セルロイドサロン
第87回
松尾 和彦
各国の社会情勢とセルロイド生産高の比較


 日本でセルロイドの生産が本格的に始まったのは1911年のことでした。その後、急速に生産高を伸ばし遂には世界一となったのはよく知られています。
 では下の表をご覧になってください。


年号 西暦 日本 アメリカ ドイツ イギリス フランス イタリア
明治33年 1900年 1500
41年 1908年 1114 209 1400
42年 1909年 1380 1180 2900
43年 1910年 5070 2500 1900 4170
44年 1911年 185 4090 1290 7087
大正 元年 1912年 480 4534 1900 2666
2年 1913年 515 6250 2100 3087
3年 1914年 495 6203 1110 820
4年 1915年 586 7660 1240 700
5年 1916年 1170 12707 1280 480
6年 1917年 1206 8717 1000 300
7年 1918年 2202 4211 970 332
8年 1919年 2283 3290 1080 430
9年 1920年 1439 2137 810 246
10年 1921年 977 1977 540 557
11年 1922年 1500 7074 1350 1602
12年 1923年 2359 5170 720 2310
13年 1924年 2862 1988 940 2000
14年 1925年 4103 3360 18900 1120 1390
昭和 元年 1926年 3574 1875 21000 90 1520
2年 1927年 3923 2923 22000 588 1670
3年 1928年 5002 8796 16300 900 407
4年 1929年 5914 9000
5年 1930年 4138 6500 600
6年 1931年 5009 5600
7年 1932年 6642 5250 600
8年 1933年 9354 4500
9年 1934年 10208 5000 750
10年 1935年 11426 5000 750
11年 1936年 11705 5000
12年 1937年 14472 5500
13年 1938年 13284 5500
14年 1939年 1000


 これをご覧になって驚く数字が幾つも並んでいると感じられたことと思います。例えば1925年から1928年までのドイツの生産高、1927年のイギリスの落ち込み方などです。

 では、それぞれの国ではどのような社会情勢があってセルロイド生産高がこのような乱高下ともいえる推移をしたのでしょうか。今回は、この変化について見ていくこととします。



ドイツ:

 先ずは驚くべき数字を生産しているドイツからです。ドイツは第一次大戦でヨーロッパ各国から総攻撃とでもいうべき攻勢を受けて敗戦国となりました。

 しかしドイツの悲劇は戦後のほうがもっと酷いものでした。ヨーロッパ各国、特にフランスが莫大な賠償金を要求しました。その金額は1320億金マルクという莫大なもので、もちろんドイツにはそのような能力はありません。支払が滞ってしまったためにフランス、ベルギーがドイツで一番のはもちろんのこと、ヨーロッパでも指折りの工業地帯であるルール地方を占領するという事態になってしまいました。

 このような有様では経済は混乱の極致に陥ります。戦争前には対ドルレートで4.2マルクだったものが、1923年1月に7,525マルクとなったかと思うと、16万マルク(7月),462万マルク(8月),9886万マルク(9月),252億6028万マルク(10月),4兆2000億マルク(11月)になるという、それまで記録したことがない超インフレとなりました。次々に発行される紙幣は何の意味もなく、暖炉の焚きつけとして使われるほどでした。

 この時期の生産額が示されていませんが、恐らくは戦争以上の壊滅的打撃を受けていたことでしょう。

 前代未聞の超インフレはレンテンマルクと呼ばれる不換紙幣の発行により奇跡的な回復をします。さらに支払いを大幅に緩和するドーズプランが示されたために曲がりなりにも経済が安定します。1925年から28年にかけての驚異的な数字は、まさにその頃に記録されたものです。

 このドイツは世界恐慌の荒波を最も強く受けた国となり1929年以後は落ち込んでしまいます。経済低迷から抜け出せなかったことが原因の一つとなりナチスが台頭して、第二次大戦へと進んで行きました。


フランス:

 そのドイツと最も関連のある国がフランスです。フランスがドイツに対して莫大な賠償を要求したのは、1870~71年の普仏戦争で当時のプロシアに対して賠償を支払うこととなった上に鉄鉱石、石炭など豊富な地下資源を産出するアルザス・ロレーヌ地方を失いました。

