セルロイドサロン
第53回
松尾 和彦
青い目をした御人形は

登場人物
 セルロイドについても詳しい ? 物知りな御隠居: 隠
 歌が好きな熊さん: 熊
 歴史に強い八つぁん: 八
 セルロイド人形を作っている平井さん: 平
 セルロイドの記録を行っている立川さん: 立


「青い目をした御人形はアメリカ生まれのセルロイド・・・」
「おお、熊さんご機嫌だね」
「ええ、こいつはとにかく歌が好きなものですから。それでね、この歌にあるセルロイド人形について伺おうと思ってやってきたんです」
「なるほどセルロイド人形か。ところで本物を見たことがあるか」
「いえ、最近はとんと見かけませんが・・・、もう作ってないんでは・・・」
「それが最近、復活したんだ。それについては追々語るとして、セルロイドは何か知ってるか」
「えーと、プラスチックのようなもので・・・」
「まあ、当たらずとも遠からじだな。一八六八年というと何があった」
「そりゃあ明治維新ですよ」
「さすがは八つぁんだ。歴史に詳しいな。異論も色々とあるがその頃に発明された世界で最初の合成樹脂がセルロイドだ。最初は象牙の代わりにビリヤードの玉として使用するはずだったんだが、成型着色が簡単で軽いといった特徴があるものだから、医療用や文具、食器など様々な分野に使用されるようになった。一説では二万五千種類以上のものに使用されているとの記録があるはずだ」
「すげえや。それで御人形のような玩具にも使われるようになったんですね」
「そうだ。最初は切れ端を張り合わせて風車や蝶々のようなものを作っていた。それから永峰清次郎という人がピンポン玉をヒントに吹き上げ玉を作った。そしてとうとう一九一三年(大正二年)に空気の吹込みによる人形を作って売り出したところ、またたく間に全国に広がっていって、それまでは輸入していたのが逆に輸出するようになった」
「ちょうど第一次世界大戦の前頃ですね」
「おおそうだ。で、その頃に外国で作られていたセルロイド人形だが、これはどうも顔だけがワンプレスで成型したセルロイド製だったらしい。そこへもってきて全身がセルロイド製の人形を作ったものだから、これは売れる。おまけに戦争が始まってヨーロッパ中が戦場になったものだから日本に注文が殺到した。おかげで大儲けする戦争成金が続出することとなった」
「野口雨情が『青い目をした御人形は』の歌を作ったのは、その頃で・・・」
「いや、もっと後だ。激しかった戦争が終わってしまうと上に超の字がついた好景気も終わってしまって、逆に超の字がつく不景気となってしまった。雨情が『金の船』に発表したのは不景気の最中の一九二一年(大正十年)十二月だ。そこへもってきてあの震災だ。何しろ生産量が六分の一にまで落ち込んで操業中止、倒産が相次いだ。だがなそこから立ち上がったのだから凄い。ドイツなどの玩具作りを研究して、さらに改良を加えたおかげで目覚しい発展を遂げて昭和の初め頃には年額で五、六百万円を記録して世界のトップとなった」
二人 「凄いや」
「まあ、これから先のことはなわしの口から語るよりも、セルロイド人形を作られてきて記録を残す仕事をされている立川さんと、そのセルロイド人形を復活された平井さんとに語っていただこう。御二人さん、よろしくお願いします」
「セルロイド頑具はその後も生産を伸ばし、一九三七年(昭和十二年)には七六○万円と戦前の最高を記録しました。セルロイドそのものも、その頃には毎年一万トン以上も生産しました。ところが悲しいこともありました」
「例の白木屋の火事ですね」
「ええ、火元が玩具売り場だったものですから、まるでセルロイドが原因だったかのように言われまして売上が落ちてしまいました」
「確かにセルロイドには燃えやすいという欠点がありますが、火に気をつける、密閉させないといった基本的なことさえ守っていただければ、それほど危険なものではありません」
「なるほど無茶をしなければ大丈夫だ、というわけですね」
「御隠居。いい年をして志村けんの真似ですかい」
「その後、戦争になりましてセルロイド玩具どころではなくなりました。戦後に復興しましたが、材料が不足していたものですから国防色のキューピーやピンクのカエルといった珍品を作ったほどです。食糧が無いものですからアメリカなどから送ってもらっていました。その時に見返り品として送っていたのがセルロイド玩具でした。一九四七年度(昭和二十二年)の輸出額が一、八九六万円と一位を記録しました」
