セルロイドサロン
第55回
松尾 和彦
下駄とセルロイド

 貴方はこの一週間ほどの間に下駄を履かれたことがありますか?。夏場ならば浴衣を着たときに履かれたことがあるでしょうが、他の季節では板前さんなどを除けばほとんどの方が履かれたことが無いでしょう。

 今回は、この下駄とセルロイドという一見何の関係もないように思われる二つの結びつきについて見ていくことといたします。



 静岡県の登呂遺跡と言えば弥生時代に稲作が行われていたことを示すとして、教科書には必ず登場するお馴染みの場所ですが、この遺跡からも下駄に似たものが出土したことがあります。ちょうど芦刈や稲の穂摘みなどの時に使われていた田下駄のような平べったいものでした。

 古墳時代となりますと、大陸から前穴の内側に寄った二枚刃の下駄が地方豪族の古墳から出土します。これは権威の象徴でした。古代には身体が大きいことが権力者の必要条件の一つとされ、そのために冠を被ったり、ゆったりとした服を着たり、階段の上にある椅子に座ったりしました。下駄を履いたのも背を高く見せるための手段だったのでしょう。

 奈良時代の七六○年(天平宝字四年)に出されました東寺写経所解に木沓(きぐつ)、木履(ぽくり)という言葉が出てきます。このことから当時既に沓のようにくり抜いたものと、下駄のように刃があるものとに分かれていたことが分かります。平城京の遺跡からは子供用の下駄も出土します。 

 中世になりますと用便、水汲み、洗濯などの際に着物の裾を汚さない目的で履かれていました。この時代のものは鼻緒が全体に前寄りについたかかとの部分が長いもので、引き摺って歩いても泥はねが上がらないようになっていました。

 江戸時代は下駄が歩行時の履物となり大衆化しました。下駄という言葉もこの時代に生まれたもので、それまでは橋桁(はしげた)、湯げた(風呂の腰掛台)のように平板に二本の足をつけたものを「けた」もしくは「げた」と呼んでいたのですが、「あしだ」「ぽくり」も「げた」と呼ぶようになりました。

 また女性の話ですが、未婚者と既婚者とで履く下駄の形が変わるようになったのも、この時代からです。

 江戸の吉原で高尾と呼ばれる最高級格の遊女は、高下駄を履き「外八文字」と呼ばれる独特の歩き方をします。これは格の高さを示すもので、今でも花魁ショーなどで見ることが出来ます。

 和名妙によりますと足の下にあるから「あしした」が転じて「あしだ」となり、これに「足駄」という文字を当てはめたようです。東日本では高下駄のことを「あしだ」、奄美・沖縄では「あた」「あしじゃ」、伊豆・西日本では「ぽくり」「ぷくり」などと呼ぶように昔の言い方が今でも残っています。

 明治時代以後になりますと洋服を着るようになったこともあって、下駄は時代遅れのもののように思われるようになりました。しかし庶民の間ではまだまだ健在でした。

 そのような時代にあってわざと普通のものよりも高い下駄を履いていたのが学生や壮士と呼ばれる人達でした。人より高い目線に立って自分自身を鼓舞していたのです。



 下駄には場所により職業により様々な種類がありますので、特殊なものについて少し説明しましょう。
ナンバ: 登呂遺跡から出土したものもこれで水田での作業時に使いました
ダイカンジキ: 信濃川流域では氾濫が多く、水没した田で使いました
タチコミ: 海苔採りを行うために海に入る時に使うもので、高さが二メートル近くに達することもありました
床下駄: タタラ製鉄を行う鍛冶屋が熱い床での火傷防止のために履いた平たくて大きなものです
茶切り下駄: 名前の通りお茶の葉を切るために使いました
サシカケ: 東大寺二月堂のお水取りの時に履いているものです
舞台下駄: 人形浄瑠璃の頭使いが履く高くて音がしないようになっているものです


 では次に「下駄」がつく言葉を見ていくことにいたしましょう。
下駄を預ける: 人の物事の措置を一任する
下駄を履かせる: 実際よりも高く評価する
下駄履き: フロートのついた水上飛行機
下駄履き住宅: 一階が商店、事務所などになっていて二回以上が住居の建物


 この辺りまではお馴染みですが、以下のようなものはあまり聞き馴染みがないでしょう
下駄と焼き味噌: 外形は似ていても実質が非常に異なる
下駄も仏も同じ木の切れ: 尊卑の区別があるように見えても元を辿れば同じである
下駄箱: 上方落語で噺家が使う見台
下駄組: 近世後期、遊里や盛り場をのし歩いた勇み肌の一団



 この下駄ですが、かつては高価だったこともあり捨てるようなことは滅多にありませんでした。鼻緒が抜けると手ぬぐいを裂いて留め直しました。そこから恋が芽生えるという記述が様々な文学作品に見られます。

 また歯が磨り減ってまっ平らになるまで履きました。とうとう履けなくなってもゴミ箱に捨てたりはせずに、風呂の炊き付けにしたものです。



 この下駄にセルロイドを貼っていた時期があるのを御存知でしょうか。大正七年頃から昭和二十年代までの三十数年ですが、台の表にセルロイドを貼って艶を出したり、汚れを防いだりしていました。セルロイドは綺麗な材料ですし、水洗いが出来て汚れが直ぐに落ちるので使われたのです。

 しかしあまり丈夫ではなかったようで、透明尿素樹脂塗料が登場すると取って代わられました。そのため今では滅多にお目にかからない珍品となっています。横浜のセルロイドメモワールハウスには、この珍品も所蔵していますのでお立ち寄りになられた際には是非ご覧になってください。



 このように日本人の生活に密着していた下駄ですが、最近では板前さんなどを除けば滅多に履くことがなくなりました。日本で一番の製造量を誇った広島県福山市の松永も生産量が低下している上に安価な輸入品に押され気味です。

 しかし最近では再び見直されています。それは通気性が良いので水虫になりにくいことや、最近問題になっています外反母趾の予防になることの他に、ダイエットに役立つというのです。

 それは天狗が履いているとされる一本歯の下駄を履いて歩くというもので、一本歯下駄は一見したところでは、とても履きこなせないように思われますが普通の人なら十分もあれば歩けるようになります。ただしバランス感覚が必要です。そのときに普通では鍛え難いインナーマッスル(身体の内部の筋肉)が鍛えられてダイエットになる、というのですが真偽のほどは御自分の身体でお試しになってください。



 このような歴史を持つ下駄を一つは自分のものとしたいものです。


著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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