 このことから「ドイツ憎し」の感情を持ち続けることとなります。「今度はドイツの番だ」とばかりに要求したのです。そして支払が滞るとルール地方を占領してしまいました。それまでと比べて3~4倍の生産高となっている1922~24年は、まさにルール地方を占領していた時期ですので、この地方の生産高も含まれているのかもしれませんが、ドイツはルールの労働者に対してストライキを呼び掛けていますので、確定したことは言えません。

 1908~11年の倍倍となっていくような生産の伸びはフランスが拡大策をとっていった時代にあたります。さすがにこのような策では息切れをすると見えて1912年には落ち込んでいます。

 フランスでは「戦争による被害」と言えば第二次大戦ではなく、第一次大戦のことです。あっという間にドイツに占領された第二次に対して、第一次ではフランス中が戦場となりました。今でも見つかる不発弾と言えば第一次の時のものです。1914年からの極端なまでの落ち込みが、如何に被害が酷かったかを証明してくれています。


イギリス:

 イギリスも第一次大戦当時は落ち込んでいますが、それよりも驚くのは前年の一割にも満たない1926年の90トンという数字です。

 これほどまでの凋落は他に例がありませんが、イギリスでは前年から炭鉱のストライキが長期にわたって続いていました。そして遂にはゼネストへと発展していきました。

 このストライキの最大の原因は、もちろん不況ですが、アイルランドの独立も関係しています。1922年にアイルランドは独立を果たしますが、炭鉱労働者にはアイルランド出身者が多くいました。彼らは本国の独立に触発されてストライキを行ったのです。

 セルロイドの生産がこれほどまでに落ち込むほどですからイギリスの経済は破綻状態となります。そこへ持ってきてインドなどの植民地では反英運動が起きます。その代表的なものが「腕輪の拒否」でした。当時の腕輪はセルロイド製が主力でしたので壊滅的打撃を受けています。


イタリア:

 イタリアはヨーロッパ主要国の中では一番最後まで統一した国が出来ませんでした。ちょうど日本の戦国時代のように小国家が分立して互いに争っていたのです。それでも十九世紀中頃までには統一国家と言えるようなものが出来上がっていましたが、イタリア人にしてみれば不完全なものでした。そのため普墺戦争、第一次大戦などに参戦して領土を広げようとしました。ところがいつも「勝者の中の敗者」といったかたちとなり、不満をつのらせていきます。

 そこへ現れたのがムッソリーニでした。やり方はかなり荒っぽく暴力的で無理なものでしたが、それでも一時的には政治的・経済的安定をもたらしたので国民の支持を集めました。

 セルロイド生産量のデータが僅かしか残されていませんが、数字が残されているのは安定していた時期のものです。しかしその後、イタリアはムッソリーニの「古代ローマ帝国の復活」という到底実現不可能な目標に向かって突き進み第二次大戦を起こすこととなります。


アメリカ:

 ハイアットの国アメリカは、セルロイド生産が本格的になったのも一番最初でした。1910年からは世界一となっていますが、1916年には飛躍的な伸びを示しています。これはちょうど第一次大戦の時期ですが、それならどうして戦争が始まった1914年から伸びていないのでしょうか。

 実はアメリカのセルロイドは品質に問題がありました。ドイツの製品と比べると劣るものだったのです。 

 アメリカはこれではいけないと思ったのでしょう。品質改良に乗り出します。その結果が顕著に表れたのが1916年の数字です。
 しかし戦後の落ち込みは激しいものがあります。これは次の日本に比べると品質改良が今一つ足りなかったのが原因だと思われます。


日本: 

 日本はセルロイド生産という点では比較的後発組に入ります。その品質ですが1913年頃には「粗悪極まれる」と酷評されています。そのためヨーロッパが戦場となっても最初のうちは生産が伸びませんでしたが、やがて改良を加えて遂には世界一の高品質となります。その結果が1916年からの伸びで、アメリカよりもさらに顕著になっています。

 この好景気は戦争が終わると一気に終息し、八社が合同合併したのはよく知られている事実です。そして関東大震災、世界恐慌、インドでの反英運動と立て続けに大打撃を受けます。

 しかしすぐに回復しているのは確かな品質に支えられたがためです。やはり良いものは価格が高くても売れるのです。



 このようにセルロイドの生産高も一国だけではなく、それぞれの国の社会情勢が複雑に絡まり合っているものなのです。






著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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