セルロイドサロン
第37回
松尾 和彦
セルロイドと縁起物

 前回は「縁日とセルロイド」について書きましたが、そこに取り上げましたものは主に縁日に出店しているお店で売っている物でしたので、今回はその縁日を開いている神社仏閣で売っている縁起物について述べてみることといたします。

 縁起物と言って直ぐに思い出すものは東京の方ならお酉様の熊手、大阪なら夷様の福笹でしょう。ところが縁起物は非常に種類が多くて七福神、福助、おふくさん、キューピット、ビリケン、四郎、鯛、鯉、招き猫、鶴亀、高砂、達磨、海老、蛙、ふくろう、白蛇、稲穂、麦穂、米俵、クローバー、鶏、兎、玉子、ツバメ、セミなど数え上げるときりがありません。これらの中から誰もが良く知っているものを幾つか取り上げてセルロイドとの関わりについて見ていくことといたしましょう。


七福神
 七福神の名前と国籍とを答えることが出来るでしょうか。大黒天、毘沙門天、弁財天が天竺つまりインドの神様。布袋、福禄寿、寿老人が中国、そして残りの一人恵比寿が日本の神様です。

 それぞれが豊漁、豊作、大量、長寿、技芸、武術、愛情などを現す七人の神様が宝船に乗っているという構図が考え出されたのは意外なほど古くて鎌倉時代のことです。

また御正月に七福神詣といって七つの神社仏閣を巡って、スタンプを押してもらったり小さな人形を集めたりするのは江戸時代に盛んになりました。

 このように親しまれてきた神様なのでセルロイド人形の題材として一番最初に取り上げられたと言ってもいいほど初期から作られています。起き上がり人形、枡の上に乗った七福神、そして伝統的な宝船に乗った姿など様々なものがあります。それだけに数も多くて比較的求めやすい素材となっていますので、一つ位は買われてみたらと思います。



福助とおふくさん
 福助人形という置物は商売を行っているところなら店先に必ずといっていいほど置いていました。裃姿で座布団の上に座って頭が異常なほど大きな小男は商売繁盛の神様として親しまれてきました。

 江戸の中頃の話ですが京都の百姓の倅で彦太郎なる人物が京都一の呉服屋大文字屋に丁稚奉公に出ました。この彦太郎は大変な働き者で主人にも可愛がられたことから暖簾分けをしてもらうまでになりました。そして所帯を持って妻の故郷名古屋にさらに大きな店を持ちました。

 この話が京に伝わって売り出された人形が福助で、今でも京都では「大文字屋さん」と呼んでいるとのことです。
 さきほど彦太郎、つまり福助が所帯を持ったと書きましたが、その妻がおふくさんだということです。おふくさんは「おかめ」とか「お多福」とも呼ばれていて、夫の福助に負けず劣らずに親しまれてきました。

 この愛嬌のある夫婦は様々な姿で置物や絵画、人形などになっています。素材も紙、陶磁器、木彫など色々です。もちろんセルロイドも使われていますので骨董屋、骨董市などで探されてみたらよいかと思います。



達磨
 赤い着物姿で手足のない起き上がりとなっている達磨は最も親しまれている縁起物の一つです。選挙事務所などに行くと片目だけが塗られた達磨が置いてあります。そして見事当選となるともう片方の目も塗ることになります。このように願掛けをして願いが叶うと両目が開くのです。

 この達磨の元となった達磨大師は、インドの香至国の皇子で釈迦から二十八代目の教えを受けて後に中国へと渡って大師と呼ばれるまでの高僧となりました。

 達磨を縁起物として信仰するようになったのは養蚕農家の方が最初でした。ご存知のうに蚕は絹糸を作ります。養蚕農家の方は今年も絹糸が出来ますようにとの願を掛けて達磨の片目(右目)を塗りました。そして出来が良かったら左目も塗ったのです。この絹糸を作るということと、何回も脱皮して成長していくことで蚕に対する感謝、あやかりたいとの気持ちが生まれたのです。

 達磨は最初に言いました手足のない赤い着物姿が有名ですが、手足のあるもの、きれいに着飾ったものなど実に種類が豊富です。それだけ親しまれていたものですからセルロイド製の達磨も数多くあります。また大きさも大小揃っています。ただし殆どが起き上がりになっています。もし起き上がりではないセルロイド達磨をお持ちの方がいらっしゃいましたらご連絡をお願いします。



