セルロイドサロン
第66回
松尾 和彦
これは珍品だ

 セルロイドは応用範囲の広い樹脂であるためか、時としてとんでもない珍品が現れます。今回は、まさかこんなものがと思えるものを紹介することといたしましょう

 ペン先

 日中戦争が激しくなっていた昭和十四、五年頃、金属製品が使用を制限されたことから当時の商工省が代用品を募集します。その時に奨励賞を受賞したのがセルロイドのペン先です。軍部から大量の注文が入り、生産も順調だったようですが使い勝手はあまり良くなかったようです。

 鉛筆

 一九一五年(大正四年)二十一歳の青年がセルロイドを軸にしている鉛筆と出会います。この鉛筆はあまり性能が良いものではなく夜店の香具師が売っているようなものでした。
 その青年は軸をニッケルなどの金属製に変えて、繰り出し鉛筆として売り出しました。彼の名前は早川徳次。現在のシャープの創業者です。
 ノック式の鉛筆にシャープペンシルと呼ぶのは早川が名づけたからです。この言い方はもちろん和製英語で、外国ではスクリューペンシル、プロペリングペンシルと言います。
 早川が発明のヒントとしたセルロイド鉛筆をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご連絡をお願いします。

 歯磨きチューブ、足袋のこはぜ、蚊帳の吊り手、襖・扉の取っ手

 昭和十三年(一九三八年)五月六日の大阪朝日新聞夕刊に「心配するな! 我にセルロイド」と題する、少し大きめの記事が掲載されています。
 内容は戦争のために代用品ばかりになってきていて特に金属製品が不足しているが、日本にはセルロイドがあるので心配する必要は無いというものです。
 その中で大阪のセルロイド業者が集まって、セルロイドの歯磨きチューブの製造に着手していると書いています。
 その頃、歯磨きチューブとして錫やアルミを使っていたのですが、昭和十六年に完全に使用禁止となってしまいました。記事が出ている時は、まだ禁止にはなっていませんが厳しい状況だったのでしょう。
 このセルロイドの歯磨きチューブが、どこの会社用のものだったのかを調べています。業界最大手のライオンの社史に、少しこの辺りのことが書かれていますが、はっきりとしたことは分かりません。
 製造に着手している業者が大阪だとすると中山太陽堂(現クラブコスメチック)だとも考えられます。
事情をご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただきたいと思います。

 この記事の中に「足袋のこはぜ、蚊帳の吊り手、襖・扉の取っ手」などもセルロイド製に取って代わると書かれています。それを裏付けるかのようにセルロイドハウスでは蚊帳の吊り手を所蔵しています。
 足袋のこはぜ、襖・扉の取っ手、そして何よりも歯磨きチューブをお持ちの方がいらっしゃいましたらご連絡をお願いします。

 名刺

 セルロイドの万年筆を製造される名人だった岡崎忍さんは、思い入れの深さを現すかのように名刺をセルロイドにされていました。
 残念ながら岡崎さんも今では鬼籍の人となられています。どなたか後を継いでセルロイドの名刺を持たれてはいかがでしょうか。

 ピトー管

 ゼロ戦などの翼の端に細い管が出ています。これは何のためにあるかというと中を流れる空気の速さによって速度を測っているのです。
 このピトー管にセルロイドを使っていた時期がありました。ピトー管はゼロ戦自体が収集不可能な状態になっていますので、手に入れることは先ず無理だと思います。

 切手

 ブータン王国は人口が二百万にも満たないほどの小国で国土も狭く、これといった産業がありません。ほとんどがヒマラヤ山脈の中にある国ですが、隣のネパールと違って有名な山もほとんど無いので登山隊などの観光客もやってきません。
 そのために考え出した産業が印刷機が一台あれば出来る切手を発行することでした。ブータンからはディズニーなどのキャラクター切手、日本の北斎も含む世界の名画切手、丸や三角などの変形切手、レコードになっている切手など、コレクターが喜ぶような切手を発行して外貨を稼いでいます。
 切手そのものも材質にも凝っていて絹製の切手、鉄の切手などを発行しています。そして一九七一年にはセルロイドの切手を発行しました。
 このような紙以外のもので作った切手は再生する時に封筒から外さないといけないという不便さがあるために、今ではほとんど作られていません。もっともこのような切手はコレクター用の物で、最初から使用することは考えていないのですが。
 切手で外貨を稼ぐことは小国が思いつく方法のようで、リヒテンシュタイン、サンマリノ、モナコ、
シャルジャー(アラブ首長国連邦の中の一つ)、クック諸島、ポリネシアなども珍切手を発行していますので、ショップへ行くとそれらの国の切手が並んでいます。

