勃発により壊滅的な打撃を受けた玩具業者がいます。それはブリキなどの金属玩具業者です。
 この戦争中にドイツのUボート、仮装巡洋艦などによって主に大西洋、地中海で5,300隻もの船が沈められました。当然、船舶不足に陥ります。そのため戦前にトン当たり3円だったチャーター料が、国内で30円、危険が伴うヨーロッパ向けは45円になります。船価に至ってはトン当たり50円が6,700円となります。そのため内田信也、山下亀三郎、勝田銀次郎といった船成金が生まれるわけです。
 内田信也が須磨に五千坪の豪邸を建てたという話は前にもしましたが、山下亀三郎は総理大臣の年俸が12,000円だったのに対して2,900万円の利益を挙げています。でも出身地の愛媛県に学校を二つ寄贈しています。勝田銀次郎は倒産してしまいますが地方政治家となり神戸市長として鉄腕市長とまで呼ばれるようになりました。また筋を通す人物で船価が下がったので造船所側が価格を下げようとしたところ元のままの価格で取引を進めています。
 これだけ船関係が儲かるということになると、鉄は船が最優先となります。加えて最大の製鉄国であったアメリカが鉄の輸出を禁止します。そのため船と鉄とを交換するというバーター取引も行われました。この時にアメリカではコルセットに使っていた鉄までも船に回したために、戦争が終わっても女性達は窮屈なものをつけようとはしませんでした。この開放感がロアリング20年代となっていくわけです。
 このあおりをくったのが家庭用品で包丁が五割、鍋・釜1.5倍、バケツ2倍と軒並み値上がりしました。さらに窮地に立たされたのが金属玩具業者で材料が入らなくなってしまいました。加えて塗料も船に回したために暴騰しました。その結果、金属玩具は残念ながら詳しいデータがありませんが著しい落ち込みを記録しました。

 セルロイドを含む玩具業者は高騰した輸送費にも悩まされました。玩具類は中空で軽いものですから重量の割に容積が大きく場所を取ります。そのため輸送費がかかってしまいます。さらに1917年春にアメリカと並ぶ二大輸出相手国だったイギリスが玩具の輸入を禁止しました。これは直ぐに収まりましたが前年と比べると半減してしまいました。日本製の占める割合も46.0%から8.2%と急落します。
 このように戦争中から玩具業界には危機が訪れていたのですが、誰も気が付きません。この辺りは株価、地価の高騰に酔いしれていた昭和から平成にかけてのバブル景気に似ています。そして危機を迎えて初めて慌てだすのも同じです。やはりこれまでにも言っていた通り大正の戦争景気もバブル景気と同じで本物ではなかったのです。

2019年4月1日記す


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