セルロイドサロン
第89回
松尾 和彦
フィギュアとセルロイド



 フィギュアという言葉を聞いて何を思い浮かばれますか。あの華麗なフィギュアスケートでしょうか。それとも最近流行りの美少女人形でしょうか。

 フィギュアとは、元はと言えばラテン語で「作られたもの」という意味がある言葉ですので、人の姿、数字、図形、彫像など様々な意味がありますが、今回取り上げますのは「人形」という意味でのフィギュアだと思ってください。



 人形の元祖とも言える存在は縄文時代の遺跡から数多く出土する土偶でしょう。農耕が始まると豊作を祈る地母神信仰が生まれます。そのため土偶は生み出す側、つまり女性を象ったものとなっています。男性のものは存在しないと思われていたのですが、近年北海道の千歳市で出土したものは明らかに男性の特徴を備えていました。今のところ他に例がありませんが、もしかしたらこれから発見が相次ぐかもしれません。

 土偶は、これまでに日本全土で一万五千体ほど見つかっています。中には同じ場所から六百体も出土したという例がありますが、地域的な偏りが強く、東日本が多く西は少ないという傾向が見られます。

 この土偶ですが、一体何があったのか弥生時代になると全く作られなくなります。



 次の人形としては埴輪が挙げられます。弥生時代後期に現れ古墳時代に全盛となり、前方後円墳とともに消えた埴輪は大きく分けると円筒埴輪と形象埴輪となり、後者はさらに家形埴輪、器材埴輪、動物埴輪、人物埴輪の四つに分けることが出来ます。

 埴輪は、このように数多くの種類があるために当時の衣服、髪型、武具、家屋敷などを知る貴重な資料となっています。



 時が移って平安時代となると源氏物語に「もろともにひいなあそびし給ふ」との記述が見られます。ここにある「ひいなあそび」とは「雛遊び」のことで、貴族の祭りだったのが江戸時代に一般化して「雛祭」となります。

 江戸時代は、まさに人形が広まった時代で御所人形、からくり人形、連理返り(茶運び人形、階段下り人形など)、糸操り、指人形、姉様などは何れも江戸時代に一般化しました。



 明治となるとブリキなどの新しい材料を使った人形が登場することとなります。セルロイドを使った人形が現れたのは明治末期のことで、最初は切手大の小さなセルロイド片をワンプレスして顔を成型したものでした。当時はセルロイドがまだ高価だったために顔だけにしか使えなかったのです。

 セルロイド人形が飛躍的に発展することとなったのは永峰清次郎が吹き込み成型法を考え出してからで、その頃にはセルロイドも安価なものになっていました。

 軽くて加工性が良く美しくて清潔感があり着色が容易という特性を持ったセルロイドの登場は、江戸時代の雰囲気を残した紙や布、木、土などに慣れた人々を驚かせました。



 初期には七福神、十二支などの伝統的な題材を作っていましたが、まるでセルロイドのために生まれたのではないかと思われるキャラクターがアメリカからやってきました。言うまでもなくキューピーです。

そこへ持ってきて第一次大戦の勃発により、玩具の注文が日本に殺到しました。空前の好景気となり増産に次ぐ増産でたちまちのうちにセルロイド成金が生まれることとなりました。

 この時代は戦争とともに終わり反動としての大不況となりましたが、次第に回復していき昭和に入るとキューピーの他にメリー、カチューシャ、ガラガラ、おしゃぶり、吊るし物、浮き物、起き上がりなどが出回りました。また玩具類の他にも筆箱、下敷き、定期入れ、風呂桶、洗面器などの日用品にもセルロイドが使われるという全盛時代となりました。



 昭和初期のセルロイド人形では、もう一つ特徴的なものがあって石膏入りのセルロイドが多く出回りました。これは主に外国人向けにお土産や輸出品として作られたものですので、題材としては七福神や人力車に乗った芸者などの日本的なものが好まれました。



 華やかだったセルロイド人形の世界にも暗い時代がやってきます。日中戦争の拡大長期化とともに統制経済体制となりセルロイド生地はほとんど入手できなくなり、第二次大戦により海外の市場を失ってしまいます。僅かに模型飛行機などの軍需品を作っていたのですが、物資不足がさらに進み生産が停止してしまった後に敗戦となりました。



 戦争が終わると紙製の玩具とともに、セルロイドの人形、ガラガラ、ピンポン玉などが出回りました。国防色のキューピーやピンクのカエルなどの珍品でしたが、それでも遊び道具に飢えた子供達には人気の的でした。

 アメリカとの貿易が再開されるとセルロイドと金属とを組み合わせたり、ゼンマイを動力に使ったりの人形が輸出されるようになりました。この時代の製品にはMade In Occupied Japan(占領下の日本製)の刻印が入っていますので、直ぐに時代が分かります。



 戦後も好調だった人形などのセルロイド玩具の戦争以上の打撃となったのが難燃性、不燃性樹脂の登場でした。白木屋の火事でも知られるようにセルロイドの可燃性は以前から問題視されていました。しかし他に代わるものが無かったために広く使われていました。そこへ持ってきて塩化ビニールが現れました。先ずアメリカで日本製玩具の可燃性を問題視し輸入を禁止します。さらに日本でも伊勢丹を皮切りに大手百貨店が次々に塩化ビニール製に切り替えます。こうして次第にセルロイド人形が消えていきました。



 その後は各種プラスチック、超合金などを使った人形が作られていることは皆さまもよくご存じのことと思います。



 横浜のセルロイドハウスには最初期のワンプレス人形から、七福神、十二支、キューピー、吊り物、浮き物、ガラガラ、石膏入りセルロイドなどを取りそろえていますので、来館された時にはこのような時代の移り変わりを実感してみてください。




著者の松尾 和彦氏は歴史作家で近世、現代史を専門とし岡山市に在住する。


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