セルロイドサロン |
第41回 |
松尾 和彦 |
セルロイド記念碑を訪ねて |
一八七七年(明治十年)に輸入されたセルロイドは本年(二○○六年)をもって百三十年の歴史を誇ることとなります。このように長い歴史があるだけに様々な記念碑、建物などが見られます。今回は、そのような場所を訪ねて行くことといたしましょう。 一、東京プラスチック会館(東京都台東区柳橋二−十二−十三) 一九六七年に建立されましたこの建物の中には数多くの団体が在籍しています。日本プラスチック玩具工業組合、関東プラスチック工業組合、日本プラスチック工業協同組合連合会、東日本プラスチック製品加工協同組合などは、何れもかつては「プラスチック」の部分が「セルロイド」となっていた組合です。 このように数多くの組合と属する会社とがセルロイドから生まれました。 二、純国産フィルム発祥の地(東京都板橋区志村) 東京都板橋区志村は、地下鉄の駅が近く中仙道が走っているなど交通の便が良いことから今ではすっかり住宅街に変貌しています。しかしかつてここには大日本セルロイド(現ダイセル化学工業)の東京工場が威容を誇っていました。かの寅さんこと渥美清も一時働いていたことでも知られています。 この工場の一角にフィルム試験所が作られたのは一九二八年(昭和三年)五月のことでした。純国産のフィルムを作り出そうとプロジェクトXそのままの苦闘が繰り広げられてることとなりました。 このフィルム試験所は、後に「大量の良質の水」と「きれいな空気」とを求めて南足柄へと移ります。そしてその地から富士山が見えることから富士写真フィルムという会社に発展していきました。 現在、志村には往時を偲ばせるものは何も残っていません。その中にあって「純国産フィルム発祥の地」の碑がひっそりと建っていますので、近くを通りかかられました時にはご覧になってください。 三、葛飾区セルロイド工業発祥記念碑(東京都葛飾区東立石三−三−一) 葛飾区は、かつては日本を代表するセルロイド加工の町でした。玩具から日用雑貨、頭飾り、文房具、楽器など多岐に渡る加工を行っていました。 千種稔の工場もこの地にありました。敷地三百坪、従業員二百五十名は中小業者が多かったセルロイド加工業界においては大会社に属するものでした。しかしこの大会社も第一次大戦後の大不況には抗すべくもなく倒産に追い込まれてしまいました。そして千種、ロイヤル、一條、十全の四社が合併して「中央セルロイド工業株式会社」が設立されました。 葛飾区セルロイド工業発祥の地の記念碑が、渋江公園となったかつての中央セルロイド工業の跡地に建てられたのは一九五二年(昭和二十七年)十一月二十三日のことでした。そして今ではこの碑は葛飾区登録有形民俗文化財に指定されています。 四、セキグチドールハウス(東京都葛飾区西新小岩五−二−十一) モンチッチでお馴染みのセキグチは一九一七年(大正六年)創業の老舗玩具メーカーとして知られています。 その敷地内にある石造りの建物はかつてセルロイド倉庫として使われていたものです。この建物がセルロイド人形の展示館となったのは一九七五年(昭和五十年)に出版された写真集「THE DOLL」がきっかけでした。その写真に出ていた常設展示を求める声が次第に大きくなっていき、遂に展示館設立にまで至ったのです。 ここは常時開館をしているわけではありませんので訪れる時には必ず事前に連絡を入れられるようにしてください。 五、神谷バー(東京都台東区浅草一−一−一) 観音様でお馴染みの浅草は下町を代表する観光地の一つで、何時行っても縁日が開かれているかのごとくにごった返している人気スポットとなっています。 その浅草の雷門近くに神谷バーというお店があります。名前はバーですがレストランや割烹としてのほうが有名で連日千客万来の大賑わいです。 三河出身の神谷伝兵衛がこの店を開いたのは一八八○年(明治十三年)のことでした。茨城県に牛久シャトーを作るなど日本のワイン王として知られている神谷は様々な事業に関心を示し、同郷の深見治兵衛、徳倉広吉らとともに行ったセルロイド事業が現在の大成化工です。 浅草のビルは一九二一年(大正十年)に落成したものです。最後の最後まで新しい事業に意欲を持っていた神谷が没したのはその翌年のことで、まだまだやりたいことがあっただろう六十六歳でした。 六、大阪セルロイド会館(大阪市東成区大今里西二−五−十二) 一九二七年(昭和二年)に設立された日本輸出セルロイド櫛組合は三万五千円もの巨費を投じて櫛会館を建設しました。一九三一年(昭和六年)に隣接して建てられたのが大阪セルロイド会館です。 昭和初期の雰囲気を良く残したこの建物は現在では国の登録有形文化財に指定されています。セルロイド産業の中心地であった大阪にこのような建物が残されているのは喜ばしい限りです。 七、ダイセル化学工業本社(堺市鉄砲町一) 南海線の七道駅のホーム北端に立ち北西方向を見やると煉瓦造りの建物が見えます。これが日本のセルロイド業界においてトップランナーを務めるとともにラストランナーの役目も果たしたダイセル化学工業の本社です。 一九○八年(明治四十一年)に三井が開いた堺セルロイドは、同じ年に三菱が網干に開いた日本セルロイド人造絹糸とともに日本のセルロイド産業の先駆けとなりました。しかし変色が起きたり、発火したりするといった事故が相次いだために工場長が責任を取って辞職するという苦しい時代もありました。 煉瓦の建物は、そんな時代であった一九一○年(明治四十三年)に建てられたものです。煉瓦造りとしたのはもちろん防火性を考慮したものです。 ここは現在でも使われている会社のものですので外から見るだけにいたしましょう。 八、日本セルロイド人造絹糸の外国人宿舎(姫路市網干) 堺セルロイドと同じ年に設立された日本人造絹糸はドイツから設備を輸入するとともに、ドイツ、イギリスなどから技師や現業員などを生産を開始しました。その外国人のために建てられた宿舎が今でも残されています。ここも一般公開はされていませんので外から見るだけにいたしましょう。 九、旧外国人居留地二十二番館跡(神戸市中央区) 日本に最初のセルロイドがもたらされたのは一八七七年(明治十年)のことで、場所は神戸の旧外国人居留地二十二番館でした。 ところが残念なことにこの場所には、セルロイドを偲ばせるものが何もありません。我々の手でせめて記念碑だけでも建立したいものです。 この他にも各地にセルロイド関係の記念碑や建物などが残されていることと思います。それらの情報をお持ちの方は是非御連絡のほどをお願いします。 |
著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。 |
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