セルロイドサロン |
第67回 |
松尾 和彦 |
万年筆の歴史とセルロイド |
皆様は万年筆を持たれているでしょうか。かつては学校の合格祝いの定番として誰もが持っていたのですが、最近ではボールペン、サインペンなどに押されています。それでも正式な文書などには、万年筆で署名される方が多いようです。 今回は万年筆の歴史を述べるとともに、セルロイドがどのように関わってきたかを見ていくことといたしましょう。 かつてヨーロッパではペンと言えば鵞鳥の羽を削ったもの、紙と言えば羊の皮の裏側を利用した羊皮紙が定番でした。この方式では代表的な本である聖書を一冊仕上げるのに二年かかったといいますから大変な手間がかかったものです。 この状況に革命をもたらしたのが大量に速く印刷できるグーテンベルグの活版印刷と、一七四八年にイギリスのヨハン・ジャンセンによる耐久性に優れた金属ペンの発明でした。特に後者は今でも使われているように筆記具として画期的なものでした。 携帯用の筆記具としての万年筆の原型とも言える発明がなされたのは一八○九年のことで、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが軸内にインクを貯蔵したペンを発明したのです。ただしこのペンは筆記の度に尾部を押さないといけないとか、金属製のためにインクの酸に侵されるなどの欠点がありました。 その頃、日本では鉄砲鍛冶として有名な国友藤兵衛が御懐中筆と称する内部に墨を入れた携帯用の筆記具を開発していました。後述する有名なウォーターよりも六十年近く前に考え出していたのには驚嘆させられます。 一八三○年にイギリスのジェームス・ペリーとジョシュア・メーソンとがペンに穴を開けて柔軟性をもたらす技術を開発しました。これは現在でも用いられている技術で製造工程が確立することとなりました。 かつてセルロイドの軸と言えばエボナイトでした。アメリカのチャールズ・グッドイヤーが発明したのは一八五一年ですから息の長さには驚かされます。 現在、使われているような毛細管現象を利用した万年筆といえばアメリカのウォーターマンの発明によるものです。生命保険のセールスマンであったために携帯用の筆記具の必要性を感じていたのです。インクが出て行くためには見合った量の空気が入ってこないといけないということに着目したウォーターマンの発明は、今でも万年筆に適用されています。でも初年度の生産量は僅か二百本。まだまだ一般的なものではなかったのです。 それを証明するのがウォーターマンの発明と同じ一八八四年に日本で売り出された金額が一円。 今なら何万円にも相当する金額です。 その後、パーカー、オノト、モンブラン、アウロラなどが創立され夏目漱石、菊池寛らが万年筆を愛用するようになります。また日本国内でも伊藤農夫雄のスワン、並木良輔の並木製作所(現パイロット万年筆)、坂田久五郎のセーラー万年筆、中田俊一の中屋製作所(現プラチナ)などが創設されます。 その間、インクの吸入方式やペン先などに改良が加えられましたが、軸はどうしたものかエボナイト製の黒色のものが主流でした。 そんな状況であった一九二一年にパーカーがオレンジ色のデュオフォールドという商品を発表します。飛行機からの公開落下試験、グランドキャニオンでの落下試験などが評判を呼び、人気商品となります。また一九二五年に設立されたイタリアのオマス社の製品は実にカラフルな軸をしています。 万年筆の軸としてセルロイドが使用されるようになった時期は、はっきりとはしませんがおそらくこの頃ではなかっただろうかと思われます。着色が容易で成型加工に応用が利くセルロイドは万年筆の軸の素材として理想的なものでした。また微吸湿性のおかげで指にぴったりとくる感触は他のものでは得られないものです。 セルロイドを万年筆に使うまでには半年から二年くらい寝かせておく必要があります。それぐらいの時間をおかないと狂ってしまうという取り扱いにくい材料ですが、逆に言えばだからこそ万年筆向きなのかもしれません。 セルロイド万年筆の製造方法ですが、サロンの16で岡崎忍さんが書かれているようにシート状のセルロイドを丸めて接合する方法を採ります。日本ではこの方法が一般的なようで、加藤製作所の加藤清さん、中屋万年筆の松原功祐さん、ロングプロダクツの藤本寛さんらは何れもこの方法で作られています。 この方法は柄によっては接合部分が分かってしまうという欠点がありますが、そこを分からせないようにするのが職人芸の見せ所で先に名前を挙げた方の手になるものは、どこをどのようにして継いだものか幾ら見ても分かりません。 これに対して中国などでは棒状のセルロイドの内部を削る方法を採っています。これだと八割が無駄になる上に柄模様が流れてしまうという欠点がありますので、やはり接合式に軍配が上がるようです。 セルロイド万年筆は戦前から主流で様々な製品が作られましたが、戦後の一時期に赤系統、黒系統のものが溢れたことがあります。それは東南アジア向けに腕輪を作っていたのですが、植民地時代には大地と血を現す黒と赤が好まれたものが、独立を果たしてしまうと見向きもされなくなってしまい生地が大量に余ってしまいました。そのために赤と黒の縞模様の洗面器、赤色、黒色のキューピー、そして万年筆などが作られたのです。国際情勢が思いもかけないところに影響をもたらした例として記憶に留められています。 戦後の一九四八年にボールペンが発売されると爆発的に売れて一気に主役となりました。そのためウォーターマンが倒産、オノトは生産中止に追い込まれるなど万年筆は衰退しています。しかしその後も公式文書の署名用具や入学祝いの定番としていき続けることになります。また吸入式からカートリッジ式に変わるなど様々の改良が加えられました。 現在の万年筆は金属、木材、AS樹脂などが軸として使われていますが、エボナイトやセルロイドも愛用されていてファンも多くいます。皆様も一本ぐらいはセルロイド万年筆を持たれることをお勧めします。きっとフィット感のとりことなることでしょう。 |
著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。 |
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