「ところがまたしてもいい時代は長続きしませんでした。最大の輸出先であるアメリカでセルロイドの燃焼性が問題となったのです。白木屋の火事も取り上げられました」
「ちょうどその頃、アメリカで自己消火性のある塩化ビニールが発明されたこととも関係があるようです。そのためとうとう伊勢丹がセルロイド玩具を取り替えてしまいました。そのために私達セルロイド玩具業者が自らの手で河原で燃やしてしまったんです」
「何とも悲しい話だなあ」
「それでも一般の玩具屋では、まだまだ健在で一家総出で作りました。私も学校から帰ると手伝ったものです」
「その後、次第にセルロイド玩具は忘れられていきました。それどころかセルロイドそのものの生産も日本では打ち切られてしまい、今では中国で作られています」
「誰か見直そうという人はいなかったのですか」
「もちろんいました。その一人が関口晃市さんです」
「あのモンチッチの・・・」
「そうです。セルロイド人形の本を出版したり、御自分の会社の倉庫を利用してドールハウスを開設されたりしました」
「こちらの立川さんもビデオに記録して歩かれました。おかげで技術を後世に伝えることが出来ます」
「その頃、ミッキーマウス生誕七十周年を記念して復刻版を作ることになりました。某人気テレビ番組でお馴染みの北原照久さんが持っておられたものだったのですが、脆くなっているし貴重品ですので直接金型を取るというわけにはいきませんでした。小ここから先は平井さんにお聞きください」
「そのため金型屋の上條さんは色々な方向から写真を撮って立体的にして金型を作りました。その金型で私が作ったわけです」
「売れたんでしょうね」
「完売しました。今でも時々オークションに出ていますが結構な値段で取引されています。私は、この製作でセルロイドに興味を持ちました。そうしたら親父が五十年程前の金型を取り出しました。それが今でも作っていますミーコ人形です」
「こちらも売れたんでしょうね」
「ところがそれがセルロイド人形というものを知っている人がいないものですからホームページを作って、人形に興味を持っていそうな方に片っ端からメールを送りました」
「地道な努力を重ねられたわけですね」
「おかげで今では展示会を開くことが出切るようになりました。皆様、個性的なオンリーワンを持ってこられます」
「セルロイド人形は、どこへ行けば見られますか」
「先程の関口さん、北原さんのところもいいのですが、二○○五年(平成十七年)三月に十五日には横濱の綱島に岩井薫生さんがセルロイドハウスを開館されました。ここでしたらセルロイドの総てを知ることが出来ます」
「今日は御二人ともありがとうございました」


「しかし御隠居も詳しいですね。うん・・・待てよ。もしかしたら今の御二人からの受け売りでは・・・」
「ああ、それでボロが出る前に御二人を慌てて帰されたんだ」
「ば、馬鹿を言うな。わ、わしはちゃんと言われた通り・・・ではなかった。勉強をしてきたぞ」
「御隠居、いかがですか。今のようなものでよかったでしょうか」
「教えた通りにやってくれましたので、あの御二人も御隠居のことを物知りだなと感心されていることでしょう。おや、失礼。まだ御二人ともいらっしゃいましたか」
二人 「御隠居」
「青い目をした御人形は・・・」

著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


セルロイドサロンの記事およびセルロイドライブラリ・メモワールハウスのサイトのコンテンツ情報等に関する法律的権利はすべてセルロイドライブラリ・メモワールハウスに帰属します。
許可なく転載、無断使用等はお断りいたします。コンタクトは当館の知的所有権担当がお伺いします。(電話 03-3585-8131)



連絡先: セルロイドライブラリ・メモワール
館長  岩井 薫生
電話 03(3585)8131
FAX  03(3588)1830



copyright 2006, Celluloid Library Memoir House