セルロイドサロン |
第54回 |
松尾 和彦 |
サインポールの行き先は |
サインポールという言葉をご存知でしょうか。言葉は知らなくても街を少し歩けばいくらでも目にすることが出来るお馴染みのもので、それがあることによってどのような商売をしているかが直ぐに分かります。 美容、理容院の前でくるくると廻っている三色のねじりん棒。これこそがサインポールです。 その色は赤が動脈、青は静脈、そして白が包帯を表すと言われていますが果たして本当でしょうか。今回はサインポールなどとの、セルロイドとの関わりについて見ていくことといたしましょう。 サインポールの色ですが、中世のヨーロッパにおいては髪を切ることは身体を切ることと同じだと考えられていました。そのため外科治療と散髪とは同じ場所で行われていました。 また当時は病気や怪我は悪い血が起こすとの考え方があり、血液の一部をとる瀉血という治療が行われていました。その時に棒を杖のようにして握っていました。抜き取られた血は皿で受けていたのですが、どうしても腕を伝って杖のほうに来てしまいます。そのため目立たなくする意味で杖は赤く塗られていました。 そして当時、包帯は貴重品でしたので再利用されていました。この時にも杖に巻きつけて干したのです。 この杖こそがサインポールで先が丸くなっていました。そのため今でも理容、美容院のサインポールは先が丸くなっているものが見られます。 後に理容は外科と分離しました。その時に区別をするために青色が加わった現在のような三色のサインポールとなりました。 動脈、静脈、包帯説は単なる俗説で真実とは、かけ離れています。 このサインポールですが、かつては回転部にセルロイドを使用していた時期もありました。しかし三十年程前から使われなくなり現在ではポリカーボネートとなっています。 その理由は、やはり安全性に問題点があったことです。製造過程において火災を起こしかけたことがあり、難燃性のものに替わっていきました。 またサインポールは屋外において比較的長期にわたって使用するものですから、変色を起こしやすいセルロイドでは都合が悪かったのです。 櫛、簪、笄などとの関わりについてはサロン20でも書きましたが、セルロイド産業でお馴染みのマサチューセッツ州レオミンスターは鼈甲や珊瑚などの加工を行う町でした。そのためセルロイド加工を受け入れる下準備が出来ていました。この町にセルロイドの博物館があるのは自然なことです。 日本にセルロイドが最初にやってきたのは一八七七年(明治十年)のことですが、このときに買い取った西川伊兵衛は鼈甲・珊瑚商人であったことから、櫛・簪などに加工しました。つまり日本のセルロイド加工は理容・美容用品から始まったのです。 その後もドイツなどから輸入したセルロイド生地を使用して櫛、簪、笄などの理容・美容用品が作られました。 永峰清次郎と言えば吹き上げ玉や、吹き込み成型式の特許を取得するなどセルロイド玩具業界の重鎮として知られた人ですが、もとはと言えば櫛の製造を行っていた人です。 このようにセルロイド加工の初期においては櫛などの理容・美用品の加工業者が活躍していました。 ではサインポールのもう一つの行き先、つまり医学の世界においてセルロイドは、どのような働きをしたのでしょうか。 その前にセルロイド発明の経緯についての有名な話をいたしましょう。それはジョン・ウィスレイ・ハイヤットが硝化綿を材料に研究を行っていた時に、誤ってカンフルチンキをこぼしたところこれがかかった硝化綿が溶けて、セルロイドが出来たというものです。 この話は、その時に「エウレカ」とアルキメデスと同じ言葉を叫んだとするものとともに眉唾だとされていますが、カンフルチンキとは樟脳をアルコールに溶かした消炎鎮痛剤なので、思いもかけない形で医学がセルロイド発明に一役かったわけです。 セルロイドは医学の世界においては主に容器として使われました。三光丸本舗の浅見さんが書かれているような丸薬の容器を始めとして、目薬や粉薬、塗り薬、歯磨き、時には麻薬なども入れられました。 セルロイドは他にも眼帯や浣腸器、また医者が往診に行くときに注射器を入れる容器などとしても使われました。 サロン19でも書いたことですが、安岡章太郎著講談社文庫「僕の昭和史U」に脊椎カリエスを病んでいる安岡が、文学仲間の島尾敏男にセルロイド製のコルセットを見せる場面があります。 実はセルロイドには肺炎、気管支炎、結核などの呼吸器疾患に効果があると思われていた時期があります。首廻りのカラーなどからセルロイドに含まれている樟脳が吸収されて治癒すると言われていたのです。実際にはもちろんそのような効果はありません。しかしセルロイドが発明された直後に言われた俗説が戦後にまで信じられていたことには驚くしかありません。安岡も結核から来たカリエスに効くと思ってセルロイドのコルセットをつけていたのでしょうか。 このようにサインポールの行く先は両方とも数多くのセルロイド製品が見られます。横浜のセルロイドハウスには、これらを数多く収蔵しています。 しかし各部門での先駆者となった、こういったセルロイド製品も次第に他のプラスチックに押されて、今では僅かに櫛の一部に見られるだけとなったのは寂しい気持ちがしますが、これも技術革新という時代の流れの結果なのかもしれません。 |
著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。 |
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