招き猫
 室町時代の話ですが弘徳院という貧乏寺の僧がタマという名前の猫を飼っていました。ある日その僧がタマに向かって「お前も何か果報をもたらしてみよ」と冗談めかしたつもりで言いました。すると数日後に狩装束の立派な侍が三人やってきました。話を聞くと、近くに狩りに来たのだが猫がさかんに手招きをするのでやってきたのだと言います。僧は御茶の一服でもと話をしているうちに大雨になってしまったために話が長くなりました。そして僧の話と人柄にひかれた武家は近くお礼にやってくると約束して帰っていきます。その武家こそ新しく領主となった井伊直孝と側近二人だったのです。直孝は約束通りに多くの寺領を与えるとともに堂塔伽藍を寄進しました。

 この井伊直孝の法号は久昌院殿豪徳天英大居士といいます。弘徳院は、この名前を取って豪徳寺と名前を変えました。小田急線の駅名にもなっている世田谷の豪徳寺には井伊直孝の墓はもちろんのこと、タマの墓もあって人々の信仰を集めています。そして今でも熊手や福笹に小さなセルロイド製の招き猫がぶら下がっています。



鶴と亀
 俗に「鶴は千年、亀は万年」と言って長寿の印とされています。また白髪の老夫婦は高砂といってこれも長寿の縁起物になっていますが、その図には鶴が飛び足元には亀がいる場合が多いようです。

 鶴は姿が美しいことから古来から神秘的な鳥とされてきました。長命の印とされたのは意外なほど古くて平安時代にまで遡ります。また亀は霊的動物と見なされ、あの世とこの世とを行き来する使者として神様の乗り物と言われてきました。浦島太郎も亀に乗ったからこそ竜宮城へ行くことが出来たのです。

 不老長寿は古来から人々の憧れで誰にとってもお目出度いものです。また年を取ってからも仲が良い夫婦というものは見ていて微笑ましいものです。

 この親しみの持てる縁起物ですがセルロイドはあまり見られません。鶴、亀の単独は良くありますがセットになっているものは見たことがありません。セルロイドの高砂も同じです。もし持っているとか見たことがあると言われる方はご連絡をお願いします。



ビリケン
 ビリケンというキャラクターは一目見ただけではとても福の神とは言えない姿をしています。異様に尖った頭に吊りあがった目、悪魔的な顔立ちで足を前に突き出しています。

 一九○八年のことですがシカゴにホースマンという名の女流彫刻家がいました。その人がある日、夢とも現実とも区別がつかない中でビリケンと名乗る自称神様と出会います。足の裏をかかれると気持ちが良いと言った神様の姿を彫り上げて展覧会に出しましたが、無名の作家の作品なので会場の隅に追いやられてしまいました。

 ところがその隅に次々に人々が集まるようになったのです。足の裏をかくと願いが叶うという話が広まってビリケンは、たちまちのうちに人気キャラクターとなりました。そして商品化されてアメリカ中に広まり日本にも入ってきました。その頃の日本の総理大臣で陸軍大将の寺内正毅の頭が尖っていたことからビリケンをもじって「非立憲」内閣と呼びました。

 このビリケンはあまり親しみがもてない姿でしたが、それがかえって人気を呼び飛ぶように売れました。木製、焼き物、石膏、ブロンズなど素材も様々なものが用いられました。もちろんセルロイド製のビリケンも数多く生産されました。しかしこれほどの人気キャラクターも今では通天閣のものが知られている程度です。そのためか大阪の人の中にはビリケンは大阪の人が考え出したと思っている人がいるほどです。

 このビリケンの珍品として一九一○年代に作られたビリキューというものがあります。名前の通り半分がビリケン、半分がキューピーとなっているものでセルロイド製のビリキューを日本で持っている方としては、某人気鑑定番組に出演されている横浜のKさんが知られています。



 この他の縁起物にもセルロイドが使われています。しかし残念なことに現役としては招き猫や鯛などしかないのが現状です。もしもセルロイド製の縁起物を見かけましたら迷うことなく買い求めるようにしてください。でもだからと言って願いが叶うかどうかは保証の限りではありません。
著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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