セルロイドサロン
第52回
松尾 和彦
セルロイドと麻雀

 好きな人は熱中して徹夜も辞さずに続けるが、嫌いな人はルールが難しい上に何を言っているのかさっぱり分からない。しかもガチャガチャと五月蝿いだけ。

 このように両極端に評価が分かれる娯楽が麻雀です。

 今回は麻雀とセルロイドについて見ていくことにしましょう。


 麻雀は、その事が示すとおり中国で生まれた娯楽です。何時頃から行われていたかは、はっきりとしませんが唐(六−八−九○七)の時代には原型と思われる葉子戯(エーツーシー)が出来上がっていたようです。この頃は四十枚でルールも今とは違っていました。

 その後、形を変えていき明朝天啓年間(一六二一−二七)には麻雀と発音が似ている馬吊(マーチャオ)が出来上がっていました。

 一八○○年頃になると、トランプの影響を受けて対札が出来て一種類のものが四枚ずつになったことから飛躍的に数が増えて、三十種各四枚百二十枚に花牌五枚が加わって百二十五枚となりました。これを江西祇牌と呼びます。

 現在の形に近いものになったのは一八五○年頃に寧波で、江西祇牌に風牌十六枚が加わって百三十六枚となり、それにさらに花牌が入って百五十枚ぐらいになることもありました。この改革は陳魚門という人によってなされたとのことです。


 この麻雀という娯楽は日本よりもヨーロッパに先に伝わりました。その時期は十九世紀末から二十世紀初頭にかけてと思われます。一時は上流社会の必修の一っとなったのですが、やはりルールの難しさと漢字があるのとで次第に衰え定着することはありませんでした。

 日本へ伝わったのは、部分的には日露戦争(一九○四−○五)に中国から帰ってきた人たちが楽しんでいましたが、本格的になったのは大正時代の終わりから昭和の始まり頃で、ちょうど不景気な時代にあたっていた為に比較的時間のかかる麻雀が好まれるという背景があり来した。


 その後、戦前の第一次ブーム、戦後の第二次ブームなどがありましたが現在では娯楽の多様化もあって一時ほどの勢いは失っています。

 この麻雀を難しくしているもう一つの要因は点数計算が複雑なことですが、今では自動的に点数を計算する機械が出来ています。その発明者が何と菅直人で、まだ東京工業大学に在学していた時代に特許を取得しています。

 その菅直人が学生だった時代に中国で一大事が起きました。あの文化大革命のときに毛沢東は自分が麻雀嫌いであったことから全面的に禁止してしまったのです。貴重な歴史的資料に至るまで燃やしたり、川に投げ捨ててしまうということを行いました。

 そのために本家本元の中国では珍品、貴重品がほとんど見られないということになりました。今から考えれば実に馬鹿げた理由で失われたものです。


 この麻雀とは別にドミノという室内遊戯があります。ドミノというと直ぐに並べて倒すほうを思い浮かべてしまいますが、あれはまだ本物のドミノ遊びが出来ない子供の遊び方が有名になって、何時の間にか世界記録を集めたギネスブックにまで掲載されるようになったものです。

 本当のドミノ遊びは出された牌に書かれている目にあう手持ちの牌を、縦方向か横方向に並べて出して早く牌が無くなったほうが勝ちとするものです。

 ドミノという名前は、裏の黒色がドミ二コ修道会の法衣を思わせることからつけられた名前です。裏がそのようになっているのほ黒檀などの黒色の木を用いているからです。では表はというと象牙や骨など白いものを使っていました。ただし現在ではドミノ倒しをより劇的なものにするために様々な色になっています。


 この麻雀の牌に使われたものですが、前述の馬吊の時代には紙に印刷したものでした。その後、主に牛の骨が使われるようになり代用品としては鯨の骨なども使われました。その他にも貝殻、翡翠、アルミニウム、真鍮、石など様々な素材が用いられましたが、今ではほとんどがプラスチック製になりました。

 この牌の産地は和歌山県の御坊市で全国シェアの四十パーセント以上、全自動式に至っては百パーセント生産しています。最近の牌はハイテク製品になっていて中にICチップを組み込んだりしていますが、そのようなものは百パーセント御坊市の製品です。

 牌の材料として最高のものは、やはり象牙ですがご存知の通りのワシントン条約で使用が禁止されています。また以前でも非常に高価だった上に数多くの犠牲をともなったものですから、代替品の研究が行われてセルロイドが開発されたのはこれまでも申し上げてきたとおりです。


 麻雀牌としてセルロイドが使用されたことで思いがけないことが起きました。牌同士がぶつかり合った時の反発の仕方が象牙と似ていたのです。これは元々がビリヤードの球の代用品として開発されたことからくるものでした。

 セルロイドが使用されるようになったことから、麻雀牌は大衆朗な価格に、カラフルなものになりました。そしてそれまでのように彫ったものではなくて印刷になったので、指触りで牌を当てることが出来なくなりました。

麻雀牌にセルロイドが用いられましたのは主に戦前ですが、間もなく戦争の激化により麻雀どころではなくなりました。文化大革命といい、戦争といい、非常事態というものは娯楽まで奮ってしまうのです。

 その戦争ですが、捕虜や戦争犯罪人が獄中で作った麻雀牌というものが現存しています。巣鴨に収容されていた日本人が作ったものだけでなく、フランス人が記憶だけで作った牌があるのには驚かされます。


 戦後の一時期、麻雀がブームになりました。至る所に雀荘が立ち並んでジャラジャラという音を立てていました。

 その頃は、もちろんセルロイド製でしたがプラスチックが多様化していくにつれてセルロイドは使われなくなりました。


 千乗県のいすみ市には世界で唯一の麻雀博物館があり、今まで書いてきたような様々な種類の牌があります。

 もちろん横浜のセルロイドメモワールハウスにもありますので、興味のある方はご覧になってください。


著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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