セルロイドサロン
第74回
松尾 和彦
文房具の歴史とセルロイド


 かつての中国や日本では文房具と言えば「筆」、「墨」、「硯」、「紙」の四つだけでした。そのためこの四つを特に「文房四宝」と呼び、珍重しました。中でも硯は磨り減ることがないのでコレクションの対象ともなり高値で取り引きされました。

 その後、近代化とともに文房具も多様化していき、鉛筆、万年筆、ペン、シャープペンシル、クレヨン、ロウ石、消しゴム、筆箱、各種定規類、下敷き、修正液、黒板、ホワイトボード、画板、鋏、カッターナイフ、ペーパーナイフ、鉛筆削り、ホッチキス、輪ゴム、画鋲、接着剤などが使われるようになりました。

 このような文房具の中でセルロイドに関係するものと言えば万年筆、ペン、シャープペンシル、筆箱、各種定規類、テンプレート、ペーパーナイフ、鉛筆削り、画鋲などが挙げられます。



 それではこれらの歴史とセルロイドとが、どのようにして関わっているかを見ていくことといたしましょう。



 ペン、万年筆、シャープペンシル

 人間に言語と文字が生まれると記録として残していきたいと言う気持ちが生まれます。その媒体となったのが文房具というわけですが、五千年も昔に既にキュニアフォームと呼ばれる粘土板に印を残す技術が生まれています。

 古代のエジプトでは有名なバピルスに文字を残しましたし、獣骨に文字を刻んでいた中国では毛筆が使われるようになり、ギリシャではメタリックなペン軸が現れました。そしてヨーロッバでは六世紀頃から十九世紀初頭までの長い間に渡って雁、鵞鳥などの羽根を使ったクウィルペンの時代が続きました。中国や日本では丁度「文房四宝」の時代でした。

 このクウィルペンに代わるものとして1748年にイギリスのヨハン・ジャンセンが金属ペンを作り出しました。現在使われているようなペンの原型が出来たのは1803年で、やはりイギリスのブライアン・ドンキンによって考案されたものです。

 このペンの軸として使われたのは最初のうちは簡単に手に入り加工も容易だった木材です。中でもエリカ・アルポリアというヒース科の落葉低木が最高級品とされました。その後、1809年にイギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが金属軸のペンを使いましたが、直接インクと接するために腐食されやすいという欠点がありました。

 1851年にアメリカのチャールズ・グッドイヤーがエボナイトを発明しましたが、そのきっかけは意外なことにインクに侵食されない材質としてペン先に使用するためでした。このエボナイトは息の長い素材で今でもペン軸として使われています。また経年変化が極めて小さいという特質があり、他の素材を使ったものでも首やペン芯の部分には使用しています。

 その後、アルミニウム、ステンレス、真鍮、十八金などの金属類が使われ、合成樹脂の発達とともにアクリル、キャンバスマイカルタ(フェノール)、AS、ABSなどがペン軸として使われるようになり、最近では環境問題などからワイン樽として使っていたオーク材の再利用なども行われています。



ベン関係にセルロイドを使用したのは何時頃からかは、はっきりとしません。しかし1920年代にジェード・グリーン、すなたら翡翠のような緑色のベンが現れて人々に衝撃を与えています。またその頃に現れたオレンジ色のペン、サイケデリックなペンなどは何れもセルロイド製でした。

 セルロイドは加工が容易である以上に着色が容易でした。どのような色にでも出来たのです。当時の言い方をすると総天然色となり百花繚乱の時代を迎えます。そのため黒一色のエボナイトや金属製のベンしか知らなかった大々に大変な衝撃を与えました。そして約二十年以上に渡ってセルロイドはペン軸の主流でありつづけました,

 セルロイドで万年筆の軸を作るには二つ方法があります。一つは丸棒を削るもので、今一つはシートを丸めて接着する方法です。前者は削りすぎてしまうとやり直しがきかない、後者では柄によっては接合面が分かってしまうといった点に注意しないといけません。いずれにしても注意力を要する仕事です。全体としては丸めるほうが材料が少なくてすみますが高度な技術を必要としますので、今では削り出しが主流となっています。特にイタリア、中国などの製品は殆ど総てが削り出しとなっています。

 戦争中は金属不足のためセルロイド製のペン先が作られたこともあります。軍関係などから大量注文がなされたという記録が残っていますが、あまり使い勝手は良くなかったようです。

 シャープペンシルという言葉は和製英領で、日本と韓国でしか通用しません。英語ではメカニカルペンシル、プロペリングペンシルと呼びます。
 1915年に当時二十二歳だった早川徳次は、夜店で鉛筆の芯をセルロイド板で挟んだものに出会います。これを金属製に改良したものが、現在流通しているシャープペンシルです。その後、早川は電気製品の道に入り現在のシャープ(株)を創設します。奈良にあるシャープの資料館には早川の頃の複製品が展示されています。



 下敷き

 毛筆を使った習字にしろ、ペン字でも鉛筆書きにしろ、下に何か敷かないことには、しっかりとした字を書くことは出来ません。そのために習字ではフェルト状の下敷きをしますし、ペン字鉛筆書きでは硬い平板を敷きます。

 この下敷きには最近ではポリ塩化ビニール、ポリプロビレン、ポリエチレンテレフタレートなどが使われていますが、かつてはセルロイドの独壇場でした。

 このセルロイドの下敷きで特筆されるのが陸軍の将校が使っていたカバンです。背の節分に分厚いセルロイドの板が入っていて、普段は下敷きとして使っていますが、イザという時には火を点けて書類を燃やしてしまうのです。また紙自体も燃えやすくしていました。これは日本だけではなく外国でも同じようで機密文書などの表紙、背表紙はセルロイドになっていました。

