セルロイドサロン |
第27回 |
松尾 和彦 |
関西セルロイド巡り |
もし関西方面に出掛けられます用事がありましたら足を伸ばして欲しいところが何ヶ所かあります。その一つがサロン21で取り上げています神戸の旧外国人居留地です。 ここの二十二番館に一八七七年(明治十年)にやってきました赤色の塊が日本で最初のセルロイドであることは以前にもお話しました。やがては彼の地に「日本セルロイド発祥の地」との碑を建てるようにしたいものです。 日本で最初のセルロイドとなりました関西地方には一方では現役のセルロイド関係業者の方がいます。今回は、この関西の地とセルロイドの係わり合いについて書いてみることにいたしましょう。 南海本線の七道駅(大阪府堺市)のホームに立って北の方角を見ますと赤煉瓦の建物が見えます。それがダイセル化学工業の建物で、日本で最初の本格的なセルロイド工場となりました堺セルロイドの建物です。一九○八年(明治四十一年)、それまで国産セルロイドの生産が失敗続きだった要因は資本力の不足だと見て大資本の投入を行うことになりました。そして三井と三菱が堺と網干(兵庫県姫路市)に堺セルロイド株式会社、日本セルロイド人造絹糸株式会社を設立しました。 この二つが選ばれたのは水利の良さでした。セルロイド製造には良質の水を大量に必要となりますので大和川(堺)、揖保川(網干)の水を利用できるし、材料、製品の入出荷には海に面していることが都合が良かったのです。また火災となった時にも直ぐに水をかけることが出来ますし、延焼を防ぐことも出来ます。こうしてともに河口であった堺と網干に工場が出来たのです。しかし今では埋め立てが進んだために海からは、かなり離れてしまいました。 堺で見てほしいのが赤煉瓦の建物なら網干では外人宿舎です。日本セルロイド人造絹糸では技術指導のために招いた外国人技術者のために洋風の宿舎を作りました。 その人達のための建物が今でも残っているわけです。 一九一九年(大正八年)に第一次大戦終結後の不況を乗り切るためにセルロイド各社が大合併を行いました。後にダイセル化学工業東京工場となりました東京セルロイド株式会社を除く七社は何れも関西に所在していました。もちろん堺と網干も含まれています。その八社の工場の中で面白いのは能登屋セルロイド(兵庫県尼ヶ崎市)で特許レコードというレコード会社となりました。そしてプレス機器などがセルロイド会社時代のものがそのまま使われたのです。この工場はセルロイド製造の工場としては規模が小さく、生き残りを図るためには他業種への転用が必要だったのでしょう。そして今では釣具店となっていまして、そこにレコード会社があったこと、さらにその前にはセルロ イド工場があったことを偲ばせるものは皆無の状態です。 関西で面白いのは、この大合併の後にもセルロイド会社が設立されていることです。大合併と同じ一九一九年(大正八年)には滝川佐太郎が大阪片江町で滝川セルロイド工業を設立しましたし、一九二三年(大正十二年)に筒井利七と中川三郎が大阪鶴橋に筒中セルロイド工業所を設立しました。この二社は、それぞれタキロン、筒中プラスチックとなって化学樹脂メーカーとして発展しています。 大阪の今里といえば十河与三郎が大阪セルロイド、中谷岩次郎が中谷セルロイドを設立した場所として知られていますが、地下鉄の今里駅を下車して東成区役所の裏手辺りに周りますと一風変わった形の建物があります。それが登録有形文化財となっています大阪セルロイド会館です。この建物の中には眼鏡、スキー、プラスチック資材といったセルロイドと関係のある組合、連盟の事務所が入居しています。 東大阪は元気のよさなら一、二を争う場所でしょう。この町で話題になっています自前の人工衛星を打ち上げようと頑張っている人達は、何れも中小企業というよりも町工場の経営者で、社長ではなく親父さんという言い方が似合うような人達です。その中の一人に日本セルロイド化工の寺西喜嗣氏がいます。この会社ではゴルフクラブのネックに使われていますセルロイド部品を製造しています。 東大阪は人工衛星を打ち上げるぐらいですからハイテクに支えられた町かと思えば、ローテクがこの町に元気を与えています。スペースシャトル、ジャンボジェット機、新幹線といった最先端産業は、この町のローテクが無ければ存在しないものです。スペースシャトルには乗れませんが、飛行機や新幹線に乗った時にはローテクと、その技術を持った職人さんに感謝しましょう。 東大阪に行ったら忘れてはいけないのが豆頑舎(おまけや)ZUNZOです。関西セルロイド会の重鎮というよりもグリコのおまけを作り続けた宮本順三氏のコレクションを集めた博物館ですが、名前の通り小さな玩具が中心です。宮本氏がどのような人だったかはサロン7をご覧になってください。今では孫の磯田宇乃さんが守っています。 大阪の平野といえば町そのものが博物館のような場所です。セルロイドメモワールハウス横浜館には森川泰延さんから寄贈していただきました自転車があります。どうして自転車があるのかというと、この自転車のグリップ部分、チェーンカバーなどがセルロイド製だからです。以前には自転車のグリップやチェーンカバーの他に自動車のハンドルや風防もセルロイド製でした。また昔には矢羽のようなものが出て右折左折を示していました。その方向指示器もセルロイドで作られていました。平野にあります「自転車屋さんの博物館」にも同じような自転車があるはずですので問い合わせてみてください この平野には「小さな駄菓子屋さんの博物館」がありますが、駄菓子屋さんではセルロイド製の玩具が数多く売られていたものです。また平野映像資料館にはセルロイドフィルムも置かれています。 この他にも関西にはセルロイド櫛、ブラシ、万年筆などの現役の業者の方が健在です。今度、出かけられる機会がありましたらセルロイド巡りをされるのも一興かと思います。 |
著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。 |
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