セルロイドサロン
第59回
松尾 和彦
自転車とセルロイド

 自転車という乗り物は実に健康的で環境にも優しいものです。動力源は自分自身の体力で排気ガスを出すこともなく、疲労の度合いも徒歩に比べると少なくてすみます。 

 街中の簡単な買い物用として、あるいは本格的なツーリング用として、また山野を駆け回るマウンテンバイクなども親しまれています。

 今回は、この自転車の歴史とセルロイドがどのように係わりあってきたかを見ていくことといたしましょう。



 自転車らしきものが現れたのは一七九○年にフランスのドシブラックによって、木製の車輪をつけた木馬にまたがって地面を蹴って進むものでした。これは評判にはなりましたが、姿が何とも奇妙なものだったために「フールズ ホース」。つまり「馬鹿者の馬」と呼ばれました。

 しかしこの馬鹿者の馬にも改良が加えられて一八一七年には、ドイツのドライスがハンドルがついていて方向転換が出来るようにしました。

 極端に前輪が大きく、後輪が小さい自転車の図をご覧になったことがあると思いますが、このオーディナリー型と言われる自転車はスピードは出るのですが、極めて不安定で曲芸師並みの技術を必要としました。

 オーディナリー型は息が長く、一八七○年(明治三年)に日本に初めて輸入された自転車も、この型でした。その頃にはスピードを利して陸軍が伝令などに使ったという記録が残されています。

 一八八五年になるとイギリスのスターリーがペダルの回転をギヤとチェーンで後輪に伝えるという、現在の自転車と同じ型式の安全車を開発しました。しかし当時の自転車はフレームは勿論のこと、サドルや車輪に至るまで鉄や木で出来ていましたので極めて乗り心地の悪いものでした。

 この欠点も三年後にイギリスのダンロップが空気入りチューブのタイヤを発明したことで解消され、軽くて乗り心地のよい自転車の決定版が生まれました。



 自転車は前述の通り発明、改良が何れもヨーロッパで行われましたものですから、ヨーロッパ諸国では大変に人気の高いスポーツで、ちょうどセルロイドが発明されたのと同じ一八六八年に世界で最初の自転車競技が行われています。またオリンピックでは第一回のアテネ大会から正式競技となっています。種目としてはスクラッチ、タイムトライアル、追い抜き、ケイリンなどがあります。

 このうちケイリンはもちろん競輪のことで、日本生まれの競技がオリンピック種目となった珍しい例です。



 この自転車にもかつてはセルロイドが使われていました。場所はハンドルの握り、チェーンカバーなどです。しかし割れやすかったようで自転車屋で何度も取り替えてもらっていました。そのためかオークションにはよく未使用のものが出品されています。おかげで横浜館には幾つか取り揃えることが出来ました。

 このように扱い難い材料ではありましたが、セルロイドのチェーンカバーは見た目が美しく豪華な感じがします。

 ご存知の通りセルロイドは着色が容易であるという特性を持っていますので、各社がそれぞれ個性を活かす色彩を使用しています。



 今現在では、ハンドルの握りは各種のプラスチック、チェーンカバーはスチール、アルミなどの金属製のものが主流となっています。しかしセルロイド製は捨てがたい魅力を持っています。各自転車メーカーの関係者の方は、強化プラスチックなどでコーティングして割れにくくしたセルロイド製チェーンカバーの再使用を考えるようにしていただきたいものです。


著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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