 ついでのことですから海軍についても述べておきます。常には鉛の板が入っていて水中に没するようにしていました。紙は水に溶けるようにして機密を守ったのです。



 筆箱

 かつて「象が踏んでも壊れない」とのキャッチフレーズで一世を風靡した筆箱がありました。これはポリカーポネート製の丈夫なもので、実際に象が踏んでも壊れませんでした。ただしこれには裏があって、象の足の裏は柔軟性があって薬箱ぐらいでしたら下に入るのです。また、ゆっくりと踏めばの話でした。これをまともに受けた当時の子供達は、飛び降りたりしてべそをかいたものです。この筆箱を考え出した社員は社長の娘と結婚して、今では重役となっています。

 横道に逸れてしまいましたが、筆箱はかつては文字通り筆を入れる箱で木製でした。今では鉛事やシャープペンシルを入れるのに言葉だけが残っています。

 セルロイドハウスも協力しました「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代、すなわち昭和三十年代に使われていた筆箱はセルロイド製が主流でした。このセルロイド筆箱は割れやすいという欠点があり、割れた時には両方に線香で穴を開けて毛糸などでつないで使っていました。そのため「象が踏んでも壊れない」丈夫さに驚いたわけです。

 このセルロイド筆箱ですが、戦争直後にはセルロイド生地が国防色ぐらいしかなかったものですから、それで筆箱を作ったのですが物のない時代ゆえ売れました。少し落ち着いてきますと戦争のた捌こ結婚が遅れた方や復員されてきた人達の結婚ブームとなりました。祝いの品として喜ばれたのが湯桶、石鹸箱、化粧箱などをセットにしたものでした。中でもパール生地のものは豪華な幹事となりますので好まれました。このバール生地の一部が筆箱にも使われて、持っているクラスの何人かが羨望の目で見られるという時代もありました。

 セルロイド筆箱が全盛の時代だった1960年(昭和三十五年)、社会党の浅沼委員長が刺殺されました。このテロ事件が筆箱に思いもかけない影響を及ぼします。学校に刃物を持っていくのが禁止されたために、売り出されたばかりの鉛筆削り入り筆箱が爆発的に売れたのです。その数は年に二十万ダースに達し、二十五パーセントを占めるまでになりました。またランドセルの横幅に合わせた幅広のワイドが作られたのも、この頃です。

 セルロイドだけだったものが、塩ビとの二段式となり、ポリエチレンからABS、ポリプロピレンへと変わっていって、セルロイド筆箱は次第に縮小していきました。



 各種定規類、テンプレート

 定規類で一番身近にあるものは三角定規でしょう。正三角形を半分にしたものと二等辺三角形のものとの組み合わせで実に色々な角度、図形を生み出すことが出来ます。この三角定規には透明性が要求されるために現在ではアクリル、ポリカーポネートなどが使われていますが、かってはセルロイドも多用されていました。定規は温度湿度などの影響による狂いがないことが求められますので、竹、アルミなども用いられます。小さな図形を書く時に重宝するテンプレートも定規の一つです。



 ペーパーナイフ

 封筒などを切るときに用いるベーパーナイフは、ページめくりとともに欧米ではコレクションアイテムとなっています○そのために持ち手の部分を色々と趣向を凝らして、天使、ミイラ、鷲、ライオン、ワニ、花など様々な種類があります。またナイフ部分も直線だったり、青竜刀のような形をしていたり、曲がっていたりです。

 このペーパーナイフはページめくりとしても使われ、読みかけのところに挟んだりもします。普通は栞を挟むところですが、この栞にもセルロイド製のものがあり、コレクションアイテムとなっています。



 鉛筆削り

 かつて「肥後守」というナイフが子供達の必需品でした。これ一本あれば、鉛筆削りまもちろんのこと、彫刻、皮むき、紙切りなど様々な用途に使われたものです。ところが前述の浅沼委員長刺殺事件のために所持が禁止されてしまいました。それでも当時、十円ぐらいで売られていた小さな鉛筆削りだけは許されていたところも多かったようです。赤や青の持ち手の鉛筆削りは、文字通り鉛筆を削るぐらいしか用途が無く、肥後守を懐かしんだものです。今では、このナイフも見ることが少なく、鉛筆削りと言えば電動モーター式のものだと思い込んでいる子供も多くなっています。



 画鋲

 画鋲といえば真鍮メッキのものだと思い込まれている方も多いようですが、かつてはセルロイドも使われました。そして画鋲が今のような姿になったのもセルロイドが関係しています。

 画鋲を横から見てください。二枚重なり合っているように見えるはすです。戦争が激しくなっていった頃には画鋲まで針の部分だけが金属のものが作られました。丸い部分はレコード盤を打ち抜いて作ったのですが、中にソノシートすなわちセルロイド製の薄いレコードもありました。これは一枚だけでは強度が足りないために二枚貼り合わせていました。この形が今でも使われている二重画鋲となったわけです。セルロイドのおかげで画鋲が今のような形になったのは少し驚く事実です。

 セルロイド製の画鋲は戦争中にはかなり作られていたようですが、今では殆ど見かけるこたがありません。もし見かけられましたらご連絡をお願いします。



 このようにセルロイドは誰もが思いつくようなものから、まさかと思えるものにまで使用されてきた歴史があります。これもセルロイドの持つ着色加工が容易であるという特色によるものだと言えます。




著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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