セルロイドサロン
第29回
松尾 和彦
セルロイドと鉄道

 「汽笛一声新橋を・・・」
 有名な鉄道唱歌です。では最初から問題です。この鉄道唱歌は現在では何番まであるでしょう。答は一番最後に発表いたしますので、それまで考えてみてください。


 鉄道と一口で言いましても車両だけが鉄道ではありません。軌道、路盤、トンネル、橋、高架橋、駅、信号、集電、制御、通信、サービスシステム、自動改札、乗車券、定期券など総てが鉄道に含まれます。

 現在ではこれら鉄道には数多くの種類のプラスチック類が使用されています。軌道には絶縁板にフェノール樹脂、絶縁カラーはポリカーボネート、ばね受け台、枕木埋め込み栓はポリアミド、弾性枕木にはポリウレタンといったプラスチック類。駅関係には駅舎、雨どいに塩化ビニール、ホームの椅子が不飽和ポリエステル、案内板にはメタクリル樹脂。電気系統にはハンガーカバーがポリカーボネート、絶縁用にシリコーン、配電盤にはフェノール樹脂。車両そのものには床が塩化ビニール、吊り輪はABSかポリカーボネート、新幹線の手すりがFRP、側板にはメラミンといったぐわいにプラスチック類抜きでは、鉄道を作ることは不可能な状態となっています。


 ではこれらのプラスチック類が無かったころにはどのようにしていたのでしょうか。総てにセルロイドを使っていたのでしょうか。答はもちろんノーですね。新橋 ー 横浜間に鉄道が敷かれた一八七二年(明治五年)には、まだ日本にセルロイドが入ってきていません。では、セルロイドが鉄道にどのような使われ方をしていたのかを見ていくことにしましょう。

 日本の鉄道は世界一時間に正確であることが知られています。先のJR西日本の大事故が、その正確さがプレッシャーとなっていたとしたら残念な話です。時間に正確であるためには正確な時計が必要です。その時計の文字盤にはセルロイドが使われていました。

 汽笛一声で出発したからには予定通りに運行しているかどうかを調べないといけません。速度計、圧力計などの計器類を見てみましょう。そうです。その目盛板がセルロイド製です。衝撃に強いセルロイドは荒っぽい使い方をされる場所に使われていたのです。

 少しパワーが不足しているようです。次の駅の停車時間中にバッテリー交換をいたしましょう。バッテリーケースには中の液体が良く見えるようにのぞき窓がついています。
そのセルロイド窓から見ると液が不足していましたので交換しました。これで電源部の機械が上手く作動するようになってパンタグラフから電気を取り入れることが出来るようになりました。

 ポイントです。腕木が下がっていますので上がるまで待ちましょう。ここには場所によりですが小さな羽根のような方向指示器が見える場所があります。同じようなものがついている車両もあります。その方向指示器がセルロイドで出来ていたのです。

 今では自動車はウインカーの点滅によって右折左折を示していますが、かつてはこの方向指示器が出ていたことを覚えていられる方も多いと思います。ちょうど自動車のようなものが鉄道でも使われていたのです。

 停車している間に運転手の服装を見てみましょう。昔はいかめしい詰襟の服を着ていたのです。そのカラーは今ではポリプロピレンですが、かつてはセルロイドが使われていました。また着ている服のボタンもセルロイド製でした。

 さあ腕木が上がったので進むことといたしましょう。いよいよ終着駅です。駅長室にランドセルの女の子がセルロイドのキューピーを持って待っていました。

 これ、どこかで呼んだ覚えがありませんか。そうです、映画化もされた浅田次郎の名作「鉄道員(ぽっぽや)」ですね。主人公の乙松はそのキューピーに見覚えがありました。十七年前に僅か二ヶ月で亡くなった娘にたった一つだけ買い与えたものだったのです。その後、もうすこし大きな女の子が現れます。そして三度目に現れた時には高校の制服を着ていました。でもその子は本当は・・・、事実を知った乙松は・・・。これから先はご自分で確かめてください。


 このようにセルロイドは鉄道とも関わりを持ってきました。でも注意してください。車両内にはセルロイドは防火対策を十分に取っていないと300グラム以上は持ち込み禁止となっています。

 一九三七年(昭和十二年)十二月二十七日の十六時四十七分頃、鹿児島本線の小倉ー上戸畑間を走行中の七両編成の列車の四両めが突然爆発しました。直ちに停車したのですが火の回りが速くて死者九人、重軽傷三十六人という惨事になりました。

 この事故の原因は、乗客が車内に持ち込んだセルロイド管の束を下ろそうとした際に自分が吸っていた煙草の火が引火したというものでした。

 亡くなった方には悪いのですが、いささか御粗末なこの事故によって持ち込みが禁止になったのです。皆様もセルロイドを扱われる時には煙草は吸わないようにしてください。昔のセルロイド工場では入り口に煙草、マッチ、ライターなどを預けて入場するようにしていました。こうして事故になるのを防いでいたのです。また煙草は百害あって一利なしですから、きっぱりと禁煙されることです。


 話がとんだ方向に行ってしまいました。ここで最初の問題の答を申し上げましょう。それは「分からない」が正解です。これが答では怒られてしまいますね。でも事実です。鉄道唱歌は「現在では」何番まであるでしょう、という聞き方をしていました。新橋 − 横浜間が開通した時に十番まで作られた鉄道唱歌は、新線が開通する度に作られていきました。大江戸線や南北線といった地下鉄でも沿線の風物を読み込んだ歌が作られたのです。でも地下鉄でどうやって外の風景を見ることが出来るのでしょうか。こうして世界で一番長い歌になりましたので、何番まであるかということは誰も答えられなくなってしまいました。


 セルロイドは今では鉄道は鉄道でも鉄道模型に多く使われるようになりました。どこに使われているかは、またの機会に取り上げていくことといたしましょう。


著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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