セルロイドサロン
第63回
松尾 和彦
近江商人とセルロイド

 ノーベル平和賞を受賞したことで知られるケニアの副環境大臣ワンガリ・マータイさんが世界中に広めようとしている言葉に”Mottainai”があります。これは日本語の「もったいない」をそのままに通用させようとしているものです。

 この「もったいない」という言葉は元はと言えば近江商人が使っていたものです。滋賀県の嘉田由紀子知事の名刺には「もったいない」の文字が刷り込まれています。お正月に食べるおせち料理は、近江商人が広めた季節料理です。

 近江商人と言えば「近江商人の通った後には草木も生えぬ」とか「「近江泥棒。伊勢乞食」などと言われて、あまり良いイメージを持たれていません。

 しかし実際の近江商人は働き者で高島屋、伊藤忠、西武、丸紅、トーメン、ヤンマー、大丸、日清紡、東洋紡、日本生命、トヨタ自動車、ワコール、西川産業など日本を代表する会社の多くが、近江商人に由来しています。

 この会社のリストを見ますと、どちらかと言えば製造関係よりも流通販売関係が多いようです。物を作るよりも運んで売るほうを選んでいます。

 百分率を現す%の記号は近江商人によると天秤棒の前後に荷物をぶら下げている姿だそうです。確かに近江商人の商売の基本は、天秤棒を担いで他の商人が見向きもしないような辺鄙な場所に売り込みに行くことでした。そのような場所へ天秤棒を担いで行っても運べる品物は僅かで、儲けもたかがしれています。

 彼らが運んでいったのはサンプルだったのです。今ならカタログ販売ということも出来るでしょうが、当時は引き札があった程度で宣伝の方法がありませんでした。カタログをよりは実物を持って行って、使用法などを教えました。そうしたら今度は大量に売り込むことが出来ます。

 近江商人がこのようにして広めたものの一つに防虫剤、すなわち樟脳があります。昔の人は着物を非常に大事にしました。高価だったということもありますが、今とは比べ物にならないくらい「もったいない」精神が生きていたのです。もちろんその考えも近江商人が伝えたものです。

 虫に食われてしまい大切な着物が台無しになってしまう。しかし防ぐ手立てはあると知ると「そんな便利なものがあるのか」と気づいて、そこに需要が生まれるわけです。ということは当然の事ながら供給のルートが生まれ、商売となります。ここまでは売り手良し、買い手良しですが、近江ではさらに世間良しが加わるのです。

 樟脳を売るよりも着物を売ったほうが儲けが多いに決まっています。しかしそれでは直ぐに買ってくれなくなります。物を大切にするという精神、つまり「もったいない」を教えて商売とする。今で言えば環境保護といった考え方です。だからこそ”Reduce Reuse Recycle”(ゴミを少なくする、再使用する、分別をする)の活動でノーベル平和賞を受賞したマータイさんの考えと通じているわけです。

 近江商人が言うところの「世間良し」とは、今日の言葉で申しますと「社会貢献」ということになるでしょう。
 他にも近江商人は薄利多売主義に徹していますし、「陰徳善行」を強調します。これも今日の言葉にしますと「ボランティア活動」といったものになるでしょう。

 このような近江商人ですから、セルロイドが生まれた頃には、やはり天秤棒に乗せて売り歩きました。もちろん儲けは僅かなものです。しかしこれでルートが出来ました。   後は商品を載せればいいのです。近江商人の良い意味での強かさが発揮されました。

 先に言いましたとおり近江商人は、あまり物づくりの現場にはいなかったので、セルロイド製造にはあまり携わっていません。しかし広め役としては近江商人ほど貢献した人々はいません。

 その意味においてはセルロイドの関係者は近江商人に対して感謝の言葉を述べないといけないのです。


著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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