セルロイドサロン
第7回
松尾 和彦
宮本順三とセルロイド。そしてグリコのおまけ

 宮本順三という名前を聞いても殆どの人は「一体それは誰ですか?」と問い返すだろう。しかし子供時代に誰もが夢中になって集めたグリコのおまけなら知らない人はいない。二○○四年四月一日は、その小さな宝物を戦前から三千点も作り続けてきた宮本順三の八十九回目の誕生日であった。しかし残念ながら、この巨星は一月十三日に八十八歳の若さで没してしまい誕生日を迎えることが出来なかった。
 宮本順三は一九一五年に生まれた時の名前は村田順三であった。実父の村田兼吉は老舗の呉服屋として知られる小大丸の大番頭から後に支配人になるという実業家の顔を持つ一方で、羽織裏の友禅などのデザインを行うデザイナーでもあった。実母の体が弱かったことから生まれるとすぐに親戚筋の宮本甲造の養子となった。
 この養父は鼈甲問屋に奉公していたが、ちょうど宮本順三が産まれた頃の大正の始め頃セルロイドの加工に転向し、男性用のセルロイドの丸櫛やポケットに入る二つ折りの櫛を工夫して作るアイデアマンであった。
 生まれながらにしてセルロイドと関わりあっていた宮本順三が子供の頃の縁日では樟脳の船や、水に潜る白鳥などのセルロイド玩具が売られていた。他にも張りぼてのちょんまげや、張子のだるまなどを見て育ったことが後におまけ作りを行う素となった。
 子供の頃から絵画や工作が得意だった宮本順三は美術大学への進学を夢見たが、両親の猛烈な反対にあってしまう。と言うのは宮本甲造の父盛橘が貧乏なまま亡くなった画家だったからだ。やむなく彦根高商(現滋賀大学)に進むこととなったが、先輩とともに美術部をつくりその頃から名前をもじったZUNZOのペンネームを用いるようになった。
 学校を卒業する一九三五年は偶然にも江崎グリコが初めて学卒の求人を開始する年でもあった。この入社試験のときに宮本順三はいまだに語り草となっている熱弁を振るう。「採用してください。おまけ係りをやりたいんです」江崎グリコは、まだまだ小さなお菓子屋であった。創業者の江崎利一は先行する菓子メーカーに追いつく手段として、おまけを思いついた。というのは佐賀の薬種屋では薬に紙風船などのおまけをつけていたからだ。薬種屋の息子であった江崎利一にとっておまけは販路拡大の手段として欠かせないものであった。初期にはカードなどをつけたり、既製品であったり、また引換証を集めると明治天皇の御製集と交換できたりしたが、子供の心を完全に引き付けるものではなかった。「面白いことをいうやつだ。よし採用しよう」
 こうして宮本順三と江崎利一という二大巨人が結びついた。念願かなっておまけ係りとなった宮本順三は無尽蔵とも言える玩具の知識を活かしておまけを作り始める。先ずそれまでは紙のカードなどが主だったのだが木、陶器、ゴム,アンチモニーそしてセルロイドを材料に使うようにした。これによりおまけは一気に多様さを増した。アイデアを次々に絵に描いてデザインから素材選びコスト計算にいたるまで総てをこなした。いくら子供が喜ぶものでも十銭で売っているお菓子に五銭のおまけはつけられない。官本順三の苦悩は計り知れないものがあった。また、それまではキャラメルの箱の下についていたおまけをランナーが持ち上げているように見せるために上にしたのも宮本順三であった。
 入社して三年目の宮本順三が書き残している言葉がある。
「拙者は生まれながらのおまけ係りである。つらつら、おまけ係りなるもの、通称広告人より見れば能楽の狂言師ぐらいにしか思われておらん。おらんから私の誇りますます高き所以である。拙者は町に出よる。町は明るく玩具の世界である。昔天狗から拝領した玩具経の一巻を胸に秘め、ターザンのような鳴き声をすれば万物総て玩具と化し、ぞろぞろと這いよってくる。それを総てかいつまんでは、薬味箪笥の中に丹念にしまいこみ、そ知らぬ顔をしていると、あらゆる迷案が噴出して笑うことになる」
 しかしこの頃から日本は暗い時代になっていく。日中戦争の激化とともに金属類は弾丸の原料として集められ、火薬の材料となるセルロイドも使用が禁止された。そんな中でも廃品や雑木を集めてはおまけを作り続けた。そしていよいよ物資がなくなると中国天津に渡り材料調達に奔走する毎日を送った。そんな宮本順三の苦悩をあざ笑うかのように戦火は激しさを加え、とうとうおまけは生産中止に追い込まれ自身も兵隊に取られてしまった。
 戦争が終わったときには宮本順三は既にグリコの人間ではなかった。家業のセルロイド業を継いでいたのだ。しかしグリコそして江崎利一との繋がりが切れたわけではなかった。その後も一九九七年までグリコのためにおまけを作り続けた宮本順三にとって最後に残された仕事は、九十七で亡くなった敬愛する江崎利一よりも一日でも長く生きることだった。そのため八十八では思いもかけぬ若死にだったのである。
 生涯をおまけにかけた宮本順三の精神は「豆玩舎(おまけや)ズンゾ」に展示され今日も人々に夢を与えている。
豆玩舎(おまけや)ズンゾ
〒577-0833
東大阪市小阪5−1−21
山三エイトビル三階
TEL 06−6725−2545
著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。

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