 陸軍将校のカバン

 これはカバンそのものではなく、中にセルロイドの板を何枚も入れていたのです。普段は下敷きとして使って、逃げる時には火を点けて機密文書などを燃やしてしまうのです。
 このようにセルロイドの燃えやすさを逆利用するという手は各国の軍隊も考えていて、戦車の動かし方や大砲の操作方法などを書いたマニュアル本そのものをセルロイド製にしていた国もあります。

 み号びんの蓋、マラリア予防薬の容器

 戦争末期のことですが「み号」と称する薬が使われました。これは麻薬の一種なのでおおっぴらには公表できない薬でした。この「み号」の蓋にセルロイドが使われていました。金属が不足するとそこまでするようになるものです。
 近代日本の戦いは一方ではマラリアを始めとする伝染病との戦いでした。日本が初めて経験した対外出兵である一八七四年(明治七年)の台湾出兵では戦闘による死者が僅か十二名だったのに対して、マラリア、デング熱などによる病死者が実に六百名に達しました。
 二十年後の台湾占領作戦でも戦死者は二百名にも達していなかったのに対して、戦病死者は司令官二人を含めて二千五百名にもなりました。
 軍隊としても手をこまねいていたわけではなくて、予防薬を配ってマラリアにならないように指導していました。この時の容器にセルロイドが使われました。

 信管

 地雷は「悪魔の兵器」とも呼ばれて、国際条約での禁止が叫ばれています。この地雷を本体は硬く締めた焼き物、信管はセルロイドにしようとしたことがあります。これならば金属を一切使用していないので探知機にかからないのです。
 この珍兵器は試作品も作られたのですが、量産態勢に入る前に戦争が終わってしまいました。本来ならば破棄されるべきだったのですが、どさくさにまぎれて持ち出されたものが時折骨董市などに出されて、結構な値段で取り引きされています。

 ビリキュー

 ビリケンはホースマン、キューピーはローズ・オニールと何れもアメリカの女流デザイナーが考え出した福の神ですが、この二つを併せたビリキューという何とも欲張りな人形があります。
 焼き物などでしたら今でも手に入るのですが、セルロイド製のものは某人気鑑定番組でおなじみの北原さんが持っていますので、手放すことは無いでしょう。

 ランタン

 セルロイドのような燃えやすいものをランタンとして使うということには驚きですが、実際に製造していました。提灯に使う紙と違って透明なので明るかったのでしょうが、事故は無かったのでしょうか。

 下駄

 下駄履き住宅、下駄を履かせるなどの言葉があるように、日本人の暮らしに下駄は馴染みのあるものでした。その下駄の足があたる部分にセルロイドを張っていたのですが、扱いにくい素材だったようで直ぐに廃れました。

 衝立

 衝立とは便利なもので、一つ立てるだけで部屋を仕切ることが出来ます。寒いときには枕元に立てて風を防ぐために使いました。
 セルロイドハウスには細いパイプを並べて衝立としたものがありますので、ぜひご覧になってください。

 赤と黒の縞模様の洗面器

 かつてアジア諸国が植民地であった時代には、腕輪の色として地と大地を現す赤と黒が好まれました。
 ところが独立を果たしてしまうと見向きもされなくなってしまい、赤と黒の生地が大量に余ってしまいました。
 そこで考え出したのが洗面器として使うことでした。赤と黒の縞模様という洗面器らしからぬ柄となったわけです。国際情勢が産み出した思いもかけない珍品です。 
 他にも黒のキューピーとなったり、金魚柄の万年筆となったりしました。こうして何とか赤と黒の生地を使おうとしたわけです。

 国防色のキューピー、ピンクの蛙

 戦争が終わった時に子供達は食べ物にも玩具にも飢えていました。そのためにセルロイド玩具を作ったのですが、ある生地といえば戦前戦中に兵隊人形を作っていたものぐらいでした。そのために軍服の部分としていた「国防色」のキューピー、顔の部分だった「ピンク」の蛙が作られたというわけです。
 このような珍品が生まれるのは、もう二度とごめんです。

 こういった珍品の数々を取り揃えているのがセルロイドハウス横浜館ですが、まだ不足しているものもあります。これはと思われる珍品の情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご連絡をお願いします。




著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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