去る2016年3月12日(土)岡山シティミュージアムに於いて「明治日本の産業革命遺産、製鉄・製鋼、造船、石炭産業」と題する講演会が開催されました。
本年は産業考古学会が創立されてから40周年にあたる年で「近代化遺産」シリーズ講演会が開催されています。今回は五回目で今年度の最後を飾る講演となりました。
昨年、九州・山口の近代化産業遺産群が世界遺産に登録されたことはよく知られています。今回の講師を務められました市原猛志氏は北九州市門司麦酒煉瓦館の館長を務められている関係から、この煉瓦館は1913年に竣工した帝国麦酒の工場で2000年まで使用されていましたが、現在では資料館やレストランとして活用されています。
産業遺産には夫と妻がいると言われます。夫とは石見銀山や軍艦島のように全く利用されていないもので、妻は門司麦酒煉瓦館や富岡製糸場のように形を変えて活用されているものです。
市原氏の講演は見方を変えるというところから始まりました。かつての鉱山は廃墟となり、工場は資料館・レストランとなっています。これも見方が変わった例といえましょう。近代化が始まった頃の工場は希望の象徴でした。「モクモク吐き出る黒煙が我らの豊かな未来を築く…」といった校歌が歌われたものです。それが経済成長の歪を象徴する公害の元凶となり、現在では遺産として珍重されたり「工場萌え」などと言われて見学ツアーが組まれたりしています。
九州・山口の近代化産業遺産に対する動きは有名な軍艦島から始まりました。そして萩反射炉、松下村塾、三池炭鉱、八幡製鉄所などが登録されました。
世界遺産への登録要件は幾つかありますが、今回は「価値観の交流」「建築様式、建築技術、科学技術の発展段階」の二点が評価されての登録となりました。
今回登録されたものは大きく分けて萩反射炉、大板山たたら製鉄遺跡などの製鉄・鉄鋼遺産。三菱長崎造船所のような造船遺産。高島炭鉱、三池炭鉱、三池港などの石炭産業遺産。そして萩城下町、グラバー邸といった複合的に関連するものです。
この中で特に重要なものとして製鉄・鉄鋼遺産があります。かつて鉄は産業の米と呼ばれました。確かにビルも橋も船も鉄道車両も鉄でできています。日本には「たたら製鉄」という鉄鋼産業があり刀などを作っていました。
江戸時代までは屋根材の一部や釘などに限定的に使われていた鉄は近代に入ると建築・土木構造物として使用されるようになります。
そして技術は進歩します。パリのエッフェル塔は324メートル、東京タワーは333メートルですが、重量は7000トンに対して3600トン。これは錬鉄と鋼鉄との差が現れたものです。
製鉄・鉄鋼遺産として特に重要な八幡製鉄所は輸入材に頼らない構造物の実現、鉄道レールの国産化、日露戦争以降の産業発展の基となり近代化に大いに貢献しました。そして鉄道や水道などの関連する施設も多く代表的な産業遺産である。
市原氏は以上のような内容を情熱的に話され約100人の聴衆を引き付けられていました。
その後、過去に講演を行われました産業考古学会会長伊東孝氏、跡見学園女子大学教授種田(おいた)明氏、大田氏教育委員会石見銀山課課長補佐中田健一氏、高崎経済大学教授大島登志彦氏、そして市原氏で「近代化遺産の文化的価値と保存・活用」に対するディスカッションが行われました。
近代化産業遺産には活用されているもの、されていないもの。交通アクセスが容易なもの、困難なものがあります。どのような形のものが相応しいかは議論の分かれるところであり、そのため各講師の先生方のディスカッションも熱を帯びたものになりました。
その後、出席者との質疑応答が行われましたが中々鋭く要点を突いたものが多かったように思われました。
今回のような講演会のお膳立てをしていただきました吉備国際大学教授小西伸彦氏に厚く御礼を申し上げる次第でございます。
翌日は、小西先生の案内により過去と現在が混在する街倉敷の見学を行いました。倉敷にありますアイビースクエアは産業考古学を象徴する施設で、かつては紡績工場であったのが現在ではホテル、レストラン、博物館、売店として活用され多くの観光客が訪れる人気スポットとなっております。
倉敷には他にも多くの美術館・博物館、神社仏閣教会なども多い人気観光地ですので一度訪れてみられては如何ですか。
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